123.表面をさらりとなぞるだけ

「エリュには難しい話だよ」


 前置きをしたシェンがラグに座る。向かいにエリュが腰を下ろし、距離を詰めてきた。リンカとナイジェルは適度に距離を置くあたり、いろいろ教育された経験が生きているのだろう。エリュはまだ何も塗られていないキャンバスと同じで白い。


 だから汚したくなるのかな。シェンは自虐的な思いを溜め息で捨てた。エリュを傷つけるくらいなら、自分が傷つくことを選ぶ。そのくらいの覚悟はあったはず。


「僕は魔族の守護神と言われてるけど、厳密には違うんだよ」


 この魔国ゲヘナの建国は3千年程前と伝えられる。しかし実際は違う。本来の魔族の歴史は8千年前後だった。この差である5千年がシェンの罪の証なのだ。


「初代皇帝アンドレア・ミランダル・アレスター、彼女は19代目の皇帝なんだ」


 意味を理解できずに考え込むナイジェルと対照的に、リンカは何かを思い出すように指で数え始めた。エリュは先を促すように軽く首を傾げる。


 ゲヘナは一度滅びた。いや、守護神であるシェン自身が滅ぼしたのだ。ミランダの前の皇帝は吸血鬼王だった。圧倒的な力を誇り、民を虐げ、他民族を侵略する。重税に喘ぎ、生活もままならない民の中から、ミランダは声を上げた。


 彼女に皇帝になる気はなく、まともな皇帝への代替わりを臨んだだけ。それを操って、ミランダを皇帝に祭り上げた。


「悪いことをしたと思ってるよ、遅いけどね」


 後悔したのは、ミランダが死んでからだ。彼女が息を引き取ったその季節が今と重なり、ちょっと落ち込む。そう締め括った。


 途中で合流したベリアルが何かに気づいて唇を噛んだ。それを目で押しとどめ、シェンはぎこちなく笑う。


「話を聞いてくれてありがとうね。少し楽になったかな」


 エリュはじっとシェンを見た後、きゅっと拳を握った。リンカとナイジェルに目をやり、何も言わずに頷く。暗くなった雰囲気を払拭するように、帰ってきたリリンが明るい声で促した。


「メレディスの作った夕食が並んでるわ。早く食堂へ行きましょう」


 わいわいと移動する中、シェンはいつもと同じ笑顔を浮かべた。リンカは謎が解けたと言わんばかりの表情だし、理解しきれなかったナイジェルはリンカに質問を投げかける。いくつかをリリンも交えて説明され、ようやくナイジェルも納得したらしい。


「今のゲヘナ国はクーデターで出来た。だから初代皇帝と数えるけど、その前に別の皇帝がいたって話だよな?」


「そうそう。ちゃんと理解できてるじゃない」


 リリンが褒めると、ナイジェルは嬉しそうに笑った。姉弟のような関係を築きつつある二人とは別に、エリュは手を繋いだベリアルを見上げる。目を逸らされてしまい、また俯いて考え込んだ。


 気づいてしまった違和感、無視するべきか。それとも突き詰めて尋ねるのが正しいか。幼いながらにエリュはひとつの結論を出した。


 知らないが故の残酷さ――開いてはいけないパンドラの箱に手をかける決断だった。

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