第14話 重い襖

 朝方、目覚めると手の中に丸い物が収まっていた。黒い蓋にはヤスデの絵が彫られている。中を開いてみると爽涼な香りがツンと鼻を抜け、薄緑色のどろどろした物が入っていた。

「薬?」

 あたりを見回してみたけど、すやすや眠る小狐以外は誰もいない。

 一晩寝て体の傷はだいぶよくなったけど、まだ残っているものもある。体を動かすとちくりと痛みがさした。

 指先ですくいとり、試しに塗ってみる。すると瞬く間に傷口が修復していく。家で包丁を刺した時と変わらぬ速さだ。白夜は目を丸くしながらも嬉しさに顔を輝かせ、全身に塗りたくった。

「ふん」

 その上空には、撫然として鼻を鳴らす黒天狗の姿があったのだが、白夜が知るよしなどない。



 あの腹のでっぷりとした鬼は餓鬼という低級のあやかしなんだそうだ。

 玉藻は食べ物を放ってやれば食いつくから、その隙に逃げればいいと教えてくれた。

 もう一つ、わかったことがある。

 あやかしは同種からの攻撃で傷を負うし、死ぬこともある。

 あやかしには妖力というものが備わっていて、互いを攻撃する武器となるんだって。

 だから鬼と遭遇したら気をつけなさいと言ってくれたけど、強くなるためには逃げてばかりいられない。

 下級というなら、まずはあいつらを倒せるようにならなくちゃ。

 そう意気込み勇んで出かけたまではよかったけれど、結局また大勢に攻撃されて黒姫の盾に引きこもり、気づけば餓鬼が腹を真っ二つにされて死んでいるという始末。

 死因はよくわからなかったけれど、そのたびに感謝した。

 何に感謝したのかって、それもよくわからないけど。

 

「お館様。桃をお持ちしました」

 今日もまた襖の前までやってきた。

 餓鬼を倒すことはまだできないけれど、防御することはできる。

 そのため、初日よりも傷はだいぶ少ない。

 餓鬼草原とお屋敷を何度となく往復しているおかげで体力もついてきたし、もう門の前でへたり込んだりしなくて済む。

 堂々と廊下を渡って自分の足でやってきたのだ。

 白夜の顔は自信に溢れていた。

 しかしそこで問題が起きる。

 いつも襖の前にいる玉藻の姿がない。

 それで奥にいるはずのお館様に呼びかけてみたら。

「入ってこい」

 お館様の声が短くそう告げたのである。

「入ってこいって……これ、どうするの?」

「開けてくればよかろう」

「開けてくればって……そんな簡単に」

 白夜は天高くそびえる襖を見上げて茫然とつぶやく。

 凄く重そうに見えるけど、もしかして意外と軽いのだろうか。

 そんな期待をこめて桃を床に置き襖に指をかけた。

「ふんっ」

 気合いを入れて引いてみたが、びくともしない。

 まさに予想通り。

「開かないよ!」

「なら帰るのだな」

「せっかく桃を持ってきたのに」

「おれのために持ってきたのなら寄越せ」

「どうやって!」

「開ければよいだろうが」

 気のせいかもしれないが、奥からくくく、と意地の悪い笑い声が聞こえた気がする。

 白夜の頬は餅のようにふくらんだ。

「開けてよ!」

「ほう。強くなりたくないのか。入って来れたら、あの餓鬼どもを倒す方法を教えてやろうと思っていたのだがな。実に残念だ」

 残念そうに聞こえない声でお館様はそんなことを言った。

 白夜の頬はさらにふくらむ。

「入ってやるから!」

 そこから襖と格闘すること数時間。

 何度も「ふんぬううっ!」と気合いを入れては指先を引き、ぜいぜいと呼吸をしてまた気合いを入れる。

 最初の半刻ほどで目を細めて正面がぼやけて見えるくらには隙間を開けた。それを幾度となく繰り返し、肩が入るくらいまで開けたあとは、体を横に滑らせ尻を使って押し開く。最後は背中と両手両足を使って蹴り飛ばした。

「はあっはあっ、見たかっ! 開けたぞ!」

「ご苦労。では桃を寄越せ」

 お館様は酒盃をかかげながら、口角をつりあげた。

 肘置きにゆるりと横になって唇を濡らし、汗だくの白夜とは違って涼しげな表情である。

 あれだけ四苦八苦していたのに、お館様はずっと酒を呑んでいたのか。

 そう思ったとたん、ふつふつと怒りが湧き上がり、白夜の中で何かが切れた。

「お館様の馬鹿野郎――ッ!」

 顔を真っ赤にして叫ぶと、お館様は近くにいた天狗に酒杯を投げつけ目をつり上げた。

「なんだと! もう一度いってみろ!」

「飲んだくれの黒天狗がっ! 呑んでばかりいるから、ちゃんとした天狗っ鼻にならないんだぞっ!」

 ごんっ!

 その直後、白夜は意識を失った。

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