書けない第2章
諸君は言霊という言葉を信じているだろうか。言葉には力が宿っており、言葉を発するとその言葉通りの力が発せられる、というものだ。例えば「お腹がすいた」と言うとお腹がすいてくる。「お前なんて嫌いだ」なんて言うと相手のことが嫌いになってくる。「非課税の十億円が欲しい」と言うと非課税の十億円が……なんてことはないが。まぁこういったようにその言葉を発することでそれが現実になる、といったようなものだ。私は言葉を発することで自身で認知してその通りの行動が起きるものだと考えているが、まぁその辺りの考察は野暮なので止めておこう。
私はこの言霊というものを存外に信じているということに気付いた。小説を書く身だからか、はたまた日本人の気質か、言葉の力というものにある程度の信頼を置いている。自身が日常的に使う言葉にも気を遣い、小説の中の登場人物の言葉にも気を遣っている。もちろん乱暴な言葉を使う人物であればそのようにするものだが、前提として言葉には一定の力がある、と考えながら生活している。
なぜ突然このようなことを考え始めたかというと、今私はある言葉を発するかどうか、迷っているからだ。その言葉はまさしく今の私の状況にふさわしいのだが、この認めたくない状況を認知して実現させてしまう恐ろしさも抱いている。その言葉を発するべきなのに、言葉を発することを恐れているのだ。
時計の規則正しい音が響く。腕を組みパソコンに向き合い沈黙する私。どのくらいの時間こうしていただろうか。私の脳内にくっきりと諦めの二文字が浮かび始める。ああ、言ってしまおうか。言ってしまえばいい。悪魔が囁く。いやまだやれるはずだ。天使は戦う。抗う。己の今日の可能性に賭ける。
ふと時計の針が12を指して低い音を響かせた。アンティークショップで購入したお気に入りの壁掛け時計だ。その時計が鳴ったということは十五時になってしまった。おやつの時間だ。悪魔が増えた。天使は押される。人間は食の誘惑には勝てない。唾をのみ込む。息を吸う。吐き出す。心を落ち着かせてしまうともはや全てがどうでもよくなってきてしまった。天使も悪魔もどうでもいい。私は全てを受け入れることにして口を開く。その言葉を発するために。
「……書けない」
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