第35話 獣

【サリアside】


 訳あって、アランという子に治癒魔法を教えることになりました。


 アランは、私が病気の治療をしているプリシラのお兄ちゃん。昔は悪戯好きな子で、プリシラからも嫌われてしまっていたみたいだけれど……今はとっても素直な良い子だそうです!


 ニナの話によると、メリアとダリアがいつも授業をしていて、疲れが溜まっていないか心配なのだとか……。


 ――間違いありません。ここは私の出番ですね!


 …………と、意気込んでいたところまでは良かったのですが。


「すやすや」


 授業を忘れて治癒に没頭していたら、アランが眠ってしまいました。


 きっと、よほど疲れが溜まっていたのでしょう。


「メリアとダリアに邪魔はさせません。たまにはゆっくりと休んでくださいね」


 私は、寝ているアランに向かってそう囁きかけます。聞こえていないでしょうけれど。


「……ふふ」


 少し汗をかいているみたいでしたので、私は懐から取り出したレースのハンカチーフでそれを拭ってあげました。


 そして、そのハンカチーフを「っんすうううううううううううううううううううっ!!!」






けだものside】


「っんはああああああああああああああっ!!!」


 サリアは、ハンカチに染み込ませたアランの匂いを深く吸いこんだ後、吐き出した。


 もちろん、拭いてすぐの汗にそれほど匂いはない。


 彼女は、自分好みの男の子が日々暮らしているこの部屋の空気そのものを、布ごしに堪能しているのである。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、っんすううううううううううううう!」


 最初にこの部屋へ足を踏み入れた時、彼女の本能は一瞬だけ暴走し、反射的に深呼吸を行った。


 しかし、本人に見られていることで働く理性が、それ以上の凶行に及ぶことを踏みとどまらせたのである。


「くんくん、くんくんくんくんっ! すーはーすーはーすーはーっ!」

 

 謂わば「お預け」状態にされていた彼女が、この状況で心の内に眠る獣を抑え込めていられるはずがなかった。


「はぁっ、はぁっ、~~~~~~~~っ!」


 全身をぶるぶると震わせ、圧倒的な幸福感に包まれるサリア。

 

「…………うふふ、やはり子供の寝顔は可愛いですね」


 満足したのか、突然ハンカチから顔を上げ、眠っているアランのことを覗き込みながらそう呟く。


「――私にとっての治癒魔法です」


 彼女は、自分の行いが悪であるとは思っていない。


「すうぅぅぅぅぅっ、はあぁぁぁぁっ!」

 

 獣の本能で人目を避けて犯行に及ぶが、もし仮に目撃されたとしても「どうかしましたか?」と微笑むだけである。


 ――彼女の本性に気づいているのは、姉妹であるメリアとダリアのみだ。


「……い、いけません。少しほっぺたを触ってみたいな……などと思ってしまいました。――アランと私は、あくまで生徒と教師。距離感を見誤らないようにしなくてはっ!」


 持っていたハンカチで躊躇なく自分の汗を拭った後、それをローブの中にしまい、自身の顔をペチペチと叩くサリア。もっと人として見誤っていることがある。


「……ここに居たら起こしてしまうかもしれませんね」

 

 そのままベッドに背を向け立ち去るのかと思われた矢先、今度はアランが使用している勉強机へと近づいていく。


「………………」


 そして、いやらしい手つきで机をひと撫でした後、流れるように椅子へと腰掛けた。


 もはや、現在の彼女の行動を理解できる者はどこにもいない。


「男の子は……ここに何をしまっているのでしょうか?」


 今度は、机の引き出しへと魔の手を伸ばした。


 だがその時。


「アラン様、サリア様、失礼します」


 部屋の扉がノックされ、ニナが中へと入ってくる。


「……一体何をなさっているのですか、サリア様」


 そしてサリアの姿を発見してすぐ、ニナは呆れた様子で言うのだった。


「うふふ、ごめんなさい。この部屋を見ていたら、少しだけ子どもの頃の気持ちを思い出してしまって」

「まったく。仕方のない先生です」


 口元を綻ばせるニナ。絶望的なことに、サリアは彼女からの信頼も勝ち取っていた。


 ――アランを相手にする時よりも理性による抑えは利くが、ニナやプリシラも庇護? 対象である。


「あまり勝手なことをすると、アラン様から嫌われてしまいますよ?」

「そうですね。……椅子を壊してしまう前に、邪魔者は立ち去るとしましょう」


 勉強机から立ち上がるサリア。


「ところで、アラン様は――」

「眠っちゃいました。疲れているみたいですから、起こさないであげてくださいね」


 ニナは、はっとした様子で口元を抑えた。


「さてと……私は授業が大好きな妹達の説得をしてきます」

「……いつもありがとうございます」

「気にしないで下さい。――私はただ、子供が大好きなだけですから」


 獣は身近に潜んでいるのだ。

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