親子喧嘩

 顎に鋭い衝撃が走った。


 手加減など無い、容赦の無い一撃。

 わざわざ顎を狙うあたりいい性格をしているなと、ゼノン――もとい路乃は思う。


 これはまだ物語、いや、ゲームの序章に過ぎない。

 育ち盛りの10歳前後。

 同年代の中でも小さなゼノンの身体は、いとも簡単に、無様に、地面をバウンドして転がっていく。

 だが、ゼノンは痛みに顔を歪めるでも無く、ゆっくりと身体を起こした。


 そしてすぐに片膝を着き、頭を下げて述べるのである。



「申し訳ありません。父上」



 今しがたゼノンを殴り飛ばした張本人。

 ゼノンが"父上"と呼ぶその男へ、ゼノンである路乃は、首を垂れる他ないのである。


 そんなゼノンを見る父上と呼ばれた男、――ゼニウスは、氷の様に冷たい表情で応接間の壇上に立っていた。

 真っ白な肌は雪のようで、生気はまるで感じられない。

 まるで温もりを知らぬといったような、そんな冷徹な雰囲気を醸し出している。



「――俗物ごときに遅れをとり、傷を負うとは。なんたる怠慢、なんたる未熟」



 ――傷。

 と言われると思いたる節はこれしか無い。

 路乃――もといゼノンは、自身の左頬が少しだけ疼くのを感じる。


 が、今はそんな傷よりも顎がヤバい。


 パラパラとゼノンの顎から【結楯】の破片が床へ落下する。

 殴られる寸前、ゼノンは【結楯】を顎下へ展開していたが、目の前の男――ゼニウスは一撃で【結楯】を粉砕してきた。

【結楯】で防御していなければ、今頃ゼノンの頭部はスイカのようにカチ割れていただろう。


(ったくふざけた強さしやがって……。 暴虐伯爵ゼニウス。この近接チート野郎が)


 などと言えるはずもなく、ゼノンは粛々と申し上げた。



「面目次第もございません」



 ゼノンがそう告げるも、ゼニウスは眉根一つ動かさない。


 ツーっとゼノンの口端から垂れた血が、床にポタポタと模様を作る。

 未だ視界がボヤけ、定まっていない。

 どうやら軽い脳震盪を起こしているようだ。


 だが正常な判断能力はどうにか保っているようで、絶対に逆らってはいけない相手くらいは認識できているらしい。


 まあこんな頬の傷などかすり傷だ。許してくれるだろう。……と、楽観視していた自分を、路乃は後になって殴りたくなるのだった。



「――この痴れ者が。貴様は満足に仕事一つこなす事も出来んのか。――いや、もう必要あるまい。貴様には愛想が尽きた。あの娘は、今夜中に始末しておけ」



(あれ――?)


 始末?

 いやいや待て待て。


 ゼニウスの言うあの娘とは、もちろんシェナのことを指している。


 しかし、ここでシェナを殺せとはどういう事だろうか。


 つまり、つまりだ。


 シェナを殺すということは、攻略対象である主要キャラが1人死ぬことになるのだが?


 無論、こんな展開はゲームでは無かった。



 シェナは王国屈指の大貴族の関係者だ。

 彼女は大貴族のご息女。

 "シェーオルド侯爵家"の令嬢である。


 だがそんなシェーオルド侯爵家も今は落ち目。

 王国内の敵対派閥から滅ぼされる運命にある。


 ――が、そんな最中、王家は内乱による国の乱れを危惧していた。

 他国との戦争イベントが盛り沢山なこのゲームにおいて、王国の周り360°には、虎視眈々と王国への侵略を目論む国々が牙を研いでいる。

 大規模な内乱でも起きれば、王国へ周辺国が侵攻してくるのは必定。

 それを恐れた王家はどうにか事を納めようと考えた結果、ある貴族へ、シェーオルド公爵家の謀殺を命じるのだった。


 その命が下った貴族、それがゼノンの実家、"ゾディアール伯爵家"である。


 王国屈指の武闘派集団である"ゾディアール伯爵家"。

 そんなゾディアール伯爵家の暗躍により、シェーオルド侯爵家は一夜にして王国から姿を消す事になった。


 ――シェナ1人を除いて。


 ゾディアール伯爵家は、古くから王国を裏側から支える殺しの専門組織を担っている。


 そんな物騒な組織に必要となってくるのは、やはりお決まり、命令に忠実なキリングマシーンである。


 ゼノンも例外ではなく、幼少より厳しいしごきを受けている。

 人の殺し方だけを徹底的に叩き込まれて育ったゼノン。

 彼は今年で10歳となる。


 そんな中、なぜシェナだけを生かして連れ帰ったのかと言えば、それは目の前にいる"ゾディアール伯爵家"の当主――"ゼニウス"の命によるものだ。


 その理由は、何とも儚いものである。


 ゾディアール伯爵家は、10歳までのに耐えることの出来た者に対し、一人前のキリングマシーンを育て上げるためのを行う。


 これがまたえげつない。


 ギャルゲーにこんな鬱要素が必要なのかと、路乃は何度も思った。


 その仕上げの内容は以下の通りである。


 まず、10歳の頃より5年間、同じ年頃の者を本人に預ける。


 無論、その者は逃げられないように拘束されているのだが、本人にはその者へ敢えて甲斐甲斐しく世話をやかせるのである。

 その後、慣れてくれば、寝食や生活を共にさせるのだ。


 そして5年後、15歳の誕生日を迎えたその日に、――本人にその者を殺させる。


 5年という長い月日を共にした者を殺すのだ。

 いくら冷徹な心を持っている者でも、そこに情を一切挟む事の無い者などいない。

 そんな相手を自身の情を押し殺し、殺すことに意味があるのだろう。

 人殺しに忠実な人格を作り上げる為。

 それが、仕上げという名の最終試練の意義である。


 それをクリアすれば、ゾディアール家による一人前のキリングマシーンが誕生するというわけだ。


 何とも悲惨な話しである。


 さて、本人に預けられるその者であるが、無論死んでも何も不都合が無い者でなければならない。


 何故なら、その者は5年後に死が確定しているからである。


 なお、仮に本人がその者を殺すことを拒んだとしても、本人に代わり"ゾディアール伯爵家"がその者を処分することになる。


 この、という条件と、10歳辺りという条件を満たしていたのが、滅ぼされたばかりの"シェーオルド公爵家"の令嬢、シェナであったのだ。


 察しの通り、シェナは、今年10歳になったばかりのゼノンの仕上げの相手をするため、連れて来られたのである。


 ゲームでは後に、主人公によってシェナは殺される前に助け出される訳だが――。


 シェナが今死んでしまっては、いくら主人公でも助けようが無い。


 明らかにストーリーが、ゲームが意図していた方とは違った方向へと進もうとしている。


 シェナによって受けた左頬の傷。そしてテオの生き残り。

 これはゲームが意図していない展開で、路乃が勝手にやったことなのだ。


 どこかで何かしら皺寄せが来るのでは? と思ってはいたが、いくら何でも早過ぎはしないだろうかとも思う。


(というかこのゲーム、クリアしたらどうなるんだ? まあ、現状クリアできる気もしないし、クリアする気もないけど)


 どうやら、ゼニウスはゼノンが頬に負った傷について強く言及しているようだ。


 いくらゼノンが最弱認定されており、一族の端くれとは言え、弱小な人間相手に反撃を許し、あろうことか傷をつけられのだ。


 え? 傷一つでそんなキレられんの? とも思ったが、眼前のゼニウスはマジのようである。


 当初はシェナを使ってゼノンのを行う予定だったが、資格無しとみなされたのだろう。


 無論、せっかく連れてきたシェナも用済みだ。


 故にゼニウスは、シェナを始末しておけと命じたのだろう。


 このゲームのラスボスに対してこの扱い。

 側から見れば失笑ものであるが、それは将来に限って言える事だ。


 ゲーム序盤、現状のゼノンはそこまで強いとは言えないのも事実。

 故にゼノンの力をもってして何とかしてやろうにも、目の前のゼニウスに勝って何とかするという選択肢は無い。


 歯向かったところで、ゼノンは現状絶対にゼニウスには勝てないのだから。


 ここで下手な受け応えをすれば殺処分もあり得る。

 実の息子を気に入らないからと惨殺。

 そのくらいのことなら、ゼニウスは本気でやりかね無いことを路乃は知っている。


 故に路乃は未だに揺れる脳をこれでもかと回転させ、知恵を絞るのだ。


 "ゼニウス・ゼタ・ゾディアール"

 王国の大貴族、ゾディアール家の当主であり、ゼノンの実の父親である。

 またの名を"暴虐伯爵ゼニウス"。

 ゲームでは王国きっての武闘派として描かれており、何を隠そう、コイツはいわゆる中ボスとして登場してくる悪役である。

 その本質は近接格闘全振りの肉薄狂でありながら、【水属性:氷系魔法】の使い手でもある。


 このおっさんには何度攻略対象である主要キャラを殴り殺されたか分からない。

 最初から最後まで、コイツに近接戦を挑んだ時点で敗北が確定するというふざけた相手であった。


(親子揃って悪役とはね。涙が出ますよ)


 ゼニウスの真っ白な肌は"ゾディアール伯爵家"特有のものだ。


 人を殺し過ぎて血の気が引いたとか、悪魔の血が流れているなどと揶揄されてはいたが、彼はちゃんと人間であるし、ゾディアール伯爵家にいる人々も普通に人間である。


 だが、ゼノンは伯爵家の血が流れていれば必ず使うことができる【水属性:氷系統魔法】の一切を使う事が出来ない。


 ゼノンはその代わり、【無属性魔法】と呼ばれる魔法を使うことができる。


 その内容は半透明の青い物体を好きな形にできるという、側から聞いたら微妙そのものな魔法である。

 やはりというか何というか、この世界においてはクソ雑魚魔法との誹りを受ける不遇属性である。


(まあ……、ゼノンが操るその無属性魔法が強すぎて完クリできなかったんだけどな)


 おかげでゼノンはゾディアール伯爵家から疎まれており、無属性魔法のせいで家の外にも居場所が無い。


 ラスボスとはいえ、全てに恵まれているとは言えないのが、この"TRUE NORTH FANTASY"が一筋縄では無いところなのだが……。

 いかんせん、このゼノンと言うキャラは救いが無さ過ぎて同情するレベルである。

 まあ敵キャラの後ろ暗い過去など、ありがちと言えばありがちなのだろうが。


 さて話を戻そう。


 このゼニウスという近接狂。

 コイツはが大嫌いである。

 ゲームでの一幕であるが、ゾディアール家の次男がちょっとした嘘をゼニウスに吐いたことがあった。

 無論次のコマで、次男はゼニウスにより半殺しの目にあっている。


 それもそのはず、この近接狂ゼニウスは真実を見抜く能力を持っている。

 正確に言えば、事実から逸れたことを相手が発した瞬間、ゼニウスにはそれがわかるのである。


(まあその設定が判明するのはもうちょい後なんだけどな……、とにかくここで嘘を吐くのはなし。嘘にならなければいいのだ、そう、事実から外れたことを言いさえしなければ――)



「父上、僕はあの少女を殺したくありません。この僕を傷付けるに至ったあの胆力、あの覚悟に惚れたのです。この名状し難い感情を抑えることはできません。不肖の身でありながら、どうやら僕は恋をしてしまったようです。父親、――僕は本気です」



 そうゼノンが告げた瞬間、2人の間がシーンと静まり返える。


 そしてその静寂を破るように、ゼニウスの青筋がピクリと動いた。



(あれ? 正直に言ったんだけどなんかめっちゃ怒ってね? いやいや嘘は言ってないぞ! ゲームやっててキャラが好きだったのは事実だから!)



 無表情のゼニウスは、笑っていない目をゼノンへ固定したまま、ゼノンへゆっくりと近付いてくる。


 首を垂れたままのゼノン。

 冷や汗が首筋を伝うも、顔を上げることが出来ない。


 ゼニウスが歩きながら僅かに右手を動かすと、パキパキと氷の霧がが後方へ流れていく。


 その音を聞いたゼノン――路乃は、床を見たまま目を見開いた。



(ヤバい――! この音! 間違いなくアレが来る! 絶対に来る! 何度も煮湯を飲まされたあのクソ技……魔技が来る!)



 ――瞬間、路乃は魔法発動の準備をする。

 無論、発動させたのは防御魔法の【結楯】。



(くそッ……ラスボスのくせに序盤のゼノンは性能が微妙過ぎるんだよ! まあ確かにこうなったのは俺のせいだよ? ゲームではゼノンはシェナに傷を負わされたりしなかったからな)


 避けるという選択肢もある。

 が、避けたら確実に殺される。

 それは確信に近い。

 何故なら、ゆっくりと歩み寄るゼニウスのこのパターンは、間違いなく敢えて受けろと意思表示をしているに他ならない。


 だが――奴が繰り出そうとしている技が技である。



(ほとんど確殺の一撃じゃねえか! ゲームの中盤以降でしか見ねえ技こんな序盤に軽々しく出してんじゃねえよこの近接馬鹿が! どこの世界にそんなもん息子の後頭部にぶち込もうとする親父がいんだよ! ふざけろ!)



 氷結がゼニウスの右手を覆うと、彼の目端に文字が浮かぶ。



 ――【水属性氷系統魔技/第3階位 : 白撃】



 それとほぼ同時に、ゼノンの目端にも文字が浮かんだ。



 ――【無属性魔法 : 結楯】

 ――【無属性魔法 : 結楯】

 ――【無属性魔法 : 結楯】



 ゼノンの後頭部に3枚の【結楯】が張られた瞬間、ゼニウスの【白撃】が真上から打ち下ろされた。


 途端に耳をつん裂くような轟音が室内に鳴り響く。


 地面がいとも簡単に割れたかと思うと、砂塵と瓦礫が破裂したように辺りへ飛散する。


 窓ガラスが割れ、部屋の中にあった椅子やテーブルは木っ端微塵。


 その砂塵が引いて数瞬後、――ゼニウスの足元、もといゼノンがいた場所を中心に、巨大なクレーターが出来上がっていた。


 まるで爆弾が地面へ直撃したかのような衝撃。

 そんなふざけた一撃を簡単に生み出したゼニウスは、顔色一つ変えていない。



「……」



 確実にゼノンを捉えたという、確かな手応えを感じたゼニウス。


 ゼノンが死んだのであればそれまでだと、ゼニウスのゼノンに対する認識はその程度である。


 しかし彼は、ゼノンへの直撃を確信しながらも、僅かな違和感を感じていた。

 故に少しばかり眉根を動かし、何を思ったのか拳を振り抜いた状態のまま彼は数瞬動かない。


 ……が、やがて無表情のまま、彼はゆっくりと腕を地面から引き抜いた。


 拳の指からパラパラと【結楯】の破片が落ちていく。


 それを見たゼニウスは僅かに瞳を細める。


「……」


 そして何かを理解したのか、右腕を払い、拳に付いていた【結楯】の破片を辺りへ撒き散らした。


 そんな彼の瞳に宿るのは純粋な怒りと呆れ、憐れみ、そして――

僅かな喜びの感情である。


 地面にめり込み動かないゼノン。


 そんな彼を一瞥し、ゼニウスは部屋の扉へと向かう。


 何ごとかと、屋敷の使用人が扉を開けて飛び込んでくると、すぐに口に手を当てて唖然とした表情になる。


 そんな使用人を意に介さず、部屋から出ようとしたゼニウス。

 だが部屋を出る直前、彼は振り返らずにゼノンへ言い放った。



「――仕上げは予定通り実行だ。あの娘、貴様が責任を持って管理しろ」

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ギャルゲーの最強悪役に転生した俺はひっそりと暮らしたい ハムエッグ先輩 @taidan

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