千絵の心情

 太陽と別れ、結局家までの帰路を一人で着いた千絵は、自室に籠り勉強をしていた。


 千絵の目標は医大に進み、最終的には医者になること。

 その為には学年上位の学力であろうと慢心せず、日々の勉強を怠らない。

 元々勉強の才がある訳でもない千絵にできる事は、それだけだ。


 だが、今日の千絵はいつも以上に目の前の参考書やノートの内容に集中できないでいた。

 原因は分かる。それは、1時間前の彼との会話。

 偶然店で出会い、なし崩しに公園で二人キリで思い出話をする事になったのだが……。

 

 千絵は動かすペンを一旦止め、コロコロとノートで転がすと、椅子の背凭れに深く擦り天井を仰ぐ。


「……思い出したくない物……か」


 シーリングライトの光が眩しく、腕で自身の目を覆うとボソッと呟く。


 彼が言った言葉。

 彼からすれば何気ない悪気のない一言だろうが、千絵の言葉にそれが深く突き刺さる。


「太陽君からすれば、光ちゃんだからこそあの約束は大切で、光ちゃんだからこそ忘れたい物……。結局の所、いつも太陽君の心には光ちゃんがいる……。私の入る隙間なんて、どこにもないんだ」


 そう悲嘆に考えると、目尻が痛くなり、そこから涙が零れる。

 

 彼……幼馴染にして、親友で、大好きな相手の、古坂太陽。


 千絵は今でこそ明るく、協調性があって、太陽以外にも同級生などから相談事をされる頼られる人物であるが、最初からこうではなかった。

 

 小学生に入りたての頃は口下手で人付き合いも苦手で、一人教室の隅で黙々と読書をする大人しい人物だったが、そんな閉ざした殻に籠る千絵をそこから出してくれたのが、他でもない、太陽だった。

 

 太陽が千絵を遊びに誘い、そのおかげで千絵は大切な親友を得られ、性格も次第に明るくなり、友達も増え、学校生活が楽しくなった。


 そんな切っ掛けをくれた太陽には大きな恩があり、太陽が困った時は絶対に手助けすると誓うと共に、親友以上の想いも募らせていた。

 それは一人の友達としてではなく、一人の男性として、千絵は太陽の事が……。


「分かってる……分かってるよ……。私には太陽君を好きになる資格はない……。太陽君にあんなひどい事をした私が、太陽君を好きでいて言い訳がない……」


 グッと溢れそうになる涙を押さえ、震えた唇で自責の念に駆られた言葉を呟く。

 千絵の脳裏に浮かんだ光景……それは、思い出したくない記憶であるが、決して忘れてはいけない記憶という矛盾の自身への贖罪の記憶。

 誰も知らない。彼すらも覚えてない、千絵だけが知る事実……。


『おい! 子供が倒れてるぞ! 救急車を呼べ!』


『どうしたんだ!? 事故か!?』


『子供が車に轢かれたらしい! 頭から血も出ている! このままだと命が危ねえぞ!?』


 血を出し倒れる少年に大人たちが集まり、慌てふためきながら救急隊が来るまでの応急処置をしていた。

 そんな喧噪な光景を少女は焦点のあってない、現実を直視できない今にも半狂乱に陥りだが、目の前の惨劇から目を離せなかった。


『違うの……違うの……。ごめんなさい、ごめんなさい……私は―――――—!』


 過去の記憶を鮮明に思い出した千絵は、胃から嘔吐物が逆流を始め、慌ただしい足音を鳴らしてトイレにこもる。

 「うぇっ、うぇっ!」と嗚咽を漏らして、口を通り千絵は嘔吐物をトイレに吐き出す。

 

 晩御飯はまだで、胃の中にはそれまでの繋ぎとして食していた菓子類だけだったが、予想以上に大量に吐き出された。

 酸っぱい味が口の中に広がり、鼻を尖らす異臭を嗅いで再び嗚咽を吐く。

 

 思い出したくない記憶、トラウマと呼ぶべきか。

 千絵はあの光景を思い出すと、今の様に吐き気を催してしまう。

 胃の物を吐き出し、腹の部分は軽くなろうと、罪悪感までは軽くはならない。

 

 引き裂かれそうになるほどの胸の痛みを紛らわす為、引き千切らんばかりにシャツに爪を立てて握りしめ、千絵は冷淡な笑みを浮かばせながら暗鬱に呟く。


「これは私への罰なんだ……。友達を裏切って、出し抜こうとした悪女の私への、罰なんだ……。だから私は、太陽君と光ちゃんが幸せになってほしいと願ってる……けど、人生って解ければ済む問題と違って、上手くいかない物だね……」

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