書けない

「書けない」


 心の中に浮かんだ言葉をそのまま音にすると、不思議なことにそれが現実になってしまう。言霊というやつだろうか。言葉を発したとともに私の指は止まった。


「……書けない」


 もう一度呟く。唯一音を発しているエアコンは見事にスルーしてくれている。いやエアコンが「そうだね」なんて返事を返したらどうしよう。なんの変哲もない一人暮らしの部屋で突然ファンタジーが始まってしまう。エアコンから始まる話ってジャンルは現代ファンタジーでいいのかな。……いやいやそうじゃない。見事な脱線だ。今向き合わなきゃいけないのはエアコンファンタジーじゃない。目の前のパソコンで書いている一作だ。

 ネタは出来上がっているのだ。なのに指が進まない。先ほどまでは順調だったのだ。うんうん唸りながら書いたものを消してまた書いて消して……いつも通りの作業を繰り返していたのに、なぜか指自体が止まってしまった。


「……書ける。私は書ける」


 言霊を打ち消すために新たな言霊で上書きする道を選んでみた。そう、私は書ける。だってネタはあるのだ。あとは文章を頭の中で組み立てる。そうして出来上がったパズルを、指を通してパソコンに映し出すのだ。さぁパズルを……ああっ!ピースが上手く嵌まらない!


「…………」


 頭の中なんて見えない場所に書いているからいけなんだ。とりあえず書いてみよう。それから考えればいい。頭に浮かんだ言葉を打ち込む。……何だろう、小学生のような文章が見える。こんなにも単純な言葉しか浮かばないのか。なんだか落ち込んできた。……やっぱり止まってしまった。行き当たりばったりなんかで書くからだああもう。

 そしてここでもう一つの問題が浮上してきた。先ほどのエアコンファンタジーが脳内を侵食し始めたのだ。ひと昔前に流行った脳内で考えていることを文字で表すアレが今もあるならば、私の頭の中は今「エアコン」で埋め尽くされているだろう。

エアコンが喋っている。勝手に喋っている。ああこんなことが起こりえるなんて……動揺する私にエアコンは衝撃的な一言を告げる。「君たちの住む世界は……実は……」。


「……………………」


もうだめだ。諦めた。


「……エアコンファンタジー書くか」


こうして私は新規ファイルを開くのであった。

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