<13> 二度目の誘拐
さくらは薄っすらと目を開けた。とてもよく眠っていた気がする。一体いつから眠っていたのだろう。
「・・・んっー・・・」
さくらは寝っ転がりながら伸びをした。
(・・・あれ?・・・)
心なしかベッドが固い気がする。それにいつもの気持ちのいいシーツではない。違和感を覚えた次の瞬間には、すべてを思い出した。ガバッと起き上がると、自分はただの床に薄い布切れを引いた上に寝かされていたことがわかった。
目の前には鉄格子があり、その向こう側に小さな部屋があった。その部屋に机と椅子があり、椅子には誰かが座っていた。
さくらが起きたことに気が付いたのか、椅子に座っていた人影が立ち上がって、近寄ってきた。ジュワンだった。
「よくお休みでしたね、さくら様。まさかこんなにぐっすり眠るとは予想外でした。かなり待たされましたよ」
ジュワンは相変わらずにっこりと笑っている。
「どういうおつもりですか!」
さくらは鉄格子に飛びついて叫んだ。
「どう見てもここは牢屋ですよね?私が何かしましたか!?」
さくらの抗議に、ジュワンの笑みは明らかに侮蔑を込めたものに変わった。
「本気でその質問を?理由はお分かりでは?」
さくらは唇を噛んだ。分かっている。単純に攫われたのだ。さくらは騙されたことが悔しくて、ジュワンを睨みつけた。
「そのように怒らないで下さい。本当は手荒な真似はしたくなかったのです」
ジュワンはなだめる様に優しく言った。しかし、目は相変わらず侮蔑がこもっているように見える。
「これも王座を手に入れるために仕方のないことなのですよ。私が国王になった暁には、もちろん、さくら様が王妃になるわけですから、すぐにここから出してあげます」
さくらは怒りで言葉が出てこなかった。鉄格子を握る手が怒りで震える。ジュワンはその手をそっと握ると、さくらに顔を近づけてきた。
「いま暫く、ここで二人、仲良くお待ちくださいね」
そう言うと、目線をさくらの奥に移した。さくらはその目線を追って、自分の後ろを振り返った。そこには自分の他にもう一人の女性が力無く座っていた。さくらはその女性を見て、血の気が引いた。
(リリーさん!?)
さくらはキッとジュワンに向き直った。
「何で彼女までいるんですか!?」
ジュワンはさくらの手を離し、鉄格子から一歩下がった。
「人質ですよ。大切な」
「人質?どういうことですか!?私をあなたの国へ連れて帰ることが目的ではないんですか?」
ジュワンは、はぁーと呆れたように溜息をついた
「想像以上に、頭の働かない娘さんだ。先ほどの説明で理解できないとは。貴女のような人を第一王妃に迎えなければいけないと思うと、先が思いやられる」
呟くように言うと、冷たい目線をさくらに送った。
「言ったでしょう、『王座を手に入れるため』と。私が欲しいのはこのローランドの王座です」
さくらの背中を冷たいものが流れた。上手く言葉が出てこない。
「つまり、交渉相手はノア自身。彼に直々に王座を明け渡して頂きたいのですよ」
ジュワンはさくらにまた近寄ってきた。そして顔を覗き込むと、さくらの左手を指差した。
「そのためには国王の証である指輪が必要なのです。『異世界の王妃』の夫である証の指輪が」
ジュワンの指がさくらの左手をすーっと撫でた。さくらはゾクッとして、慌てて鉄格子から離れた。
「・・・つまり陛下を呼び出す人質ってことですか?」
さくらは指輪を隠すように胸の前で手を組むと、ジュワンを睨んだ。ジュワンはにっこりと笑って頷いた。
「それにしても、人質は二人もいらないでしょう!彼女は返してください!私一人で充分です!」
さくらは怒鳴ったが、ジュワンは呆れたように、肩を竦めた。
「おやおや、先ほど申し上げたでしょう。人質は貴女ではなくて、彼女ですよ」
「?!」
さくらは訳が分からなくて、目を丸めた。
「私はノアに密かに来てほしいのです。さくら様だけが人質では、いくら忠告しても、王妃誘拐と言うことで、軍隊が動くことになる可能性が高い」
ジュワンは意地悪そうに眼を細めた。
「しかし彼女が人質なら、ノアは約束を守るでしょう。残念だが、さくら様とリリーではそれだけの差があります。さくら様のためなら国王として動くが、リリーのためならただの男として動くということです」
さくらは何も言い返せなかった。ぐっと喉の奥がつまり、小さく唸り声を上げた。悔しいが全くその通りだと思ったのだ。目じりに涙を溜めて、ただただジュワンを睨むしかできなかった。
ジュワンはそんなさくらを見て、鼻で笑うと、一人の看守を呼び、
「これでも一応王妃だ。粗相のないように見張ってくれ」
わざとらしくそう言うと、看守部屋から出て行ってしまった。
さくらは、慌てて鉄格子に飛びついて、ジュワンの名前を叫んだが、ジュワンは振り向きもしなかった。
さくらは溜息をついて、後ろを振り返ると、真っ青な顔をしてさくらを見上げているリリーと目が合った。
リリーは何もない床に座っていた。一枚あった敷物はさくらが独占していたようだ。さくらは慌てて傍に駆け寄ると、リリーを敷物の上に座るように促した。それから改めてこの牢屋を見渡した。石造りの壁に囲まれ、高い位置に窓があり、そこから光が差し込んでいる。鉄格子の向こうには看守が机に向かい、何か書き物をしていた。
リリーに目を戻すと、彼女は微かに震えていた。薄暗いこの部屋は確かに少し寒い気がする。今まで怒りで我を忘れていたさくらも、今になってブルブルっと体が震えてきた。
「ちょっと待っていてください」
リリーにそう言うと、さくらは鉄格子に近寄り、看守に声を掛けた。
「すみません。そこにある毛布をお借りできませんか?」
看守の座っている後ろの壁には棚があり、そこに毛布や敷物らしいものがきちんと畳まれて置いてあった。さくらはそれを指差して、
「お願いします。このお部屋、少し寒いので」
そしてペコリと頭を下げた。さくらの態度に看守は目を丸めた。驚いたように固まったが、すぐに毛布を二枚取り出し、さくらに渡してくれた。
「わぁ、二枚も!お気遣いありがとうございます!」
さくらはにっこりと微笑んでお礼を言った。看守は慌てたようにさくらに一礼すると、
「あの・・・。敷物も、もう一枚いりますか・・・?」
とおずおずと尋ねてきた。
「ホントですか!嬉しいっ!助かります!」
さくらの喜ぶ顔に、看守も嬉しくなり笑顔になった。すぐに敷物をさくらに渡してくれた。
「ありがとうございます!」
さくらはお礼を言うと、くるっと振り向き、
(ッシャー!ゲット!)
心の中でガッツポーズすると、急いでリリーのもとに戻った。
新しい敷物の方にリリーを座らせると、上から毛布を掛けた。そして、その隣に自分も腰を下ろして、毛布に包まった。
「・・・」
「・・・」
気まずい沈黙が流れた。何か話題がないかと考えるが、何も思いつかない。沈黙が沈黙を呼び、ますます重たい空気が二人を囲む。その沈黙を先に破ったのはリリーだった。
「申し訳ございません。王妃様にこのようにお気を使わせてしまって」
消え入りそうなリリーの声に、さくらはブンブンと首を横に振った。そしてリリーを見ると、彼女の目はさくらの左手の指輪に注がれていた。その目に光るものが見えて、さくらは居たたまれない気持ちになって、俯いてしまった。
「・・・すいません。私なんかが第一王妃になってしまって・・・」
呟くように謝るさくらに、リリーは驚いたように顔を上げた。
「でも、本当の王妃様はリリーさんですよ。私はただのお飾りですから」
さくらも顔を上げてリリーを見た。そして、にっこり笑うと、
「私を第一王妃に選んだのはローランド王国であって、陛下ではないですよ。陛下が愛していらっしゃるのはリリーさんです。私の事なんて何とも思っていないですから」
そう言って、左手を毛布の中にしまった。そして、自分がノアから、好きだとか、愛しているという言葉を言われたことがないことに、改めて気が付いた。鼻の奥にツーンとした痛みを感じ、目頭が熱くなってきた。さくらは慌てて右手で自分の頬をペシペシと叩き、リリーの方を向くと、
「私の事なんて気にしなくていいですからね!」
と努めて明るい声で言った。
「・・・でも、陛下はきっとさくら様の事・・・」
リリーは言葉に詰まった。最後にノアと会った時のことを思い出していた。すまなそうに自分と距離を置きたいと言ってきたノアの辛そうな表情・・・。その前から、どことなく自分に対してぎこちない態度を取っていたノアに、自分以外に女性ができたのだろうと密かに思っていた。一抹の寂しさを感じながらも、受け入れるつもりでいたのに、ノアは自分との関係を終わらせようとしたのだ。それはきっとこの方のためだろう。リリーは切なそうにさくらを見つめた。
「いやいや、私なんて『こっちは好きで王妃に迎えたわけじゃない!』ってはっきり言われましたからっ」
さくらは自虐的に笑った。とにかくここの暗い雰囲気を変えたい一心だった。
「・・・本当に・・・?」
リリーは信じられないようにさくらを見た。さくらはうんうんと大きく頷いた。
「リリーさんのためなら、陛下はすぐに飛んできますよ!」
「・・・そうでしょうか・・・?」
リリーは目を伏せた。妻の一人になれたらそれだけで十分だとすがった後、強く抱きしめられ、耳元ですまないと呟いた、ノアの苦しげな声を思い出した。
「もちろんですよ!それまでちょっと寒いけど、頑張って待ちましょうね!」
さくらは力強く言うと、リリーの毛布を掛け直した。
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