<9> 救援

 夕暮れ前、ドラゴンは窓辺にいた。ずっと遠くの空を見続けていた。さくらは何か考え込んでいる様子のドラゴンに一抹の不安を覚えた。さくらはドラゴンに近づくが、ドラゴンは全く気付く様子もなく、どこか遠くを見ていた。

(帰りたいんだろうな・・・)

 怪我もすっかり癒え、体力も十分に回復している。元々治ったら逃がすつもりでいたことを思い出した。

(それに、もうすぐここの国王が帰ってくる。その先この子を上手く隠しきれるか分からない)

 さくらは、鼻の奥がツーンと痛むのを感じた。ドラゴンを思うならすぐに手放さないといけない。でも、ドラゴンがいなくなったら一人ぼっちになってしまう。そんな寂しさに耐えられるだろうか。そう思うとだんだん視界が霞んできた。


 そんなさくらの様子などに気付かず、ドラゴンはずっと思案顔だった。だが、突然鋭く目が光ったかと思うと、遠くの空の一点をじっと見つめ始めた。そして、何かを見定めると、小さく雄叫びを上げた。すぐに前足で器用に窓を開けたかと思うと、そのまま外へ飛び出そうと窓辺を乗り出した。

 さくらは慌てて、ドラゴンに抱き着いた。ドラゴンは飛び立つことを阻止され、怒ったようにさくらへ顔を向けた。だが、さくらの目に一杯溜まった涙を見て、固まってしまった。

「ごめんね。引き留めて」

 さくらはドラゴンの頭を撫でた。

「でも、さようならくらいは、ちゃんとしようよ」

 ドラゴンは驚いたように首を横に振った。でもさくらはにっこり笑ってドラゴンを見た。笑った目の端から涙が零れ落ちた。

「もう怪我も治ったんだし、自分の故郷へ帰った方がいいよ。私は大丈夫だから。今までありがとうね」

 何か言いたげなドラゴンの顔を両手で覆うと、

「私のせいで小さい体になっちゃって、本当にごめんなさい。この姿で生きていくのは大変だと思う。でも・・・。でも、どうか生き延びてね」

 そう言うと、ドラゴンの額に唇を押し当てた。そして最後にぎゅっと抱きしめると、今度は頬にキスをして、ドラゴンを放した。

「じゃあ、さようなら。元気でね!」

 ドラゴンは困惑したようだったが、最後には頷いて、空を見上げた。そして何か狙いを定めたかのように、勢いよく飛び出していった。




 ドラゴンが見定めたのは、一羽のトンビだった。ドラゴンの視力は人間よりもずっと良い。そのため、さくらの部屋からでも、そのトンビの特徴がすぐに分かったのだ。

 そのトンビの足にはタグがつけられていた。そのタグはローランド王国の国王陛下直属の近衛隊のもの、つまり自分の隊のタグだ。そして、今ここで、このトンビを飛ばせるのは、一人しかいない。

(イルハンが近くまで来ているという合図だ)

 ドラゴンは確信していた。

 トンビは暫く旋回していたが、ドラゴンの姿に気が付くと、慌てて逃げ出した。体が小さくなっていても、トンビにとっては恐怖の対象に変わりはない。ドラゴンは無理に追うことはせずに、トンビの飛ぶ方向を見守った。トンビは街を超え、森を超え、海の方へ飛んで行った。ドラゴンはそれを確認すると。同じ方向に飛んで行った。


 船がゴンゴの領海まで到着すると、イルハンは三名の隊員だけを連れ、小さな船に乗り換えた。残りの隊をその場に待機させ、小舟でゴンゴ帝国内に忍び込んだ。崖に沿って進み、王都近くの森の小さな入り江に身を潜めていた。道中、ドラゴンである陛下に行き会うこともなく、ここまでたどり着いてしまった。

(策の日まであと二日だ)

 イルハンはずっとそのことが不安でたまらなかった。策の日には陛下は人の姿に戻れる。しかし、戻るときの場所が問題だった。もし、既に一人での王妃奪還を諦め、ローランドに帰っているのであれば、人間としてダロスに会い、開戦に向けて準備が整うだろう。しかし、まだこのゴンゴに潜んでいるのであれば、何とかして合流しないといけない。人間の姿になり、一人で奪還を考えているとしたら、この上なく危険だ。

 イルハンは陛下に気付いて欲しいという願いを込めて、トンビを飛ばしたのだった。それが見事的中した。


 想像以上に早く、トンビが戻ってきた。イルハンの元に急降下すると、怯えたようにイルハンの懐の中に潜り込もうとした。イルハンはこの異常な怯え方を見て、トンビがドラゴンに遭遇したことを確信し、空を見上げた。暫く空を見上げていると、

「!」

 イルハンは目を疑った。やってきたドラゴンは、今戻ってきたトンビの一回り大きい程度の姿だ。一瞬、別のドラゴンかと思ったが、その小さいドラゴンは意味ありげに、船の上を旋回し始めた。

 他の隊員も、小さいドラゴンに気が付いた。

「あんなに小さいドラゴンなんて見たことないぞ」

と、口々に言いだしたが、それぞれが矢を構えだした。たとえ小さくてもドラゴンは悪の使いであり、始末する対象だからだ。

「よせ。ここで無駄に騒ぐな!」

 イルハンは部下を制した。そして空を見上げると、ドラゴンは旋回を止め、森の方へ消えていった。


 イルハンは部下の隊員達に疑われないように、タイミングを見計らって船から降り、ドラゴンが向かった森の方へ入っていった。暫らく進むと、大きな岩が現れた。そしてその上に、小さなドラゴンが座り、イルハンを待っていた。

 イルハンは恭しく片膝をつき、頭を下げた。

「陛下。ご無事で何よりでございます・・・」

「・・・」

 当然、ドラゴンからは返事はない。イルハンは何から尋ねたらよいか迷った。気になることはたくさんある。王妃は無事なのか。そもそも王妃と会うことはできたのか。そして何より一番気になったのは、何故そのように小さい姿になってしまったのかということだ。しかし、今の陛下は、こちらの言葉を理解しても、自ら人の言葉を発することはできない。暫らくの沈黙の後、イルハンはさくらのことを尋ねた。

「王妃様はこのゴンゴにいるのでしょうか?」

 ドラゴンは頷いた。

「っ!ご無事なのでしょうか?」

 ドラゴンは再び頷いた。イルハンに安堵の表情が浮かんだ。しかしすぐ身を引き締めると、イエスかノーかでしか答えられないドラゴンに対し、山のような数の質問を浴びせ、かなりの情報を得ることができた。


「ご承知だと思いますが、策の夜まであと二日です」

「・・・」

「ゴンゴの王が不在とは不幸中の幸い。その日が王妃奪還のチャンスです」

 ドラゴンは大きく頷いた。その目は新たに怒りに燃え、口からは細く弱いが炎が漏れ出ていた。陛下の確固な決意の表われであった。

「一度、王妃様の元へお戻りになりますか?」

 ドラゴンは首を振った。ドラゴンとして、さくらとの別れは済ませている。今さくらに会ってしまうと、気が緩んでしまいそうだった。次に会うのは『人』としてだ。そして再びドラゴンの姿で出会うとしても、それはローランドの庭園内の洞窟だ。ここではない。

「分かりました。まずは船の近くでお待ちください。夜中になりましたら合図をしますので、私の部屋でお休みください」

 ドラゴンはまた首を振った。夜中とはいえ、他の部下に見つかる可能性は大いにある。大事な時に無駄な面倒は起こしたくなかった。

「分かりました。できるだけ船の近くでお休みください。見知らぬ森は危険です」

 イルハンはドラゴンを促し、船のある入江へと急ぎ戻った。


 策の日の当日。日が傾きかけると、イルハンは荷物を持って森に入った。この二日ドラゴンが休んでいた定位置に向かうと、ドラゴンは目を爛々と光らせ、とても高揚した状態で、イルハンを待っていた。

 イルハンは片膝を付き、頭を下げると、布に包んだ荷物をドラゴンの前に置いた。そしてもう一度顔を上げた時、ドラゴンの姿はなく、代わりに右足に金のリングのみ身に着けた、裸の男が座っていた。男はイルハンから受け取った荷物を解き、素早く衣類を身に着けた。そして無言で立ち上がり、イルハンを見下ろした。

 イルハンは片膝を付いたまま、懐から小箱を取り出すと、蓋を開けて、男の前に差し出した。中を覗くと、そこに入っていたのは指輪だった。男は無言で指輪を取ると、躊躇なく左手の薬指にはめ、その上から手袋をした。

 イルハンはホッとした表情をすると、箱を懐にしまい、立ち上がった。

「行くぞ、イルハン」

「はっ!ノア陛下!」

 ノアの言葉に、震える思いで返事をすると、二人は急いで、小舟に向かった。

 小舟に待機していた隊員は、いきなり国王陛下を伴って戻ってきたイルハンに仰天した。だがいつまでも驚いている暇はなかった。間髪入れず、さくらを救い出す作戦会議が開かれたからだ。


 作戦は深夜決行した。兵士を一人船に残し、二人の兵士とノアとイルハンで城の裏門から入ることにした。山の斜面に沿うように立っている城は、表は外からだと城壁は非常高いが、裏側は険しい山が天然の防衛になっているので、城壁は比較的低かった。新月のため、明かりは見張り台の松明しかなかった。

 見張り台には監視が二人立っていたが、まったく危機意識が欠けているようで、立ちながら眠っていた。そこへローランドの兵士二人が一気に襲い掛かり、監視が目を開ける前に、本当に眠ってもらった。兵士はすぐさまノアとイルハンに合図を送った。二人は滑るように城内に忍び込み、さくらの部屋へ急いだ。

 兵士は監視の服を剥がすとその服に着替えた。そして、監視を縛り上げ、足元に転がしておいた。目覚めたらすぐに眠ってもらうように、眠り薬を握り締め、見張りに当たった。

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