<15> 裏切り

 さくらは、イルハンがリリーの腕を掴み、引きずるように歩く姿に、目を疑った。その二人の後を、さっきまで周りを囲んでいた兵士がまるで部下のようについて行く。さくらは頭が全くついて行かず、呆然とその状況を見つめていた。


 リリーは大きな壺の傍に連れて行かれた。その壺の横には一人の魔術師が立っており、壺に向かって何かを唱え始めた。途端に壺の中から湯気が一気に上がり始めた。さくらは壺の中身は熱湯だと分かると、足ががくがくと震えだした。その傍にリリーが連れて行かれことに途方もない不安と恐怖に襲われた。リリーは体と縄で縛られると、その壺の上に中刷りにされてしまった。それを見てさくらは悲鳴を上げた。

「言ったでしょう。大変なことになると!」

 ジュワンはノアに向かって叫んだ。

「早く指輪をお渡しなさい!さもないと、この娘がどうなるか分かるでしょう!」

 リリーは恐怖のあまりほとんど意識はなかった。さくらは縋るようにノアを見た。怒りで震え、燃えるような目でジュワンを睨んでいる。さくらはとうとう我慢できず、ノアの前に飛び出し、ジュワンに向かって膝を付いた。

「ジュワン様!お願いです!リリーさんを下ろしてください。あんまりです!」

 胸の前で両手を組み、泣きながら叫んだ。そして、今度はノアに振り返り、

「陛下!どうか指輪を・・・!指輪を・・・。お願いします・・・!このままだと、陛下もリリーさんも殺されちゃう・・・!」

 さくらは地面に手をついて、頭を下げた。最後の方は声が掠れて言葉にならなかった。

「・・・あんな奴に王位は渡せない・・・!」

 ノアは絞り出すように言った。さくらは顔を上げ、ノアを見た。ノアは苦しそうな顔でさくらを見ている。さくらは這いつくばるようにノアに近寄ると、足に縋りついた。

「私は『異世界の王妃』なのでしょう?『異世界の王妃』が存在している間は、この国は平和で発展することは約束されているはずです。そのために私はわざわざ呼ばれたんですよ。どんなに背徳な人が国王になったとしても、私が存在している間は、きっとこのローランド王国は安泰なはずです」

 さくらはノアを見上げると、懇願するように言った。そして、さらにノアに縋る手に力を込めると、

「私はジュワン様よりも長生きするって約束しますから!」

と言い、力強くノアの目を見つめた。ノアは唇を噛み締めたまま、無言でさくらを見つめた。

「それに、陛下だって、国王と言う立場から自由になれます。そうしたらリリーさんを正式な奥様に迎えることができるでしょう?」

 さくらは泣き濡れた顔で、少しだけ微笑んだ。

「だから、どうか指輪を外してください・・・」

 ノアの目に涙が浮かんできた。その目はじっとさくらを見つめている。さくらはもう一度微笑むと、涙を拭いて立ち上がった。そしてゆっくりとジュワンに振り返った。

「どうやら話はついたようですね」

 ジュワンはさくらに両手を広げた。相変わらず口元に冷たい笑みをたたえている。

「まずは先にリリーさんを解放してください」

 さくらはリリーを指差した。

「それだけじゃありません。弓矢も下ろすよう指示してください」

「これは、突然に威勢がよくなりましたね。とても今まで震えて泣いていたお方とは思えない」

 ジュワンはさくらの勢いに少しだけ驚いたようだが、すぐに冷笑を浮かべたかと思うと、

「それは無理でしょう?信用できません」

と、あっさり要求を断った。さくらはキッとジュワンを睨み、

「それはこっちのセリフなんですけど!」

そう言い返すと、周りの兵士たちを指差した。

「あきらかに、こちらの状況の方が圧倒的に不利ですよね!多少の譲歩があってもいいんじゃありませんか?しかも、矢で狙われた状態で要の指輪を外すなんて、そんな馬鹿な話あります?」

 ジュワンはさくらの強気な発言に驚いて目を丸めた。あまりにも自分の立場をわきまえていない態度に呆れて言葉を失った。思わず、ふーっと溜息をつくと、兵士たちに合図を送り、矢を下ろさせた。くだらない言い争いなどで時間を無駄にはしたくなかった。

「ノア陛下が指輪を外した時点で、リリーを下ろしましょう。そして、さくら様はその指輪をこちらへお持ちください。私に手渡すと同時に、リリーを陛下へお返ししましょう」

「・・・」

「まだご不満が?」

 返事をしないさくらにジュワンは苛立ち、軽く睨んだ。

「お二人の命の保証は?」

 さくらは怯まず、言い返した。

「もちろんお約束しますよ」

 ジュワンは軽く口角をあげた。

「そうですか。では、それは目で見える形でお願いしますね」

「・・・と言うと?」

「指輪は私がそちらにお持ちしますし、私自身も残ります。でも、お二人がこのお城から出るのを見届けるまで、指輪は私が預かります」

 ジュワンは大げさに溜息をついた。

「・・・本当に、思ったより用心深い方ですね・・・」

 ジュワンは小賢しい真似をするさくらを、心の中で侮蔑しながらも、

「いいでしょう。では早く指輪を」

とさくらに向かい両手を広げた。

 この約束が守られることはないと、さくら自身も気が付いていた。これだけの兵士がいるのだ。指輪を渡した途端、拘束されてしまう可能性は高い。悪あがきでも構わない。できるだけ抵抗して時間を稼ぎ、二人を逃がそうとさくらは考えていた。『異世界の王妃』である自分だけは、絶対に殺されないという保証があるおかげで、何とか絞り出した勇気だった。

 さくらはノアに向き直り、黙って手を差し出した。ノアの震える右手が左手の指輪に伸びた。その指が指輪に触れたが、そのままの姿勢で止まってしまった。

 俯いて指輪を見ているノアをさくらは辛抱強く見守った。ノアの苦悶する姿に、さくらの心は張り裂けそうだった。一度止まった涙がまた浮かんできて、ノアの姿が霞んできた。

 ノアは指輪をぎゅっと握ると、キッと顔を上げた。その視線はさくらを飛び越え、ジュワンを捉えていた。ノアはさくらを庇うように前に出ると、ジュワンに向き合った。そして、

「指輪は渡さない!」

と叫んだ。ジュワンは苦々しくノアを睨むと、

「ではこの娘がどうなってもいいのか!」

と怒鳴りつけた。ノアはその問いには答えず、リリーに向かい、

「許してくれ!俺は指輪を外さない!だが、絶対に貴女を助ける!!」

と大声で叫んだ。そして射るような目でジュワンを睨みつけた。その目は緑色に光っていた。


 次の瞬間、ノアの右足首から青白い光が浮かび上がった。そこから妙な風が吹き上がり、ノアの体を包みだした。青白い光は少しずつ大きくなると、そこから発する風も強くなった。さくらはその風に煽られ、吹き飛ばされるように倒れた。

「いけません!陛下!」

 その様子を見て、イルハンが叫んだ。しかし、大きな風の音が、その声をかき消した。光と風の渦は勢いを増し、ノアの体を取り巻いていく。ジュワンや兵士たちは何が起こったのか分からず、息を殺して、ひたすらその光景を見つめていた。暫くすると、いつの間にか光は消え、風も穏やかになっていった。

 そして小さくなった風の渦の中から大きなドラゴンが姿を現した。


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