第19話 お館様と玉藻の親心

 それから数刻が経ったころ。

「おやまあ」

 玉藻は翼に包まれて眠る白夜と隣で寝息を立てるお館様を目にして声をもらした。

 玉藻が梯子を使うことはない。体は宙に浮かんだままである。九本の尾がゆらゆらと宙を舞い、白い衣の裾はふくらんで波打つ。

 黒天狗はすっと目をあけると唇に人差し指を立て振り返った。

「玉藻」

「お目覚めでしたか、お館様」

 ――静かに。

 隣で眠る白夜のためであろう。

 意図を汲んだ玉藻はお館様の隣に舞い降り、小声で話した。

「白夜が半日で戻ってきた」

「五年ですか」

「五年だな」

 二人の眼差しは温かく、白夜へと向けられる。

 普段、目を釣り上げて怒鳴り散らす黒天狗も嬉しそうに頬を緩めた。

「あそこらのあやかしは強いものばかりです。それを倒しながら半日で戻るとは。人の身でもありながら、五年で達成するとは尋常ではありませんね」

「よほど精進したのだろうよ」

「させられた、と言った方が正しいような気がしますが」

「こいつは半分人間だからな。あやかしの仲間でもあり獲物でもある。己の身を守るためにも、早く力をつけさせねばならなかった」

「わかっております。いつかきっと白夜も感謝する時がくるでしょう」

 玉藻は白夜の唇に落ちた髪を指先ですくい取り、小さく上下する肩の後ろに流す。

 五年前は骨と皮だけの薄汚い童だったのに、成長した白夜は世辞でもなく信じられぬほど美しくなった。玉藻はうっとりと目を細める。

「わたしは初めて会った時からわかっていたのですよ。この子はきっと美しくなるだろうと」

「おまえはあの時、そんな事を考えておったのか?」

「ええ。それなのに殺して欲しいだなんて。せっかくの原石が失われるのではと、ひやひやしました」

 愛おしそうに白夜の頬をなでる玉藻はすっと眉を寄せた。

 黒天狗は呆気に取られながら、なんとも形容しがたい表情を浮かべる。

 あの時の冷ややかな眼差しにそんな意味がこめられていたとは白夜も思うまい。

 心底、何を考えているのか理解に苦しむが、玉藻の言うことはもっともである。

 十三となった白夜に昔の面影はほとんどない。

 肉づきもよくなったし、筋肉もついた。かといって熊のような体躯ではなく、しなやかに引き締まった肢体である。

 毎日桃を好んで食っているのは相変わらずだが、玉藻が飯を作ってやっているのもあるのだろう。

 玉藻に任せると食えたものではないので、黒天狗まで包丁を握ることになってしまったが、その甲斐もあって背丈も伸びた。同年代の人間と比べて発育はいい方であろう。

 いまはまだ黒天狗に届かないが、あと数年も経てば同じくらいにはなる。

 加えてこの美貌だ。あの小汚い童がまさかこうなるとは。

 口を開けば馬鹿だの阿呆だのと口は悪いが、こうして黙って寝ておれば十中八九、女子おなごと間違われる。

 女子として生きておれば、この容姿で帝の心さえ射止めたであろうが。

 だいたい桃色の被衣だって、白夜に似合うからと玉藻が選んだのである。

 黒天狗は強さを、玉藻は美しさを白夜に与えた。

 そうしてできたのがいまの白夜だった。

「白夜が聞いたら怒るぞ。こいつは可愛いだの綺麗だのと言われるのを毛嫌いしておるからな」

「美しさに罪はありませんよ。仮にあの時、白夜がついてこなかったとしても、わたしは迎えにいくつもりでした」

「おまえ……」

 しれっと言ってのけた玉藻に渋面を浮かべ、黒天狗は小さくため息をもらした。

「まあよい。玉藻、こいつに部屋をあてがってやれ」

「かしこまりました」

 玉藻は恭しくこうべを下げる。

 この屋敷に部屋をあてがうこと。

 それはお館様が一人前だと認めた証。

 恐らく、お館様はこうなることが初めからわかっていたのだろう。

 もう何年も前から誰も使っていない部屋をずっと取っていたのだから。

 それもこれも、お館様の教育の賜物に他ならない。

 飢餓草原の餓鬼をこっそり倒すことから始まり、湖から五日かけて戻ってくる時も影ながら援護してきたのはお館様である。

 特に白夜が寝ている間は寝ずの番をして守っていたのだから。

 まあ、文句は尽きませんでしたけれど。

 でなければ幼い白夜など、とうの昔に鬼の餌食となっていたはず。

 お館様が白夜を援護しなくなったのは一年前だから、そのころにはもう認めていらっしゃったのだろう。

 子の成長を見守る母の心境になった玉藻は、廊下を歩みながら静かに涙するのであった。


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