<12> 誤解

 翌日は丸々一日、さくらは部屋から出なかった。誰にも会わず、ひっそりと過ごした。ドラゴンのことは気になったが、部屋から出て、もしノアと鉢合わせたらと思うと、外に出ることが躊躇われた。


 二日ほど部屋に籠っていたが、三日目には流石に辛くなり、ジュワンの花園に行ってみた。ジュワンは朝にその花園を散歩するのが日課だ。もう十時も回っているので、誰もいないだろうと思い、花園に向かった。だが、そこにはジュワンがまだいた。さくらに気が付くと、にっこりと笑った。

「お待ちしていましたよ。さくら様」

 ゆっくりさくらに近づくと、ベンチに座るように勧めた。

「この二、三日お会いできなかったので、心配していました」

「ごめんなさい。ご心配おかけして」

 自分を待っていてくれたのだ知り、申し訳なく思うと同時に、気にかけてくれたことをありがたく思った。

「実は、そろそろ自国に帰らないといけませんので、ご挨拶したかったのですよ」

 隣に腰掛けながら、ジュワンが寂しそうに笑った。

「もうお帰りになるのですか?」

 突然の報告にさくらは驚いた。

「いや、予定より長く滞在しました。やはり故郷は居心地がよいですね」

 名残惜しそうに笑うジュワンを、さくらは残念そうに見つめた。折角できた知り合いがいなくなってしまう。ただでさえ寂しさの中にいるのに、また一人、知り合いがいなくなってしまうことに、さくらは途方もない孤独を感じた。


「折角ですから、帰国前にさくら様と過ごしたいと思いまして。一緒に街へ散歩に行きませんか?」

 その申し出にさくらは目を丸めた。そんなことができるのだろうか?

「イルハンや近衛隊の兵士も一緒ならば、大丈夫でしょう」

「・・・許可が下りるでしょうか?」

 さくらは不安そうに聞いた。一度許されたフェスタだって行くことが禁じられたくらいだ。そう簡単に許されるとは思えなかった。

「陛下は心配性でいらっしゃいますからね」

 ジュワンは肩を竦めながら笑った。その言葉にさくらは苦笑いした。そして、

「もし、許可が下りたら是非お願いします」

と言ってほほ笑んだ。しかし、心の中では叶わないだろうと思った。ジュワンの気遣いに感謝しつつも、夢見るのは止めようと思っていた。




 ジュワンと別れ、図書室で本を物色していると、大きな音を立てて扉が開いた。驚いて振り向くと、ノアが立っていた。鉢合わせしてしまった気まずさに、一瞬固まったが、ノアの異様な雰囲気に気が付き、嫌な予感がした。

 つかつかっとノアが近づいてくる。その顔は怒りに満ちていた。さくらは思わずたじろぎ、数歩後ろに後ずさりした。ここまで怒ったノアを見たことがなかった。

「ジュワンから聞いた・・・」

 ノアの低い声に、さくらは身震いした。ああ、やはり許可は下りないなと確信した。さくらは俯いた。

「街に出たいと、ジュワンに泣きついたそうだな」

(――はい?)

 さくらは耳を疑った。思わず顔を上げ、ノアを見た。ノアは相変わらず自分を睨んでいる。

(いやいやいや、ジュワン様、あなた一体何て言ったの?)

 さくらは首を振って、言い訳しようとしたが、

「強かな女だな。そこまでして外に出たいのか」

とノアに吐き捨てるように言われ、怒りが沸いてきた。そしてつい、

「ええ、出たいですが。何か?」

とそっぽを向きながら言い返した。

「ふざけるな!いい加減に自分の立場を理解しろ!」

 さくらの態度にノアは大声で怒鳴った。さくらはノアの方に振り向きもせず、

「『自分の立場』とは?」

と切り返した。

「お前は『異世界の王妃』だ!『異世界の王妃』はどの国からも狙われている!何もゴンゴだけではない」

 ノアはイライラし、さくらの両腕を掴み、無理やり自分の方に向かせた。

「その存在はひた隠しにされるものだ。本来なら一番上の塔の部屋から一歩も出さないでおきたいくらいだ。それを第一の宮殿内は自由にさせている。それだけでもありがたいと思え!」

 腕を掴まれてもさくらはノアを見ようとしなかった。顔を逸らし、目線は斜め下の床を見ている。ノアのさくらの腕を掴む力はますます強まった。

「この間は、奇跡的に死者も出さずに救い出せたからいいが、お前が攫われることで戦争になりかねないのだぞ!この国にとってどれほどの損害なるのか分からないのか!?」

 さくらは唇を噛んだ。そんなことは言われなくても分かっている。でも、どうにも納得できないものがある。そんなに重要な人物がなぜ『私』なのか・・・。

「私は好きでその『異世界の王妃』になったわけではありません」

さくらは目を伏せながら、小さく呟いた。

「好きであろうがなかろうが王妃と言う立場は変わらない!」

 いつまでたっても自分を見ようとしないさくらに、ノアの苛立ちは頂点に達し、荒々しくを手離すと、

「俺だって好きでお前を第一王妃に迎えているわけではない!」

と怒鳴り、そっぽを向いた。売り言葉に買い言葉のつもりだった。すぐに何か言い返してくるだろうと身構えていたが、さくらは何も言ってこなかった。気になりさくらを見ると、さくらは呆然としたように自分を見ていた。

「—―・・・っ!」

 ノアはすぐに後悔した。心にもないことを、子供のように我慢できずに口走った自分を責めた。言い訳しようとしたが、みるみる涙が溢れてくるさくらを見て、言葉が出てこなかった。

「・・・あー、やっぱり、そうですよねー・・・。仕方なく・・・ですよね・・・」

 さくらは言葉を詰まらせて俯いた。やはり、あの優しさや口づけは自分自身に向けられたものではなかったのだ。やっと待ちわびていた『異世界の王妃』を迎えることができて、よほど嬉しかったのだろう。その『王妃』に向けられたものだったのだ。

「・・・そうだろうなって、分かっていましたけど・・・」

 頭の中では分かっていても、本人の口からは聞くのは辛かった。どうしても聞きたくなかった。だから自分から距離を取ったのに・・・。

「私なんかが、第一王妃でごめんなさい。止めることができればいいのでしょうけど・・・。そうすればあの方が第一王妃になれるのに・・・」

 さくらはノアに頭を下げると、そのまま図書室を出て行った。




 翌朝、さくらはジュワンに一言文句を言おうと、彼の花園に出向いた。外に連れ出す交渉をしてくれたのはありがたいが、自分から頼み込んだような言い方は流石にないだろうと思ったのだ。

 花園に着くと、すでにジュワンが待っていた。彼はいつものように涼しい爽やかな笑顔をさくらに向けた。

「おはようございます。さくら様」

 満面の笑みに、さくらは文句を言うのを躊躇ってしまった。

「おはようございます。ジュワン様」

「よかったですね!許可が下りましたよ。早速、今から街へ参りませんか?」

「へ?」

 さくらは素っ頓狂な声を上げた。さくらの反応が可笑しかったのか、ジュワンはクスクス笑いながら、

「さくら様のたっての願いという形で、頼み込んでみました」

と悪びれもなく言った。その潔さに、さくらは文句を言う気が失せてしまった。

「・・・それにしてもよく通りましたね」

 昨日のノアの剣幕からだと、とても許可が下りたなんて信じられなかった。

「最初はダメの一点張りでしたよ。でも、後から改めて許可が出たのです」

(あー、私が泣いたからかな・・・?)

 さくらは納得した。おそらく自分に同情したのだろう。深い意味はないと思うが、多少なりとも情はあるのかもしれない。そう思ことにした。

「さあ、時間には限りがあります。参りましょう」

 ジュワンはさくらの手を取ると、第二の宮殿の方に向かった。


 第二の宮殿の裏口に一台の馬車が停まっていた。

「表口からですと人目に付きますので、こちらから裏門に抜けましょう」

 ジュワンはそう言うと、馬車の扉を開けさせた。優しくさくらをエスコートし、馬車に乗せようとしたとき、

「あの・・・、やっぱり止めた方がいい気がします・・・」

 さくらは申し訳なさそうに、ジュワンの方を見ると、彼から手を離した。あれだけ危険性を説明され、説得されたのに、安易に出かけていいものなのか、今更ながら、罪悪感が胸に広がってきた。

「せっかく陛下にお願いしてくれたのに、申し訳ありません」

 自分の為に骨を折ってくれたジュワンにも悪いと思い、丁寧に頭を下げた。

「思ったより用心深い方だったのですね」

 感心するように呟くジュワンの声に、さくらは顔を上げた。相変わらず彼はにっこりと笑っている。

「大丈夫ですよ。私が付いています」

 ジュワンはそっとさくらに手を差し伸べた。だが、さくらはジュワンの手を取らず、俯いてしまった。ジュワンは小さく溜息をつくと、優しくさくらの手を取った。

「あまり、手荒な真似はしたくなかったのですよ・・・」

「!」

 さくらは顔を上げた。やっぱりジュワンは微笑んでいる。聞き間違いかと思って首を傾げた時、後ろから口をふさがれた。次の瞬間、さくら崩れるようにジュワンに倒れ掛かった。ジュワンはさくらを支えると、自分のマントの中に隠し、馬車へ乗り込んだ。馬車は何事もなかったかのように走り去っていった。


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