30.私を誰だと思ってるのよ
飛んで避ける、そんな技術すら不要とばかりにリリンは強気な笑みを浮かべた。ゲヘナは魔族の国で弱肉強食を旨とする。弱者を切り捨てることはないが、強い者が弱い敵を従える権利を持つのだ。その国において、女性体というハンデを背負いながら将軍となり、元帥の肩書きを併せ持つリリンが弱いはずもなかった。
彼女の細い体が潰されたように見える状況下において、部下達は案じる様子を見せない。それどころか「やっちゃったな」「怒らせるなんて馬鹿じゃないか?」といった声が漏れる。ビフロンス侯爵への侮辱とも同情とも取れるざわめきの後、慌てて捕獲作業に戻った。
よそ見してうっかり逃がせば、大事件だ。上司による再教育が待っていた。地獄の訓練の怖さを知る騎士は、己の身の安全のため、叛逆者の捕獲に精を出す。
徐々に静まる土煙を見ながら、ビフロンスは潰れた女の死体を探した。しかし見えたのは、片手で攻撃を止めた美女の姿だ。巨人族の血を引くビフロンスが、力任せに振り下ろした拳を片手で止めたリリンが嘲る。
「馬鹿ね、私を誰だと思ってるのよ。素人のぬるい攻撃が通用するはず、ないでしょう?」
拳を受け流すように手を払い、形の良い長い足で顎を蹴り上げた。屈んだ形のビフロンスはもろに攻撃を食らう。
「ぐあぁあああ!」
「ゲヘナ国元帥リリン・キマリスの前で、頭が高いわ」
痛みを堪えて、再度の攻撃に出るビフロンス。リリンは愛剣の刃を彼の鼻先に突きつけた。素早い反撃に固まった侯爵へ捕縛の縄が掛けられる。騎士達は手分けして網をかけ縄で縛り上げた。
暴れるビフロンス侯爵はそのたびに手足を切り裂かれていく。リリンは手加減しながら、動きを封じることに専念した。捕獲が終了する頃には、無事な手足は残っていなかった。
「どうせ痛い思いをするのに、今から傷を負うこともないでしょうに」
呆れたと呟き、黒髪を掻き上げる。そんな美女の脇で騎士達は顔を引き攣らせた。これから痛い思いをさせられるから逃げるのだ。卵が先か、鶏が先か。どちらに転んでも、痛い思いが確定した叛逆者達だった。
「ああ、そうそう。切り落すなら、パーツも一応拾っておいてね」
黒髪を風に靡かせる美女の発言に、騎士は敬礼して承諾した。この状況を見て、逃げようとする下っ端の必死さが増す。捕まったら絶対に殺される。足掻く彼らに、リリンはうっそりと笑った。
「逃げるのをやめて、きちんと話をしたら殺さないであげても……いいわよ?」
主君相手に嘘は吐かないが、それ以外の奴をいくら騙しても構わない。騙される方が悪いのよ。そんなリリンの気持ちを知らず、我先にと投降する下っ端達。
騒動が一段落した地上で、リリンは地下室へ続く階段を見つめた。もうすぐ主君が現れる。赤い血は驚かせてしまうから、消しておかなくては。大急ぎで水を作って手についた血を流し、周囲の大地を掘り起こして汚れた土を埋めた。せっせとマメに動く上司の様子に、騎士達も手伝いに動く。
「早くしないと、エリュ様がお見えになるわよ」
普段は放置する血の臭いを誤魔化すため、騎士も風や大地の魔法を駆使して花畑を作り上げた。血の惨劇は隠され、捕まえた連中は早々に転送する。
「よし! 後で褒美を届けさせるわ」
部下の手際良い仕事に満足した上司の鶴の一声で、わっと場が沸き立った。
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