❖ 2 ❖

 ホテルに着く頃にはもうお喋りが出来るほどに回復していた。

「下ろしていいよ、歩けるよ」

「まだだめだ、いいからじっとしてて」

 フロントでキーをもらって、4階の自分の部屋に連れて行った。広い部屋を取っている。そのベッドに昌を寝かせた。

「ご両親に連絡しようか?」

「いいんだ。うしおは? 一人なの?」

「そうだけど。あきら、年はいくつ?」

「16。11月で17になるんだよ。……多分」

 最後の言葉は呟くようで、汐の耳には入らなかった。

「16? 高2か。ね、お家の人に電話入れた方がいいよ」

「俺も一人なんだ、だからいいの」

「一人って、一人旅ってこと?」

「うん」

 なにか事情があるんだろうか。心臓が悪くて一人旅などいいわけがない。昌に父が重なって見える……。

「うしお、薬のこと分かるんだね」

「ニトロのことか? 父さんが飲んでたから」

 すんなりと過去形が出てきた自分にショックを受けた。立ち上がり、冷蔵庫に向かう。零れそうな涙を指で払って冷蔵庫を開けた。

「なにか飲む? 種類はあんまりないけど。水、お茶、コーラ、」

「水がいい」

 ペットボトルを持って、ベッドの脇にソファの椅子を持って行った。

「ありがとう」

「旅行先でも誰かに連絡取った方がいいよ」

「本当にいいんだ。お父さん、死んじゃったの?」

「うん。手術中にね。体力が無かったから」

「そうなんだ……」

「きみは? どんな」

「心臓の話なんかしたくない!」

「……ごめん。そうだね」

 波の音がここまで聞こえてくる。そのまま話が途絶えそうになった。

「俺、高遠たかとおあきら。高くて遠いって書くんだよ」

「あきらは?」

「日が重なってるヤツ。繁盛するって意味があるんだって。親父ってさ、すごい儲け主義だから俺の名前にまでそんなの付けたんだ」

 なんと返事を返したらいいのか分からなくなる。

「俺はいい名前だと思うよ」

「ほんと!? うしおは?」

「俺は深い水で、深水。汐はさんずいに夕方の夕」

「きれいな名前だね」

「父さんがロマンチストだったんだ」

 また過去形だ。思わず両手に顔をうずめた。

「汐?」

 ため息をついて顔を上げた。

「ごめんね。葬式で来たんだ。散骨っていうの、分かる?」

「海に骨を撒くことでしょ? 俺もそれがいいって思う」

(こんな話するなんて)

 同じ病気の子どもにする話じゃない。汐は話を変えた。

「どこに泊まってるの?」

「俺? このもう少し先の別荘にいるんだ」

「別荘? 一人っきりでなにかあったらどうするんだよ!」

 声を荒げてしまう。親も親だ。なぜ……。

「家出。だから一人。ウチの親はどうせ忙しいし、顔合わせることも少ないし。だから逃げ出してきたんだ」

 まるでごく普通のことのように昌が答える。

「いつ帰るつもり? ずっと家出ってわけにもいかないだろ?」

 汐としては心配になる。この状態で一人になど出来るわけがない。

「決めてない。帰りたくないし」

「一人でいるのは良くないよ。また発作が起きたらどうするんだ」

「別に……いいよ」

「いいわけないだろっ」

「汐?」

 どうしても父を思い出してしまう。学校から帰ると倒れていたことが何度かあった。そのたびに救急車を呼んで……

「じゃさ、汐来てよ」

「来てって」

「別荘に。それともすぐに帰るの?」

「予定は無いけど。でも」

「一人になるなって言うけど、俺、家になんか帰る気ないもん。汐となら一緒にいてもいい」

 汐も一人になりたくてここに来た。一週間くらいと思っていたが予定があるわけでもない。帰れば独りを噛みしめるだけだ……

 父の散骨がきっかけで知り合ったのは何かの縁かもしれない、そんなことを思った。それにこのまま昌を独りにしたくない。

「分かった。行くよ。持ち物整理するから待ってて」

「ホント!? 嬉しい!」

 素直に感情を表す昌が眩しい。少ない荷物はあっという間にまとまって汐の用意が出来た。

「動けそう?」

「うん、大丈夫!」

「じゃ、行こうか」

 ホテルのチェックアウトを済ませて外に出た。


 もう日が傾いている。出歩くにはちょうどいい時間だ。はしゃいでいる昌に注意しながらゆっくり移動した。

(父さんの世話をしてるみたいだ)

 それが心地よかった。父もなにかあればすぐ羽目を外した。茶目っ気のある父で、どっちが親だか分からないような……


「遠いの?」

「ううん、そうでもない」

 ホテルの横の細い道を辿る。散歩は何度かしていたがその辺りに足を延ばしたことは無かった。

 木陰の中を歩く。靴の下の土の感触がいい。今は自然の中が落ち着く。蝉が鳴いて風がそよぐ。葉擦れの音を聞いていたい。

「気持ちいいね、今日は」

「うん」

 時々、空気の匂いを嗅ぐように昌が上を向いて息を吸う。気持ちを共感できる相手なのだと、年下相手にそんなことを思えた。

 15分近く歩いてログハウスが見えた。

「大きいね!」

「無駄に金使ってるから」

 自嘲めいた響きは無視することにした。新しくはない建物は周りの緑に溶け込んで、そこに息づいているように見える。

 木がきしむ音を聞きながら階段を上がりそのまま玄関を開ける昌に驚いた。

「鍵、かけてないの?」

「意味無いよ。なにも無いし」

 昌の後について入ると、外観に相応しい内装だった。

「暖炉があるんだね!」

「夏しか利用しないのに暖炉があることが俺には理解できないんだ」

「それはそうかもしれないけど」

 こういう贅沢なら味わうのは嬉しい。床も二階に上がる階段も、全てが木でできている。

「こういう木造って贅沢だよ。変な意味じゃなくて。味わえるって言うのかな…… 設計した人のセンスなのかな」

「……じいちゃん。じいちゃんが建てた時はもっとシンプルだったんだ。暖炉とかそういうのつけたのは親父だから。キッチンだって最低限だったのに今じゃシステムキッチンなんかになっちゃってさ」

 テーブルの上には一抱えの紙袋が載っていた。中身をガサゴソと出す様子を眺めていた。現れてくるのはフランスパン、卵、牛乳、オレンジジュース、りんご、ウィンナー、トマト、ブロッコリー、レタス……

「この近くに買い物できる店があるの?」

「無いよ」

 短い返事だからそれ以上聞くのをやめた。昌のプライベートに踏み込む気なんかさらさらない。

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