<6> 王兄
九月になった。祭りまであと三日と迫ったある日、一人の男が城にやってきた。豪勢な馬車で数人の従者を引き連れた彼は、城に入るや、すぐに国王の謁見を申し出た。
執務室のドアをノックする音に、ノアは苛立ちながら答えた。
「何だ?」
「国王陛下。ジュワン様が起こしでございます」
ノアはそれを聞くと、チッと舌打ちをした。
(面倒な時に・・・)
そう心の中で呟きながらも、入室を許可した。
入ってきた男は、長身で美しい顔立ちをしていた。男は優雅な物腰で腰を曲げ、恭しく一礼した。
「ご無沙汰しております。国王陛下」
「遠路はるばるご苦労だったな。ジュワン。母君の墓参りか?」
ノアは努めて冷静に挨拶した。
「ええ」
ジュワンと呼ばれた男は頷くと、
「いつもでしたら、フェスタ時期は人が多いので避けるのですが、今年は気が変わりまして。折角ですので、フェスタを見学していきたいと思っております。暫らくの滞在の許可をいただけますでしょうか?」
そう言うと、優しい笑顔をノアに向けた。
(今年に限って・・・)
ノアは忌々しく思いながらも、表情は変えないよう気を付けた。
ジュワンは先王の第一子で、ノアとは異母兄弟であった。母親は貴族や豪族の出身でなかったために、王妃にはなれなかったが、国王の寵愛を受けていた。後に第一王妃、第二王妃を迎えても、国王の寵愛は変わらず、長男であるジュワンのことも非常に可愛がっていた。そして、亡くなる間際、特別にローランド王国が支配している一つの小国を与え、ジュワンをその国の王に据えた。
ノアは自分より七つも年上のこの兄が好きではなかった。母親譲りの美しく端正な顔立ち、長身で、運動も勉強も器用にやってのけるこの兄と、ノアは事あるごとに比較されて育った。
ジュワン自身も、自分が生き残るには優秀な人材になる以外、道はないことを分かっていたために、絶え間ない努力をしていた。それに対し、第二王妃の息子である自分には、王位継承権が与えられており、それなりの未来は約束されていた。
兄の必死な努力は知っていたが、父の寵愛を盾にしている節が見受けられ、ノアはそれが気に入らなかった。それだけではなく、本心を見せない、彼の笑顔も好きではなかった。
「是非、フェスタを楽しんでくれ」
ノアは表情を崩さず、ジュワンに答えた。ジュワンは一礼すると、
「ありがとうございます。では」
そう言い、執務室を出てった。
ジュワンは執務室を出たその足で、第一の宮殿に向かった。王の息子である彼は第一の宮殿に入ることを許されていた。寝所は第二の宮殿に用意されていたが、第一の宮殿の庭の外れに、先王が母親のために造った小さな花園があった。彼はローランドの城に来ると、必ずそこに行き、亡き母に挨拶するのが決まりだった。
ジュワンが花園に入ると、小さなベンチに誰かが寝転んでいるのが見えた。よく見ると、その人物は顔に本を乗せて眠っていた。ジュワンは自分の空間が何者かに汚された気がして腹が立った。ジュワンはわざと足音を鳴らしながらベンチに近づくと、眠っている人物を見下ろした。それは女のようだ。すっかり寝入っているようで、ジュワンに気が付かない。ジュワンは苛立ち、大きく咳払いをした。すると女はびっくりしたように起き上がり、辺りを見回した。そしてジュワンに気が付くと、小さな悲鳴を上げた。
「誰の許可を得て、ここに入った!」
ジュワンは眉を吊り上げ、女を睨みつけた。女は困ったように首を振ると、誰の許可も得ていないと小さな声で答えた。ジュワンはカッとなり、
「今すぐに出て行け!」
と大声で怒鳴った。驚いた女は、慌てて立ち上がり、ジュワンに謝ると、落とした本を拾って、急いで花園から出て行った。
女の姿が見えなくなると、ジュワンはやっと満足げに花園を見渡し、一人ゆっくり散策を始めた。
追い出されたさくらは納得がいかなかった。あの花園はつい数日前に見つけたのだった。ノアの箱庭とは真逆に位置しており、彼に会わないような場所を捜し歩いていてところ、この可愛らしい小さな花園を見つけたのだ。
念入りではないが、定期的に手入れをしているようで、綺麗過ぎないところが心地よく、ドラゴンの洞窟とは別に、もう一つ自分のお気にいの場所になっていた。以前に、ルノーやイルハンに花園について聞いてみたが、立入禁止とは言われていない。いきなり怒鳴られたので、驚いて逃げてきたが、今になって腹立たしくなってきた。だからと言って戻る気は起きないので、気を取り直し、そのままドラゴンの洞窟に向かった。
暫く池の前で本を読んでいたが、急に空が暗くなったかと思うと、ポツリポツリと雨が降ってきた。さくらは慌てて本を濡れないように抱えて、宮殿まで戻ったが、洞窟からは距離があるので、しっかりと濡れてしまった。
宮殿の入り口で、軽くドレスと叩いていると、先ほどの男が目に入った。男も雨に降られたらしく、濡れた服を叩いていた。そして向こうもさくらに気が付いたようで、怪訝な顔になった。
目が合ってしまったので、さくらはとりあえず会釈をした。男はそれを無視するも、さくらの方に向かって歩いてきた。さくらは緊張して身構えた。男はさくらの横を通り過ぎるとき、わざとらしく濡れた自分のマントを翻した。そのマントの水しぶきがさくらの顔にかかったが、男は無言で歩いて行ってしまった。
(は?)
さくらはその子供っぽい仕草に唖然とし、何か言い返してやろうと思ったが、男の歩調は速く、すぐに城の中に入って見えなくなってしまった。
(何?今の。めっちゃ感じ悪いんですけど!)
部屋に戻ったさくらは、ルノーとテナーに男の事を聞こうかと思ったが、余計なことを言うと行動に制限がかかりそうなのでやめることにした。ただでさえ、最近ノアと食事を共にしないことで小言を言われ続けている。さくらは黙っていることにした。
ジュワンはノアから食事の誘いがなかったことを不服に思っていた。自分が気に入られていないことは充分知っているが、たとえ庶子とは言え、兄である自分に対し、今までは礼儀として初日だけは食事を共にしていたのだ。忙しいという言い訳が本当とは思えなかった。
ただ、いつも以上に豪華な食事が並んだことに、最低限の礼儀を尽くしていることが分かり、少しは気が済んだ。
ジュワンがノアと食事を取りたかったのは見栄だけではない。さっき第一の宮殿で会った女について詳しく聞きたかったからだ。第一の宮殿に出入りを許されているのは、王族でも、国王の近親者のみであり、それ以外は、選ばれた使用人と料理人、兵士、王室付きの魔術師と医師のみだ。前父王の息子は、自分とノア以外に、十歳と五歳にも満たない幼い王子の四人しかいないが、娘は何人もいる。もしかして父が使用人にでも産ませた娘だろうか。外に引き取り手もなく、城に住まわせたままにしているのか?
(いや、違う。恐らくあの女だ)
ジュワンはある筋から、とうとう『異世界の王妃』を迎えることに成功したことを聞いて知っていた。だが、花園で女を見た時は、自分の領域を勝手に侵されたことに気を取られ、『異世界の王妃』まで考えが及ばなかった。しかも、仮にも『王妃』だ。あのような場所で、顔に本を置いてベンチに寝転ぶなど、良家の娘なら絶対にしない。あまりにも品のない所業に、まさか『王妃』と思い浮かぶわけがない。気が付かなくて当然だ。
(そうだとしたら、なんとノアは気の毒なことか・・・)
ジュワンは食事の手を止め、くくっと肩を震わせた。あのような大して美人でもなく、見るからに平凡で、躾も行き届いていないような娘が、ノアの第一王妃とは。常に自分に自信があるノアは女性を見る目も厳しかったはずだ。以前から異世界から妻を迎えることに消極であったことを思い出した。異世界の人間なんていう得体の知れない女などお断りだと何度も言っていた。ノアの予感通り、とんでもない女が来たものだと、ジュワンは可笑しくなり、声を出して笑った。
翌日、ジュワンはまた第一の宮殿に入り、さくらを探した。例の花園にも行ってみたが、当然いない。庭園を探しても見ても見当たらなかった。ジュワンはさくらが本を持っていたことを思い出し、図書室に行ってみることにした。すると、やはりそこには本を物色しているさくらがいた。ジュワンは早速さくらに声を掛けた。
「こんにちは」
さくらは呼びかけに振り向くと、昨日の男が立っていたので驚いた。周りを見回してみても、他に人はいない。自分に挨拶したのだと気が付いて、怪訝そうに会釈した。
ジュワンはにこやかにさくらに笑いかけ、昨日の非礼を深く詫びた。そして、自己紹介をすると、
「あなたが『異世界の王妃』様ですか?」
と質問するが、さくらの左手の指輪を見て確信した。昨日見たノアの左手と同じ指輪が光っている。国王と同じ指輪をすることを許されるのは、王妃の中でも第一王妃だけだからだ。
さくらもジュワンが王兄と聞いて、慌てて昨日の無礼を謝った。
「私の方こそ、大変失礼いたしました!」
深く頭を下げるさくらに、ジュワンは困惑したように笑いながら、近づいてきた。
「いいえ。どう考えて私の方に非がありますよ。王妃様は何ら悪くありません」
そして、さくらの前に片膝を付くと、そっとさくらの左手を取り、甲に口づけをした。
「!」
さくらはどうにも、この挨拶は慣れない。すぐにでも手を引っ込めたかったが、相手は王兄である。失礼があってはいけない。さくらは顔を赤くしながら、そのままの体勢でいると、ジュワンはさくらの左手を優しく握り、立ち上がった。
「どうか昨日のお詫びをさせて頂けませんか?あの花園を改めて案内させて頂きたい」
にっこりと笑うジュワンにさくらの警戒心はすぐに解けた。さくらも釣られてにっこり笑い、
「是非お願いします」
といい、一緒に連れ立って外に出た。
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