貞操観念逆転世界の悪役令息に転生したのでトラウマに負けず生きてやる

硝子匣

貞操観念逆転世界の悪役令息に転生したのでトラウマに負けず生きてやる

「わたくしハルモニア王国第一王女エリザベータ・オトレーレ=ハルモニアは、マルファ公爵家令息リカルド・ローヌとの婚約を破棄することをここに宣言いたします!」

 金髪碧眼に豪奢なドレスや宝石で着飾った美女が、周囲の注目を大いに浴びながら堂々と言い放つ。その姿はまさに、次期女王としてその王威を示すに相応しい程に華々しきものであった。

 それが、王立学園の卒業夜会の最中という舞台でさえなければ、の話だが。

 ビシリと、たたんだ扇を僕に突きつけている威風堂々たるその姿は本当に美しく、並いる人をしてその目を放させないだろう。

「そしてこれからはこのジョン・ドゥと共に歩んでいくことを宣言しますわ!」

 赤茶色の髪と長身でありながらも線の細い男の腰を抱き寄せる。

 一瞬、ジョンはこちらに目を向けるもすぐさま顔を伏せた。

「殿下、まずは落ち着いてください。ここは私的な場でも、政の場でもございません。ことは王家とマルファ公爵家、そして様々な人々に関わる大事です。正式な文書と共に協議いたしましょう」

 ひとまず、この場をなんとか治めたい。楽団の音楽やそれに合わせて踊る者たちも、豪勢な食事や談笑を楽しむ者たちも、皆一様にその行動を止め僕たちを注視している。

「いいえ、それには及びません。あなたのように男子にあるべき貞淑さを忘れ、あまつさえ平民出身というだけでジョンに危害を加えるなど、この国を支えるべき貴族、ましてやわたくしの王配として相応しいものではありませんわ!」

「私の行いについて、思うところがおありのようですね……申し訳ございません、殿下の婚約者として至らぬ身ゆえその叱責はお受け致します。ですがどうか、ここは一度退出のうえ、お話を、」

「くどいですわよ、この浮気者! いかに言い訳を並べようと、わたくしの意志は変わりませんわ」

 昔から、エリザベート殿下は頭に血が上ると一直線なんだよなぁ。普段は王族として鷹揚かつ理知的な人なのに。特に今回は、ご執心のジョンが関わるとなるとなかなか引いてくれそうにない。

 とは言え、学園の卒業夜会の出席者は学園の生徒やその家族、つまり貴族たちが占めるわけで、こんなスキャンダラスな展開を放っておくわけにはいかない。王家にとっても実家のローヌ家にとってもとんだ醜聞だ。

 だというのに、

「男の身と言えど、そのような態度は目に余ります。妹として恥ずかしいわよ」

「軟弱なだけでなく、潔さもないとは。これだから男は」

「君の悪行は調べがついている。この場で開陳してもよいのだよ」

 順に僕の妹、王国軍元帥のご令嬢、宰相のご令嬢という殿下のお傍付きが僕を取り囲みながら言い募る。殿下を諫めるどころか火に油を注ぐような物言いをしないでくれ。

 周囲に言い様のない雰囲気が流れているのを感じる。どうしてこうなった。考えろ考えろ考えろ、どうすればこの状況を治められるのか。



◇ ◇ ◇ ◇



 マルファ公爵家令息にしてハルモニア王国第一王女の婚約者リカルド・ローヌ、それが僕の名前である。しかし実は僕はもともとこの世界の人間ではない。いや、正確には異世界で過ごしていた頃の、つまりは前世の記憶を引き継いだ所謂異世界転生者。

 ゲームと歴史が好きなだけのただの男として過ごし、齢三十にしてとある出来事をきっかけに自身でその命を絶った。それがどういうわけか気付けば、この世界に生まれ変わっていたようだ。

 と言っても、そのことに気付いたのは五歳の頃。身体が弱かったらしい幼い僕は一つ年下の活発な妹の可愛さに負けて、屋敷や庭園を好き放題連れまわされた挙句、池に落とされ生死の境をさ迷うこととなったのである。

 最初は意味が分からなかった。というより、そもそも死にかけた幼い身にいきなり三十年分の前世の記憶が降りかかってきたのだから、幼い自分と前世の自分とが混じり合い、目覚めると同時に胃の中のものをぶちまけ、高熱を出し再び寝込んだのである。

 夢や妄想の類と切り捨てるには実感がこもっていた。仮に死にかけたがゆえに気が狂ったとして、どうあれ幼子にしては精神年齢が一気に高くなり過ぎたことは事実である。

 まあ、とにかく五歳の僕は前世との統合を果たしたのである。記憶を取り戻したことで性格や振る舞いが変わって周囲に違和感を、なんてベタなイベントが起きなかったのは僥倖であった。

 幼いリカルドは、三十路の精神が入り込んでもなんとか誤魔化せる程度にはおとなしく物分かりのいい子どもであったようだ。

 ヨーロッパ風、剣と魔法のファンタジー世界。僕の好きな世界観だ。しかもその世界でもかなり地位の高い公爵家に生まれたことで僕は大喜びをしていた。強くてニューゲームとでも言える今世をどうやって生きていこうか、ことと次第によっては前世の現代日本では為せないような英雄的、偉人的振る舞いもできるのでは、と浮かれていた。


 しかし、この世界のことを知るにつれ僕はどうやらとんでもない状況にあるということが判明したのである。


 僕が生まれたこの世界は男女の貞操観念が逆転しているのだ。権威的にも女性優位であり、膂力や魔法の適正は女性の方が圧倒的に強く、精神面でも勇猛さや積極性という点では女性の方が旺盛である。権力者も家督を継ぐのも戦場に立つのも女性がほとんど。特にこのハルモニア王国では女性こそが強さの象徴であり、男性は軟弱ゆえ女性の庇護下にあるべきという思想が根付いている。ともすれば貴族であっても、男性というだけでコミュニティ内で虐げられることすらあるのだ。

 前世の価値観が通用するとは思っていなかったが、これはさすがに想定外である。貴族という上位階級にいながら、被虐の対象でもあるという矛盾。

 自殺してまで逃げ出した前世のトラウマが朧気に、しかし不意を突いてフラッシュバックしてくる。なんとか、この世界で生きていくのに必要な常識を身に付けるしかない。それに慣れるしかない。

 こうして身体だけ幼い僕は明るい未来への希望を捨て、新たな人生をただ平穏無事に過ごせるようにと決意を固めたのである。



◇ ◇ ◇ ◇



「リカルド、お前にはこの国の第一王女の婚約者となってもらう」

 僕の母、マルファ公爵が言うには様々な政治的しがらみで王家に縁深きローヌ家から婿を娶ることが決まったらしい。他国から婿を取るという話もあったらしいが、それを置いてでも国内での影響力を考慮しなくてはならない程度にはこの国もいろいろあるらしい。

 正直、お断りしたい。が、そんなことできるわけもなく僕は齢十歳にして将来が決まったのである。

 上位貴族に生まれたことがこんなにも憂鬱であったとは思いもしなかった。その上この世界は女性優位、どう考えても僕には生き辛い。なんせ、自殺の原因でありトラウマとなっているのがまさにその女性なのだから。

 と言っても何のことはない。モテない男が女性に騙され貢がされ、傷心の果ての自殺。三十年生きればそれなりにいろいろあるけれど、せめて来世では女性がらみのトラブルは避けたいと願いながら死んだのに。結局生まれ変わった先でも、どうあろうと女性との厄介ごとに見舞われる予感しかないのはどういうわけか。

 この世に神はいない。少なくともこの世界で信仰される女神は、男には厳しいのだ。



 ところで、この世界では童貞であることが貞潔さの証として求められる。それは貴族男性であればなおのこと。

 それと同時に女性の性欲が思っていた以上に強いようで、所謂性的被害に遭うのは男性である。困ったことに、どうも転生先の僕は容姿が優れていて、多くの女性を魅了してやまないらしい。

 次期国王の婚約者という役割、公爵家の令息としての生まれと美貌、これだけあれば事件に巻き込まれてしまうことも当然で、つまるところ幼い僕は誘拐の憂き目に遭い危うく純潔を散らすところであった。

「リカルド! 大丈夫だったかい? 変なことはされていないかい?」

「急ぎ一角獣の血を持ってこい。リカルドが穢されていないか調べる」

 父は慌てふためき、母はどっしりと構えながらも苦い顔をしている。

 この世界の一角獣は処女ではなく、童貞を愛するらしい。しかし獰猛な一角獣を御するのはコスパが悪いので、その血を代わりに使うそうだ。一角獣の血は青白く童貞の血と混ざることで明るく鮮やかな青に変色し、非童貞の血と混ざることで暗く濁ってしまう。幸いにも僕の童貞は証明され、一応貴族男子としての面目は保たれたわけである。

 とは言えやはり女性は恐ろしい。恐怖症とまではいかなくとも、やはり女性に関わると大変な目に遭うことがわかった以上は対策が必要だ。

 ひとまず護身の為にと剣術修行を始めることにした。勿論、普通の男子は剣術なんて嗜み程度かそもそも剣を握ることなんてない。にもかかわらず、本格的な修行をする僕を周囲はあまりいい顔では見なかったが、危険な目に遭ったことを苦に、と口にすれば渋々納得するしかない。

「男が剣術なんてどうかしているよ、君は貴族なんだから護衛をもっと付ければ済む話じゃないか」

「好きにしろ。ただし、下手に傷をつけたり鍛えすぎて男らしさを損ねる真似はするな」

 何とでも言ってくれ。僕はたとえ女性優位の世界でも今世では女性に負けるような生き方はしたくないんだ。

 剣術の修業は思いのほか順調に進んだ。と言っても、膂力ではやはり女性に叶わず、小手先の技術で逃げることに特化した戦い方を身に付けるに終始していたが。

 それに加え、この国で流行っているチェスのようなボードゲーム(ここでは『城棋』と言うらしい)にも手を出してみた。こちらも男性の趣味としては似つかわしくないようだが、前世のゲーム好きの血が騒ぎそれなりの腕前に。

 そして妹可愛さから共に付き合った淑女としての英才教育にと、あまり男らしくないことばかりしている僕を、紆余曲折の末に婚約者となったエリザベータ殿下はあまり好ましくは思わないようで、なかなか打ち解けることができなかったのは悔やまれる。

 これが尾を引かなければと思っていたのだが。



 さてそんな悩みなどはつゆ知らずとばかりに、とうとう王立学園への入学時期がやってきた。この学園は国内の貴族はもとより宮廷高官、叙勲騎士の令嬢・令息の多くが十五歳の年に入学し三年の学びを経て卒業する。

 エリザベート殿下とは同い年の為、同学年として入学することになる。何事もなければ、学園で共に青春を過ごし卒業後は正式に婚姻を結ぶ。世間的には男らしくない僕でも、同じ空間で過ごせば多少は殿下とも打ち解けられるのではないかと考えていた。

 しかしそれが甘い考えであったことを思い知らされたのは、入学式でのことであった。

 本来なら限られた地位の縁者しか入学できないはずの学園に平民出身の男子が入学するというのである。どうやら平民には珍しく魔法の適性があり、しかもそれが王族にもいないような神聖なる力を発現していると。そして教会は彼を今世の生きた聖人として祀り上げ、国王陛下から特例を受けて入学を果たしたのである。

 それがジョン・ドゥという、赤茶色のふわふわとした頭髪と線の細い、子犬チックな少年であり、彼の入学により学園内に大きな波紋が呼び起されたのである。

 その筆頭は我が婚約者様である。幼い頃から将来を約束された僕に比べなんとも(この世界基準での)雄々しい少年、その特異な才能も含め殿下の興味をそそるのはむべなるかな。

 反して、平民を快く思わないご令嬢ご令息方には嫌がらせを受けることも。

 と、ここまで来ると自分の立ち位置が所謂乙女ゲームの『悪役令嬢』ならぬ『悪役令息』じみていることに思い至り、まさかそんな破滅フラグじゃないよなと戦々恐々としていた。

 しかし、そもそも貞操観念が逆転した異世界へ転生だのを果たしている以上、さらに乙女ゲーム的破滅フラグがあってもおかしくはないのだ。

 となると、婚約者にあまりいい顔をされず、一部では殿下のご寵愛を受けるジョンに嫉妬して嫌がらせをする筆頭格との謂われない噂を拡げられている僕は、まさに破滅街道まっしぐらである。

 冗談じゃない、今世では平穏無事に生きるのだ。何としても自分の保身を第一に動くしかない。



◇ ◇ ◇ ◇



 そう思って過ごしてきたが、どうやらそれが悪手だったらしい。

 そして考えても考えても、この状況を脱する術は思いつかない。本当に、どうしようか。

「君が公爵家の権威を使い学園の生徒のみならず、貴族や官吏、平民たちを脅迫し恣に振舞っていたこと、許し難い行いだよ」

「兄さま、妹として、次期公爵として許せないわ。公爵家の力はそのような私腹を肥やす為ではなく王国に忠義を示し尽力する為にあるのよ!」

 宰相のご令嬢と妹にはどうも受けが悪いらしい。確かに脅迫まがいのことをしたのは間違いない。ジョンに嫌がらせをしている者たちの行いを止めるため家の名を借りた。貴族やら官吏やらってのは多分、学園に無理を言って男子寮を建てさせたことか。土地の関係で平民街の一部を立ち退きさせたしなぁ。

 とは言えだ、共学なのはいいとして性欲の権化とも言える十代の若い男女を寮に入れるならせめてきっちりと男女の棟を別けてほしい。

 僕以上に実家の権力を使って男子を侍らせたり連れ込んだり、下手をすれば夜這いを掛けてくるご令嬢への抑止力だ。僕も実際、寮内で襲われかけたし。トラウマ追加ものだよ。というかよく王女の婚約者を襲おうとしたな。誰だよ。

 それで一部の令嬢に恨まれているのは否定しない。だが、自分の身を守る為なのだ。

「男のくせに剣だの城棋だの、人が手加減してやったにもかかわらずいい気なものだ。挙句に男どもを寄せ集めて徒党を組んで何やらよからぬ企みをしているようだな! 男は男らしく、雄々しく我ら女の後ろをついて歩けばいいのだ!」

 元帥のご令嬢は本当に女の中の女のようですばらしいかぎりだ。その女々しさに惚れる男は数知れずだろう。とは言え一部私怨も入っていませんかね。

 男の領分に入り込み生意気だと、喧嘩を吹っ掛けてきたのはそちらだし、別に剣や城棋でぼこぼこにしたからと言って誇らしげにした覚えはない。そしてそもそも、あなたのように好みと見るや無理矢理にでも手を出そうとする女性がいるから、男の身を守る為の自衛、互助の集まりを作って対策しなくてはいけないのだ。

 それでもなお、被害者が後を絶たないとは恐るべしですよ。

「何よりも、貞淑さを知らぬあなたが王配などと聞いて呆れますわ! そもそもお下がりの婚約者がわたくしを放っておいてふらふらと……どうせあなたも陰でわたくしをバカにしていたのでしょう! だからわたくしを拒絶できるのでしょう」

 殿下のプライドに障るらしい貞淑さの無さというのはあれか、ご令嬢やご婦人方を諫めて味方につける為にと少々媚びを売ったことだろうか。

 これは確かに調子に乗った面もあるのが正直なところだ。女性たちが僕に擦り寄ってくる。実家の権力かこの顔にか、何に魅了されたかは知らないが。前世の僕を翻弄した女性という生き物が今世ではご機嫌取りをしてあわよくば、という状況に浮かれ意趣返しにとやらかしたのは事実だ。ただ一線は越えてないどころか、不貞に繋がるようなことはしていない。童貞チェックされても構わない。一角獣を呼んでくれ。

 ただそうした振る舞いに加え、幼い頃不埒者に誘拐されたという事実から殿下は僕の童貞を疑っている。その上、確かに殿下は僕を快く思ってないだろうと少しそっけなくしていたのは大人気なかったかもしれない。これは反省せねばならない。

 それに比べれば、貴族男子のような洗練された所作や傲慢さとは無縁で、素朴かつ線も細くその弱々しさから庇護欲を駆り立てるジョンは別格の存在だろうな。

 とは言え、お下がりって言い方はさすがにひどくないですかね。いやまあ、事実なんですけど、なんて思っていると、会場の出入口付近から勇ましく歩み寄ってくる人物がいた。

「黙って聞いていればエリザベータ、お下がりとはとんだ言い草だな。それが王族の物言いか」

 美しい白銀の髪と凛々しい目付き、さすがに帯剣はしていないがその身に軍装を纏った麗人。

「な、なぜここにいるのですかアルテシア姉上! 東部での戦闘は続いているはずではないのですか?」

 殿下が狼狽える。さもありなん、彼女アルテシア・レファニュ将軍閣下は殿下の実の姉であり、今は王国東部国境を防衛するカミラ辺境伯レファニュ家の後継者として軍を率いているはずなのだから。

「妹の卒業を祝いに来た、と言っても物のついでだがな。陛下や元帥閣下に戦況の報告と諸々軍議の為に王都へ赴いたのだ」

 アルテシア閣下の登場で会場はさらに緊迫した雰囲気になる。先ほどまで威勢の良かった殿下一党も呆然としている。

「妹とそしてリカルド、お前の晴れ姿を拝んで戦場に戻ろうとしていたのだがな。黙って聞いていれば、婚約破棄だのなんだのと。その上リカルドをお下がりとは」

 閣下は厳しい目で殿下たちを睨み付ける。

「そ、それは……ですが、彼のこれまでの振る舞いは、」

「だとしても! かような振る舞いは王威を損なうとは思わんのか……まったく、いやそれにしてもリカルド、すまないな私のせいでお前に不名誉を」

「いえ、これも貴族男子の倣いなれば。それに閣下に責任はございません」

 むしろ、あのまま第一王女であれば閣下の名高い戦場での活躍もなく、またこうして王都の平和が保たれることもなかったかもしれない。

「だが時折思うよ、あのまま私がお前の婚約者となっていればと。そうすれば妹のくだらぬ飯事に皆を巻き込むこともなかったというのに」

「な、何を仰るのですか! 今更姉上は王宮には戻れません」

「戻るつもりもない」

 アルテシア閣下は元々エリザベータ殿下の姉君、つまりハルモニア王国第一王女として生を受け、しかるに僕はその婚約者であった。

 だが、東部防衛の要であるカミラ辺境伯には後継者となる者がおらず、また国内の権力バランス調整の為にと王家から養子が出されることとなった。本来ならば長女ではなく次女のエリザベータ殿下が養子となるはずであろうが、白銀の髪をした武人は女神の加護があると、東部では非常に崇められている。それゆえ閣下は若くして辺境伯家の後継者となり、軍事的教育を叩きこまれ、その人生の多くの時間を戦場で過ごすこととなった。今では東部辺境の英雌の名を恣にし、多くの戦果を挙げている。

 そして、王族ではなくなった閣下の代わりに妹のエリザベータ殿下が第一王女へとなり、僕はあくまで“第一王女”の婚約者であった為に殿下の婚約者となった。なので殿下や口さがない者は僕のことを『姉のお下がり』と。幼い頃から姉と比べられ窮屈な思いをしていたことを考えれば、確かにコンプレックスを刺激する僕の存在は疎ましいのだろう。婚約者として傍にいた身として、ケアを怠った己を恨むしかない。

 とにかく閣下の登場でさらに厄介なことになった気がする。僕を擁護してくれるのは有難いが、王家・公爵家に加えとうとう辺境伯家まで。

「それならば口出し無用ですわ! 私はもうリカルドとの婚約を破棄しジョンとの婚姻を結ぶのですから」

「ジョン・ドゥ殿は教会の聖人であろう。それをどうして娶ることができる」

「真実の愛の前には、王宮の典範も教会の戒律も関係ありませんわ」

 やめてください殿下に閣下、ただでさえ面倒な状況なのにここで教会の名前を出したら余計ややこしくなります。そしてできれば一旦この場から出ませんか。

「そこまでお前が阿呆だとは思わなかった……しかしエリザベータ、ドゥ殿はともかくとしてリカルドはもうお前のものではないと言うのだな?」

「ええ、勿論! こんな浮気者は元より私に相応しくありませんもの」

 閣下は意味ありげに僕を眺める。すごく嫌な予感。

 するりと、あまりにも自然に僕の腰を引き寄せる閣下。ああ、女性に触れられると緊張で固まるのは治らない。それにしてもこういう所作が似ているのはさすが姉妹だなと、変な感心が生まれる。

「ならばリカルド、こんなつまらぬ女は忘れ私のもとに来い。そなたの剣と城棋の才については聞き及んでいる。もはや王族ではない一介の武人だが、そんな私にこそ相応しい男だ」

「ご、ご冗談はおやめください閣下」

「冗談ではない、昔から、第一王女の身であった頃よりそなたに惚れていたのだ」

 困った。めちゃくちゃときめく。絆されそうになる。凛々しい女性に惹かれるのは、やはりこの世界に生まれたゆえなのかと現実逃避をしたくなる。

「児戯のごとき茶番であるが、そなたが私のものになるのであればこんな飯事に乗るのも悪くない」

 いやいや、悪いですって。どうしよう、収拾のつけ方がわからない。

「姉上、人の婚約者にかような破廉恥な振る舞いを!」

「婚約破棄だの何だのと言ったその口で、しかもお前だってドゥ殿に触れているだろうに」

「と、とにかく淑女として恥ずべきことは慎んでくださいませ!」

 慌ててジョンを放す殿下。いやもう、滅茶苦茶ですよ。

「……に……ださ……」

 すると、先ほどまで俯いていたジョンが何事かを呟いている。よく見れば彼の肩や握りしめた拳、膝は震えている。

 それもそうだよな、いかに波乱に満ちた三年間を過ごしたとは言えこんな状況に巻き込まれて注目の的となっているのだ。平然としていられる男子などこの国にはほとんどいないだろう。

「いい加減にして下さい!」

 それが泣きそうな顔で、それでも強い決意を滲ませ声を張り上げたのだ。

「さっきから聞いていれば、リカルド様を寄ってたかって!」

「な、何を言いますの、ジョン? これはあなたのためでもありますのよ?」

「俺のためだと言うなら、今すぐこんなことは止めてください!」

 殿下を筆頭に皆が困惑している。

「リカルド様は皆さんが思うような方ではありません! 確かにあまり男らしくないのかもしれませんが、貴族男子として僕や立場の弱い男子のために尽力してくれたんです!」

 僕も困惑しているよ、ジョン。君がそんなに怒りを込めた大きな声を出している姿なんて想像できなかった。

「平民女性だってもう少し慎みがありますよ! なのになんなんですか、寮は男女同じ棟で行き来も自由で、男子への配慮はないし、嫌がらせだけならまだしもことあるごとに破廉恥な言動をされて……俺は貴族のおもちゃじゃないんだ、男は女の性欲の捌け口になるために生きてるんじゃないんだ!」

 でも、そうなんだよな。この国の男たちが思う不満をジョンは口にしている。たとえ聖人として祭られようと、女性優位の社会では心細い立場なのには変わりないのに勇気を振り絞って。

「それを、何とかしようと! 俺や他の男子生徒を守ろうとリカルド様は戦ってくれたんだ!」

 もののついでだよ、それは。保身のおまけで、味方を増やして抵抗したかっただけなんだよ。

「そうでしょ、皆! リカルド様に助けられたのは俺だけじゃないはずだ!」

 ジョンは周囲の生徒たちを見回し声を上げる。しばしの沈黙、しかし恐る恐るといった様子でありながらも反応が返ってくる。

「そ、そうだ! リカルド様は立場の弱い男子の為に戦ってくれたんだ! 」

「リカルド様こそ男の中の男、貞淑な男の鑑だ!」

「私の婚約者が上級生に手籠めにされそうになったのを、リカルド様は助けてくださったわ」

「男癖の悪い女生徒から私の兄弟を救ってくださりましたのよ」

 男子どころか女子まで。買い被るほどの男でもないんだけどな。

「分かったでしょう、殿下。リカルド様は悪い人じゃありません。ご存知ですか、リカルド様は今まで一度だってあなたの悪口なんて言わなかった。あなたが誤解して俺を庇おうとリカルド様を叱責した時でさえ」

 そう言えば涙ながらのジョンの相談に乗っていたその姿を見て、殿下が僕を罵倒してきたこともあったなぁ。

 いやまあ、殿下はちょっと思い込みは激しいけど悪人じゃないのは知っているし、別に思春期の女の子なんてそういうもんだろうし。人生経験三十年プラス今世の余裕は伊達じゃない。

「じょ、ジョン……だとしてもわたくしはあなたとの真実の愛に目覚めたのです。リカルドがどうこうではなく、ただわたくしは、」

「それもいい加減にして下さい! 真実の愛だなんて、俺の気持ちはどうなるんですか?」

 ああ、そうなんだよな。殿下はジョンにご執心だけど当の本人はそうでもない。むしろ迷惑しているようだ。しかし相手は王族、学園内のこととは言え強くは拒否できずにいたようで、涙ながらの相談というのがまさにその件だ。

「俺は結婚できません! 聖人として神に仕え清貧に生き、人々の救済を願います!」

 おお、やっと言えたんだな。ジョン、君の道行きを祝福するよ……この面倒ごとから解放されたらの話だけど。

「ジョン……わたくしは、本当にあなたを愛して、」

「ご自身の慰めに俺を利用しないでください! あなたにはリカルド様がいたのに。少しすれ違いがあったかもしれない、あなたにも悩みがあったかもしれない。それでも、先にリカルド様を突き放したのはあなたではないですか!それなのに……俺だって……」

 殿下にそこまで言えるのは、やはり聖人としての徳だろうか。僕自身、殿下の力になるべき立場であったのに。

 しかしジョンは、まだ何か言いたげな様子で今度は僕を見つめる。何だこの空気、さらに嫌な予感がしてきた。

「リカルド様! 俺は、どうかあなたにも共に来て欲しい! あなたほど高潔で貞淑な貴族男子を知りません。そのような方こそ神に仕えるべきです! それに何より! 俺の傍にいて欲しいんです!」

 これは想定外だ。本格的に教会まで巻き込むことになってきたぞ。おい、誰だジョンリカ尊いとか言ってるのは! 言っておくが女性は苦手だが、男に走るつもりはない。

「ジョン……リカルド……わたくしは……本当は……」

「ドゥ殿、いかに聖人とは言えやすやすとリカルドは渡せない」

「女性の恐ろしさをよく知るリカルド様だからこそ、どうかお願いします!」

 どうしてこうなった。僕は何を間違った。

「兄さま、ごめんね。そうだったなんて知らずに、私ったら……兄さま、未熟な私を嫌わないでね」

 妹よ、お前のそのちょろさは魅力的だが貴族としてはどうかと思う。あと抱き付かないで、弾かれた閣下がすごい顔してる。妹だからかろうじて耐えられるけど、あんまり触れないで。

「わ、私は自分が恥ずかしい。君のその振る舞いの真意に気付けなかった。許してくれとは言わない、どうか罰をくれないか」

 宰相令嬢殿、政治家として勝ち馬を嗅ぎ分けすぐさま追従できる嗅覚は大事なので、うん、僕に跪かないでください。あとなんで頬を赤らめてるんですかね。

「貴族として、騎士として、あるまじき振る舞いをしていたのは私の方だった……くっ、殺せ!」

 元帥ご令嬢、反省してるのはいいけどそのセリフはこの世界だと色物語に登場して凌辱される男騎士の専売特許です。というか鼻息抑えて。

「と、とりあえず皆さん落ち着いて、そろそろ陛下が、」

 お出でになると大変厄介なことになるわけだが。

「これはいったい何事か!」

 遅かった。畏れ多くもハルモニア王国女王陛下のお出ましだ。



◇ ◇ ◇ ◇



 結局、陛下の執り成しにより騒動は一旦の幕を閉じた。

 しかし、殿下の婚約破棄宣言は大きな禍根を残すことになる。そもそも陛下にも公爵家にも何の打診もなく勝手に婚約破棄をしようとしただけではなく、ジョンを我がものとするという発言は教会から強く非難された。

 加えて閣下も辺境伯家を使いこの機に乗じてと本格的に僕を娶ろうと動き出す。王宮に公爵家、辺境伯家、そして教会とそれらに与する派閥の貴族や官吏・武官やはては平民までを巻き込む大騒動となったのである。

 渦中の僕は、ひとまずほとぼりが冷めるまでお隣の帝国へ遊学の名目で王国を離れることになった。僕がいるとややこしいと、陛下と母上から半ば放逐される形だ。

「兄さま、私もすぐそちらへ行くから待っていて」

 うん、可愛い妹よお前はもう一年学園でしっかり学ぶ必要があるだろう。というかなんとかこの騒動を治めてくれ。

「リカルド君、未熟な私も帝国で学ぶことにしたよ。共に高みを目指そう。あとできれば私に罰を」

 宰相令嬢、卒業後は文官として宰相閣下の補佐をするはずでは。あとなぜおもむろに鞭を手渡そうとするのかしら。

「リカルド、お前が帝国で危ない目に遭わないよう守ってやるからな。勿論、おはようからおやすみまでずっと一緒だ」

 元帥令嬢、あなたも騎士としての叙任を控えているのでは。というか鼻息荒いってば。

「リカルド、戦況が落ち着いたら必ず迎えに行く。待っていてくれ」

 アルテシア閣下、お願いですので王国の守りは疎かになさいませんよう。それと当たり前のように腰を抱かないで、え、ちょ、お手々が尻に伸びてませんか。

「リカルド様、慰問と修行も兼ねて俺も帝国に行きますからね」

 ジョン、君のことは良き友と思っているし、神の僕という道も悪くないとは思っている。だが、あれ以来時折君が見せる艶やかな表情は、僕に向けたものじゃないことを祈るよ。

「リカルド、男らしくないあなたが粗相をしないようわたくしも参りますわ」

 エリザベータ殿下、あなたも渦中のお人なのでおとなしくしててくれませんかね。というか反省してないでしょ。



 ああもう、どうしてこうなった。僕はただ二度目の人生を平和に、女性に負けずに生きたかっただけなのに……確かに、生まれ変わったら多少はモテたいとは思ったけれど。

 もし神様がいるのなら、前世の記憶引き継いで異世界転生とかよりも何よりもこの女難を何とかしてくれませんかね。ああ、この世界の女神お前はだめだ引っ込んでろ。


 貞操観念逆転世界の悪役令息に転生したのでトラウマに負けず生きてやるはずだったのに! 僕の人生設計めちゃくちゃだよ……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

貞操観念逆転世界の悪役令息に転生したのでトラウマに負けず生きてやる 硝子匣 @glass_02

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ