朧げな約束
「うわぁあ! 久しぶりにブランコ乗るけど、こんなに小さかったんだね! 昔はもっと大きかったはずだけど!」
「それだけ俺たちが大きくなったって事だろ。なんせ、ここで遊んでいたのは、あの子供たちと同じぐらいだったんだからよ」
ブランコに腰かけながら足を泳がす千絵に言いながら、太陽は元気よく駆ける子供たちを眺める。
小学生の低学年ぐらいと見える子供たち、太陽たちがこの公園で遊んでいた時もこの子たちぐらいだと記憶している。
住宅街から少し離れた場所にポツリとある公園。
最低限の遊具しかないとはいえ、子供たちや住人達からすれば憩いの場である。
昼であればご年配の散歩の休憩所として寄られ、夏休みとなればラジオ体操の場としても使われる。
「まあ、俺たちはここだけじゃなくて、近くの森や川でも遊んでたりしてたから、別段、ここでめちゃくちゃ遊んでいたって訳じゃないけどな」
口角を浮かばせ微笑する太陽。
しかし、遊んだ回数が少ないとはいえ、太陽にはこの公園に沢山の思い出を作らせて貰った大切な場所であることに違いない。
千絵は太陽の言葉からそれを読み取れたのか、クスクスと笑い。
「そうだったね。森や川でも遊んで、泥だらけになって、よくお母さんに怒られてたっけ。まあ、ここでも泥まみれになったりはしたけど」
「だな。俺の所も、なんでこうなるまで遊んだんだ! って、母さんにゲンコツされたこともあったか。あれはマジで痛かったわ」
ブランコに揺られながら笑い合う二人。
最近互いに忙しくて学校以外ではあまり会わなくなった二人だが、根本的な仲は昔と変わらない。
小さい頃からずっと遊んで来た友だからこそ共有できる思い出。
それが何より大切だと、笑いながら太陽は実感する。
「……けどさ。こうやって改めて思うと、時間の流れを感じるよ……。私たち、本当に成長しているんだね」
笑うのを止め、何やら含んだ言い方をする千絵に釣られ、太陽も口を閉じる。
―――――成長している。
それは人間にとって喜ばしい現象で、生きている事を実感すること。
だが、このまま大人になるのはどこか寂しい……千絵の言葉からそう感じられた。
小さい頃は広く感じた公園。
高校になって改めて来ると、そこまで大きく感じる事はなかった。
初めて訪れた頃は、公園の端から端まで全力で走って30秒以上はかかったが、今ではその半分の時間で済むほどに狭く感じる。
時間の流れは残酷だとはよく言ったものだ、呆れ笑いをしながら吐き捨てる太陽。
「本当にこの公園には沢山の思い出があるよね。私、太陽君、そして光ちゃん。3人で色々な遊びをした。追いかけっこやかくれんぼ、ボール遊びにヒーローごっこ。本当にあの頃は楽しかったね。もう帰ってこない時間だったけど」
「……なんだか青春を謳歌できなかった爺さんみたいな風に言うけどな。確かにあの頃は楽しかったが、青春真っただ中の
「確かにそうだね」
ハハッとおどけて笑う千絵。
「けど、さ。太陽君もこの公園には大切な思い出があるんじゃないの? 昔、聞かせてくれた、あの
千絵の言葉を聞き、太陽は心臓を握りつぶされそうなほどの動悸が襲う。
不思議と呼吸のペースも上がり、息が苦しくなる。
脂汗が額に浮かび、瞳孔が開く。
―――――なんで、こんなに苦しんだ。
その言葉が太陽の脳裏を埋め尽くす。
―――――そうか、そうだった。色々あってすっかり忘れてたけど、したな……約束を、もう叶える事の出来ない、あの約束を……。
ぶはっと少しの間呼吸を忘れていたのか、太陽は吸い込む空気が新鮮で上手く感じていた。
「大丈夫、太陽君!」
咳き込む太陽の背中を摩る千絵。
やはり医者を目指していただけあって、その行動は素早かった。
「あ、あぁ……大丈夫だ。スマン、心配かけた。正直、俺があまり思い出したくない物だったから、少し拒絶反応が起きたみたいだ」
乾いた笑みを浮かばす太陽に、太陽の背中を摩る千絵の手は止まった。
どうしたんだ? と太陽は千絵の顔を伺うと、言葉を失った。
俯く千絵の表情、今にも泣きだすのを堪えた険しい表情に、唇を強く噛んでいた。
何故千絵がそんな表情になるのか見当がつかなかった
なぜなら、
「どうしたんだ千絵! なんで、俺と
太陽と千絵が口にした”約束”とは。
それは、小さい頃、この公園で太陽と光が交わした思い出。
太陽に肩を揺らされ我に返った千絵はゴシゴシと強く自身の目を擦り。
「べ、別に私がどうとかで悲しい表情をしてたんじゃなくて、小さい頃の約束って大切な物で、それを軽々しく思い出したくない物とかいう太陽君に呆れてただけだよ!」
剣幕を鋭くして千絵が吼える。
それに太陽はブランコに座りながら若干引き、千絵は尚も野生の動物の様に太陽を睨んでいた。
申し訳なく太陽は千絵から顔を逸らしていると、隣から嘆息の音が聞こえ。
「本当に……昔太陽君が私に光ちゃんの事で相談事をされた時に、一緒にデリカシーを教えてあげた方がよかったんじゃないかって後悔だと、全く……」
「…………面目ない」
太陽の内心では「え? これってデリカシーの問題なのか?」という疑問が浮かぶがそれを飲み込む。
「それで? 思い出しくなかったそれを思い出したって言うけど、その約束がなんだったのか分かっているの?」
千絵の尋ねに太陽は険しく眉を顰めて頷き。
「……まぁな。正直、今では叶う事のない思い出ではあるけどな」
そういって太陽は一呼吸入れて言葉を続けた。
「どんなに時間が経っても、太陽の事大好きだよ。絶対に。けど、太陽が言うなら一旦諦める」
淡々とした感情が籠ってない声音で太陽は言う。
それは幼い頃の記憶から浮かぶ彼女の言葉。
「けど、もし私たちがもう少し大人になって、私が太陽の事好きだったら、もう一度……告白していいよね」
彼女が言った言葉を最後まで言い終えた太陽に続いて、次は千絵が口を開く。
「それに太陽君は確か、俺たちが大きくなって、まだ光ちゃんが太陽君の事を好きで、太陽君に恋人がいなかったら、その時はお前と一緒に居てやる、って答えたんだよね?」
千絵が聞き返すと太陽は小さく首肯する。
それを確認すると、千絵は一段と深いため息を吐き。
「正直これって、太陽君最低な事言ってるよね? 大きくなって、光ちゃんが太陽君の事が好き続けて、太陽君に恋人がいなかったら付き合うって……完全にキープ扱いする屑野郎ですね、おめでとうございます」
千絵の批評に「ちょ、まっ!」と太陽は弁明を口にする。
「仕方ねえだろ! あの時は子供で、突然だったんだからよ! つか、もうどうでもいいだろうが、俺とあいつは終わった関係だし、一応は約束を果たしたもんだしな!」
逃げる様に太陽は語る。
太陽と光が別れたのは今更な話だが、小さい頃の約束はあくまで『付き合う』であり『結婚』ではない。
なら、一度付き合った太陽と光は”一応”であるが約束は完遂されたといえる。
「そうだとしてもね……」
と納得のいかない千絵。
気まずくなり二人の間に静かな時間が流れるのを他所に、公園で遊んでいた子供たちは保護者達に連れ帰られるのを眺めた後、決心したかの様に千絵はゆっくりと唇を動かす。
「ね、ねぇ……太陽君。こんな質問はおかしいし、意味の分からない事だと承知の上でするけど、いいかな?」
「ん? する前にその意味が分からないが、別にいいけど」
太陽が了承すると、千絵は一拍置いた後に唾を飲みこみ、
「その約束をした人って―――――――本当に光ちゃんだったのかな?」
「…………………は?」
千絵が事前に申してた様に、その質問の意味は分からなかった。
「…………その質問の意図を聞いてもいいか?」
「意図も何も、言葉の意味だよ。たしかその約束をした時は私たちがまだ低学年の頃。もしかしたら、太陽君の勘違いってのはないのかなって。それで? どうなの」
幼い頃の記憶は曖昧で、時が進むごとに記憶が混乱して勘違いを産む。
千絵はそう言いたいのだろうが、千絵の真剣な表情から千絵は意味なくしている様には思えなかった。
「勘違いってお前な……そんなこと――――――」
苦笑しながら改めて太陽は思い返す、あの日の光景を、あの日の会話を、あの日の彼女の顔を。
しかし、思い返そうとした太陽の脳裏にある不可解な現象が起きていた。
「(……あれ? 確か、あの約束をしたのは光のはずだ……。なのに、なんであいつの顔だけぼやけてるんだ?)」
千絵の言葉が発端で封じ込めていた記憶が蘇ったとは言え、思い出してあの夕焼けの公園の情景は鮮明に思い出せた、そしてどんな会話をしていたのかもうろ覚えであるが分かっている。
だが、腑に落ちないのは、その時会話していた少女の顔がハッキリ映らない事だ。
正確に言えば、その者が誰なのか分かる。
例えるなら、ネタバレ防止で掛けたモザイクだが、分かる人には分かるみたいな感じだ。
その者が太陽の元カノである渡口光だと言う事は分かるが、なぜこんな朧気に彼女の顔が映るのか不可解だった。
必死に思い出そうとする度にジンジンと太陽の頭を締め付け、脂汗が額に浮かぶ。
そこで太陽は思い出そうとするのは一旦止め、ふぅと息を吐き、現状分かる範囲で答えた。
「……あぁ。俺にとっては最悪な事に、その約束をした相手は
軽薄に笑う太陽に、千絵は横目で冷徹であるがその瞳に悲し気な感情を籠る目を送りすぅと立ち上がる。
どうしたんだ? と怪訝に首を傾げる太陽だが、背中を見せていた千絵はクルリと振り返る。
その表情は先ほどまでの悲嘆な表情ではなく、笑顔だった。
「そうだよね。ごめんね。変な質問して。うんうん。子供の頃の約束って特別だからね。ほら、漫画とかで鉄板じゃん。だから、少しばかり嫉妬してたのかもしれないね。そんなロマンチックな約束があって」
結局二人がどうなったとかではなく、少女心を燻ぶる約束を羨む発言。
笑顔で語る千絵だが、直ぐに太陽は分かった。
―――――千絵は作り笑いをしている。
千絵は喜怒哀楽の内喜び、怒り、楽しいを直ぐに表す感情豊かであるが、唯一哀だけはひた隠しにするきらいがある。
昔、一人クラスの輪に馴染めず、寂しげに教室の隅で本を読んでいた千絵の姿を思い出して、太陽はブランコの椅子から立ち上がり、
「お、おい、千絵―――――!」
「大丈夫だよ」
声を張り上げようとする太陽を遮り、千絵は続ける。
「大丈夫だよ、太陽君。太陽君がどんなであっても、私は太陽君の味方だから」
今度は紛れもない笑顔を浮かばし、千絵は太陽にゆったりとした足取りで歩み寄り、足りない身長を背伸びで補い、太陽の顔に近づくと、そぉっと自身の指を太陽の唇に軽く当て。
「けど……もし私の我儘が叶うなら――――――ううん。やっぱりこれ以上は言えないや」
最後まで言わなかった所で、太陽の唇から指を離し、踵を地面に付けてから踵を返す。
「それじゃあ、もう遅いから私は帰るね。短かったけど話せて楽しかったよ。また学校でね、太陽君」
千絵はそれ以上何も言わず無言のまま、自らの買い物袋を拾い公園を後にする。
その姿を太陽は、彼女の姿が見えなくなるまで、茫然と眺めるだけだった。
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