まるでぼくらは実験台?
増田朋美
まるでぼくらは実験台?
道子は喜んでいた。かねてから使用を希望していた新薬の利用が、ようやく承認されたのだ。その薬がどのような作用をするかは、あまり公表されていなかったが、とにかく新しい薬が出れば、より多くの患者を立ち直らせることができるのではないか。道子はそう思っていた。やがてその薬が、良い方へ向かっていけば、道子も医者として、自分の名を上げることもできるのかもしれない。
早くその薬を使ってみたいと思った。その薬が、使用されるのは、よほど重度な患者さんでないと、使用できないから、家から病院に来られるような患者さんには、不向きな薬であった。だから、なかなか使用できそうな患者は、現れなかった。道子は、そういう軽い症状の患者ばかりでしまいには苛立ってしまうようになった。
「道子先生。」
年配の男性患者さんに言われて、道子ははいと言った。
「今日はどうしたんですかね。一体僕達が嫌なセリフでもいいましたか?」
「いやあ、大したことないわよ。」
道子が言うと、
「はあ、また新しい薬ですか。先生、新しい薬を使うのはいいんですけど、患者さんは、先生方の実験台ではありませんからね。道子先生、それはちゃんと、頭の中に叩き込んでおいてください。」
と、その患者はそういった。
その、患者の言った言葉なんて、よくわからないけど、後で意味がわかる。
その日は結局、クスリを試せそうな患者は見つからなかった。明日は、明日は見つかる、と道子は思った。
その次の日、今日は、初診であるという若い男性が道子のもとにやってきた。名前を中島といった。一通り検査をしてみて、道子は渡された結果表を見て、そっとほくそ笑んだ。
「えーと、関節リウマチですね。あ、でも、心配なほど重度ではありません。これから、新しい薬が登場するんです。それを使えば痛みも、最小限に抑えられます。いかがでしょうか?」
道子は、わざとらしく、にこやかに言った。
「そうですか、でも先生。そんな新しい薬、試してみたら、余計に悪くなるかもしれない。それでは、良くないと思いますので、それを試すのは遠慮します。やっぱり、新しい薬はちょっと怖いです。」
中島さんがそう言うと、
「そんな事無いわよ。」
道子はしっかりといった。
「新しい薬ですもの。副作用もできるだけ抑えてありますから、大丈夫ですよ。ぜひ、使ってください。もしなにかあっても、あたしたちはそのためにいるんですから。」
「そうですが、先生は簡単にそう言えるかもしれないですけど、新しい薬はちょっと怖いですよ。もっと安全な、治療にしてください。そんなまだ、結果の見えない治療に、僕を使うのは遠慮させてください。お願いします。」
中島さんは申し訳無さそうに言った。
「それにしても先生は、新しい薬を使いたがるんですね。まるで、患者である僕たちを、それしか見ていないような。それはなぜでしょうか?」
道子は流石にこれはカチンと来た。
「あたしは、患者さんをそういう意味で治療しているんじゃありません。そのような事は絶対に無いですから。なんで、人の言うことを聞かないんですか?」
「そういうことではなくて、僕達は、安全に治療したいと言っているんですが。それではだめなんですか?多少リスクを背負っても、治療を受けろ、先生はそういいたいんですか?」
中島さんは、そう質問で返した。
「リスクって、あたしは、そういう事は、一度も言ってません。新しい薬は、副作用も抑えられるように改良されています。だから、誓っていいますけど、使っても、何も問題はありません。大丈夫です!」
道子はちょっと強くしてそう言うと、
「そうなんですけどね。先生。僕は、無理なものは無理ですよ。できるだけ、リスクの少ない安全な治療を受けることが、そんなに悪いことなんですか?」
と、中島さんは言った。
「そんな事言ってないわ。私は、ただ、病気を治すために、新しい薬を使ったほうが、病気も良くなるのではないか、と言っただけです。それにリスクがあるだとか、そういう事は一切言ってません。それなのに、無理なものは無理だなんて。いいですか、こういう病気には安全な治療なんてものは、はっきり言ってしまえば、無いと思います。だから、試しにやってみるつもりで、新しい薬を使ってみるのも、合わなければ重症化しますし、逆に古い薬では、症状に合わなくて、重症化することだってあるのよ。どっちも同じ。あなたがもし、安全な薬を試したいって言うんであれば、それでは、症状を抑えられるかという保証はないわ。それでもいいの?」
道子はまくし立てるようにそう言うと、
「そうですが、僕は、関節リウマチなんて前代未聞なんですよ。それを、先生は慣れているから、薬がどうのこうのと言うんでしょうけど、僕達は、先生にお願いすることは、病気がこれ以上重症化することはなく、なおかつできる限り日常的な生活に支障が無いように、治療していく、ということなんですけど。それは、贅沢なんでしょうかね?」
と、中島さんは、申し訳無さそうに言った。道子は、はあとため息をついて、
「まあそうなんですけど、それはね、贅沢と言うものですよね。そんな事、病気になってしまえば、平穏などないと言ってしまえばいいわ。そうなったのは、無理して病気になったのが悪いと多少反省することも必要なんじゃないかしら。今度の診察は、来週にしましょうか。その時、どんな治療を受けたいか、しっかり考えてきてちょうだいね。」
と、高らかに言った。
「はい。思った事はちゃんといいましたけどね。僕は、そういったつもりなのに。」
中島さんは小さい声でそう返す。
「それはあなたが、意志が弱くて、何も決断できないから。答えは見えてるわ。後は、あなたの意志にかかってる。まだお若いんだし、これからも活動する事もあるんでしょうから、それをするために、どういう治療をしていきたいか、ちゃんと考えてちょうだいね。」
道子は、呆れていった。
「じゃあ、来週また同じ時間に診察の予約をしておくわ。そのときに、また、決断しておいてちょうだいね。」
「わかりました。」
と中島さんは、道子に頭を下げた。道子は、非常にがっかりした。やっと、新しい薬を使える患者が現れてくれたと思ったら、こういうふうに、断られてしまうとは。それでは、情けなかった。その後も、道子は医者として、いろんな患者さんの診察をしたが、みんな軽症な患者ばかりで、新しい薬を使えそうな、患者は誰もいなかった。まあ確かに、外来の患者さんなんて、みんなそういうものだと思うけど。あの新しい薬を使うのであれば、入院するくらい重度な患者さんでないとできないということか。
今日も、つまらない仕事をしているなと思いながら、道子は病院を出た。なんで自分には、新しい薬を出してあげられそうな、患者はなかなか現れないのだろうか。自分が医者として、それをやりたいと思っても、そういう事はできないのだろうか。やれやれ、と、道子は、道路を歩いて、バス停に行った。すると、反対側の方から、車椅子の通る音がした。道子は、そのボロボロの車椅子で、黒大島の着物を身に着けた人物は、杉ちゃんだとわかった。杉ちゃんの方も、道子だとすぐに分かったらしい。
「よう、ラスプーチン。元気かい。」
杉ちゃんに言われて、道子は、
「ラスプーチンなんて、そんなロシアの悪人と一緒にしないでもらいたいわよ。」
と、言った。
「わかってるよ。ただ、わけのわからない、薬の話をするから、それがラスプーチンみたいだってこと。」
杉ちゃんはカラカラと笑った。
「それで、ラスプーチンがどうしたの?馬鹿に落ち込んでいるみたいだったけど?あ、もしかして、お前さん、新しい薬の実験台を探そうとしてたのか。それでは、呆れるな。そんなやつなんて、現れるのは、十のうち、一か二しか現れないよね。」
「そうなのねえ。そうなのかもしれないけどさ。みんな、病気になっても、なんで安全な方がいいとか、そういう事言うのかな。」
道子は、ちょっと嫌そうに言った。
「まあ、みんな危ない橋を渡るのは、嫌だから。それに尽きるんじゃないの?」
杉ちゃんがそう言うと、
「そうかも知れないですけど、新しい薬でも、副作用だって抑えてあるんだし、できるだけ確実に、病気を治すために、必要な薬なのよ。危ない橋を渡らせるような、そんなことはないんだけど。」
と、道子は、はあといった。
「まあ、そうかも知れないけどさあ。まだ、誰も、その薬で良くなったモデルもいないんでしょ?それでは、誰も寄り付かないのも当たり前だと思うけど。」
と、杉ちゃんが言ったので、道子はまたかちんと来た。
「そうかも知れないけど、あたしたちだって、一生懸命開発しようと思って、やっとできた薬なのよ。それをなんで、行けないというのかな。あたし、その当たりが理解できない。誰か、適合できる患者さんはいないのかなあ。あ、そうだ!」
道子は手をぽんと打った。
「それでは、水穂さんがいたわ!」
「残念だが、水穂さんには、ラスプーチンの実験台になってもらいたくありません。」
杉ちゃんはすぐそう言ったが、道子は急いで、
「じゃあ、すぐに製鉄所に行きましょう!バスなんか待ってられないわよ。よし、杉ちゃん、介護タクシーとって。代金は私が出すから。」
と杉ちゃんに言った。しょうがないなと杉ちゃんは、スマートフォンを取って、タクシーを呼び出した。急いで二人は製鉄所に行った。道子はやっと、そのような患者が、現れてくれて、内心嬉しくて仕方なかった。それを、杉ちゃんは変なやつとひとこと言った。
「こんにちは。水穂さんになんでもラスプーチンがまた実験をしたいらしいよ。まあ、また話を聞いてやろう。」
と、杉ちゃんは、製鉄所に入った。道子も、製鉄所の玄関に、見知らぬ靴があるのに気が付かないで、製鉄所に入った。
廊下をしばらく歩くと、水穂さんが咳き込んでいる声も聞こえてくる。それと同時に、水穂さん大丈夫ですか、と言っている老齢の男性の声も聞こえてきた。道子は、誰がいるのかなと思って四畳半のふすまを開けてみると、由紀子と柳沢先生がいた。
「あら。」
と道子は思わず言った。ちょうど同時に、水穂さんが、由紀子から薬をもらって、それをがぶ飲みした。どうやら、柳沢先生が出したものらしい。道子は、その薬の名前を知っていた。随分古い薬だなと思った。こんなものなんで平気で出しているんだろう。
「水穂さん、実は、あたしがここに来たのは、お誘いがあってきたの。実はこの度、呼吸器疾患に関する新しい薬が出たのよ。それを使って、もっと楽になりましょうか。」
と、道子は、にこやかに言った。
「ああ、あれですか。」
水穂さんの代わりに言ったのは、柳沢先生であった。
「あれ、新しい薬ではあるんですけど、果たして、役に立ちますかね。ただ、古い薬の成分をちょっと変えただけでしょ。それでは、何をするつもりなのか、何もわからないでしょう。そういうものを果たして使っても、何がありますかね。僕は、その薬を使っても、何も変わらないと思いますがね。」
「そんな事。」
道子は、思わずその河童みたいな顔をした老人にいった。思わず吹き出してしまいそうなその顔つきをしている老人が、今は水穂産を見ているらしい。それでは、なんだか役に立たないものを使っているような、そんな気持ちがしてしまうのだった。
「道子先生。私達は、水穂さんを真剣に、見てあげたいから、新しい薬がどうなのかとか、そういうことは、私達はしたくありません。そんなことよりも私達は、水穂産に生きていてほしいから、お医者さんに来てもらうんです。それの何が悪いと言うのですか?」
代わりに、由紀子がそういう事を言った。
「私は、医者でもないし、医療従事者でもないし、ただの素人ですけど、でも、水穂さんにずっといてほしいから、お医者さんにお願いしているんです。道子先生は、それをぶっ壊すようなことをしています。それはやめてください。」
「由紀子さん、そういう事を思うんだったら、ぜひ、新しい薬にトライしてみましょうよ。私は、そういう人の為に、新薬の開発しているのよ。それで、トライしてみましょう。」
道子は由紀子に言った。由紀子は不安そうな顔をした。
「ええ。それではそうなんですけどね。でも、最近の研究のデータでは、新しい薬を飲んで、病気を余計に悪化させてしまったような、そういう事もあるようですので、特に水穂さんのような患者の場合、よく気をつけて投与しなければならないと思いますけどね。」
と、柳沢先生がそう言うので、由紀子は更に不安になったようだ。柳沢先生も、それを投与させるのは、ちょっと、という顔をしていた。
「でも、先生がそう言うことを言うんだったら、やらせてみればいいじゃないか。まあ、少なくとも、悪くなったらどうするかくらい、知ってるんじゃないの?」
杉ちゃんがそういう事をいったため、由紀子は、そうねえとだけ一言言った。
「それじゃあ、一回だけどう?それなら、なんとかなるかもしれないし。」
杉ちゃんがそれだけ言ったので、道子は、よし!と得意満々になり、急いでカバンの中から、新薬の入った瓶を取り出した。そして、その中身を急いで水穂さんの枕元にあった、水のみの中に入れ、水穂さんにそれを飲んでと言った。水穂さんは言われたとおりに、薬を飲んだ。
「ちょっと、時間がかかるかもしれないけど、一二時間で効果が現れるわ。それで頑張って。」
道子はそう言うと、水穂さんは、静かに頷いた。道子は、明日また来るわ、と言って、製鉄所を後にした。やっと、私は、この薬を使って、やっと医者ができることができたんだ、と道子はやっとにこやかに笑えて帰ることができたのであった。
その次の日、道子の前には、新しい薬を使いたいという人は現れなかった。でも、いいんだ、水穂さんで試すこともできたのだし!と道子は自分に言い聞かせながら、医者として診察を続けた。
道子はその日一日の診察をし終えると、製鉄所にタクシーを走らせて行ってみた。きっと、水穂さんは良くなっているに違いないと思った。製鉄所の玄関から入ってみるが、水穂さんは咳き込んでいる声はしなかった。それでは、やっと水穂さんも、良くなってきたのかなと思いながら、道子は四畳半に向かったのであるが、ふすまがガラッと開いて、由紀子が立っていた。
「あら由紀子さん。水穂さんはどうしていますか?」
と、道子は聞いた。
「ええ。大丈夫ですよ。眠ってますから。」
と、由紀子は急いでそう言うが、その途中で我慢できなかったらしい。思わず声を荒らげて、
「良くもひどいことをしてくれたわね!あのあと、柳沢先生が来てくださらなかったら、大変な事になってたわ!それもみんな、あなたのせいじゃない。あなたが持ち出した薬が、こんな事になってしまったのよ!」
と言った。道子がこんなことってというと、
「見ればわかるでしょ。こんなふうになってるわ!あなたのせいよ。あなたが、余計なことしてくれたから、こういう事になったのよ!」
由紀子が見た方向を見ると、畳が真っ赤に染まっていた。水穂さんの顔には、少しぶつぶつができていたようで、いわゆるアバタができている。
「そうなの?」
道子は急いでそう言ったが、
「ええ、そうなりました。あの後、えらく咳き込みまして、全身に発疹ができて大変な事になりました。まあ、彼の場合、体質がそういう体質なので、そうなってしまったんでしょう。まあ、予測はできてましたので、それはどうなるのか、わかりましたけどね。」
奥にいた柳沢先生が言った。
「このおくすりは、体質によってえらく効き目が違うようですな。そうなってしまう人がいるということは、お忘れになってはいけません。それも考慮して処方しないと。ただ単に処方すればいいのかということはありませんから。」
道子はがっかりしてしまう。
「道子先生は、そういう人に何も考慮してくださらなかったんですね!先生、水穂さんは、道子先生の実験台じゃありません!昨日だって、そういう雰囲気が見え見えでした。どうして、道子先生は、そうやって患者を、実験台にしか見ないんですか。私、道子先生の事見損ないました!」
由紀子にそう言われて道子は何もいうことがなかった。自分の出世のために、人を利用しようとした、自分はなんて浅はかなのだろうと思った。もう一度、自分はやり直さなきゃ。そう思った。
「先生、今眠っているけど、水穂さんに謝ってもらえますか!もちろん、バカにした柳沢先生にもです。道子先生は、医者だからといって、それで謝罪も免除されるのかということはありませんよ!」
由紀子に言われて、道子は申し訳ありませんとだけ言った。由紀子にしてみれば、ちゃんと頭を下げてもらいたいと思ったようであるが、道子は、それはできなかった。
「まあ、いいですよ。道子さんがしたことだって、悪いことではありませんからね。道子さんは、水穂さんの事を思ってやってくれたんだろうし。」
という柳沢先生の言葉が、由紀子をなだめてくれたようだった。由紀子は、まだ不満そうに、大きなため息を付いた。いずれにしても、あの新薬は、水穂さんには効果はなかったのだ。それは、事実として、受け入れなければならない。
そして、あの中島さんが、診察にやってくる日が来た。
「先生、僕、色々考えてみたんですけど、やっぱり、安全な薬をつかってほしいと思います。まだ、安全性が確立されていない新しい薬を試すのは、他の人にしてください。」
静かな口調で言う中島さんに、道子は、言い逃れできないなと思った。それに、水穂さんにさせたような、辛い思いを、彼にもさせたくないという気持ちも湧いたのであった。
「わかりました。それでは、そうしましょう。よろしくおねがいします。」
道子はそれだけ言った。
まるでぼくらは実験台? 増田朋美 @masubuchi4996
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