<11> ドラゴン
宮殿に戻る途中、イルハンに出くわした。おそらく帰りの遅いさくらを心配し、宮殿内を探していたのだろう。
さくらにとって彼と出くわすのはいつもの事だから、驚かなかったが、イルハンはさくらの格好にかなり驚いたようだ。
「どうされたのですか!? 王妃様!」
駆け寄ると、跪いて挨拶する事も忘れて叫んだ。
さくらの方は、そのイルハンの態度に驚いた。そして改めて自分の格好を見た。
ドレスは土で薄汚れ、枯れ草が所々くっ付いている。着る時に注意して叩いたのだが、落ちきっていなかったようだ。頭にも手を当てた。池に落ちた時、付けていた髪飾りもなくなり、結い上げていた髪も酷く乱れたので、解いてそのままにしていた。
自分では見る事はできないが、中途半端に乾いた髪を梳かすこともしなかったので、想像以上に乱れているのだろう。
「じつは・・・」
さくらは、仕方なく今までのことを素直にイルハンに話した。森の奥に行ったこと、ドラゴンに会ったこと、驚いて池に落ちたこと、そして助けられたこと・・・。
ドラゴンの話を聞いて、明らかにイルハンの顔色が変わった。強張った表情で自分を見下ろしているイルハンを見て、さくらはまた失敗をやらかしたのだと悟った。
(もしかして、言わない方がよかった・・・?)
「すいません・・・」
さくらはすっかりしょげてしまい、イルハンに頭を下げた。それを見てイルハンは慌てて、
「ご無事で何よりでございます。もしそのドラゴンが助けてくれなかったらどうなっていた事か・・・」
そう言うと、改めて片膝を付き、さくらに頭を下げ、挨拶した。そして立ち上がると、
「この森の奥は手付かずで、たいへん危険でございます。今後は決して行ってはなりません」
そう忠告した。そして、
「そのドラゴンの事でございますが・・・」
(きた!)
付け加えたイルハンの言葉に、さくらは集中した。一番気になることだ。あのドラゴンは一体何者なのか?
「そのドラゴンでございますが、他言無用にお願い申し上げます」
「?」
「決して他人にお話してはなりません。よろしいですか?」
小声だが、口調は厳しい。有無を言わせない雰囲気に怯んださくらは、とっさに
「分かりました」
と答えてしまった。
「では、宮殿に戻りましょう。侍女たちが心配して、宮殿内を探しております」
イルハンは軽く頭を下げてから、クルッと向きを変えると、さくらを誘導するように前を歩き始めた。イルハンの後ろをとぼとぼと歩いているうちに、さくらの中で、また沸々と反抗したい気持ちが湧き上がってきた。
心配させてしまったことは悪いと素直に認める。しかし、彼の丁寧だが、淡白で威圧的、かつ厳しい口調が気に入らない。話を一方的に押し付けた上に、勝手に切り上げ、こちらの話を一切受け付けないという態度にどうしても不満が残る。
あのドラゴンは一体何なのか・・・。明らかにドラゴンの話を聞いて動揺した様子を見せておいて、何の説明もしないのはズルい。きっと何らかの秘密を知っているのだ。他言無用と念を押したのがいい証拠。一体なぜ人に話してはいけないのか。せめてその理由ぐらい説明があってしかるべきではないか、いや、無いなんて失礼だ。
歩いているうちに、そんなモヤモヤした思いが飽和状態になってしまった。森を抜け、宮殿の庭園に出た時、イルハンを追い抜き、彼の前に立ちふさがった。
「あのドラゴンは一体何なのですか? どうして他の人に言ってはいけないのです? 宮殿で飼っている動物ではないのですか?」
さくらの急な反撃に、またもや面食らったイルハンは、
「王妃様!」
慌てて口元に人差し指を当てて、さくらを制した。しかし、さくらは黙ってはいない。
「他言無用の理由を教えてください」
「今詳しく説明する訳には参りません」
ピシャリと厳しく言い放った。
「なぜですか?」
そんなイルハンの冷たい態度にも負けずに食いついた。しかし、イルハンは表情を硬くしたまま、黙ってさくらを見つめているだけだ。
「・・・分かりました」
さくらは、ふーっと息を吐くと、軽くイルハンを睨み付けた。
「その代わり、他言無用はお約束できませんから」
「王妃様!」
イルハンは苛立たしく声を荒げた。さくらは一瞬怯んだが、ここで負けてはならないと奮起して、
「理由も教えてもらえずに勝手に約束を押し付けるなんて、フェアじゃないです!ずうずうしいと思いませんか?」
と叫んだ。イルハンの顔が紅潮してくるのが分かったが、さくらは構わず続けた。
「納得できるような理由があるなら、説明すべきです。納得すれば、自ずと他人には話さないようにしようと思うでしょう?違いますか?」
イルハンは深く溜息をついた。そうして自分の怒りを何とか仕舞い込み、さくらを見つめた。さくらの言う事ももっともだった。確かに自分が一方的過ぎた。それに彼女が思っていた以上に気の強い娘だということは以前に気が付いたではないか。簡単に引っ込む娘ではない。
「かしこまりました。ではお話致しましょう。どうぞこちらにお掛け下さい」
イルハンは庭園のベンチにさくらを座らせた。
「王妃様の世界でもドラゴンはいたのでしょうか?」
さくらを座らせると、イルハンは少し斜め前に立った。
「いいえ。でも、実際には存在しない架空の生き物として、比較的どの国にも知られています」
「そうですか。我が世界では、ご覧になったように実在致します。しかし、実在するドラゴンは非常に僅かであり、架空の生き物と信じている国もあるほどです。そしてあの容姿ゆえ、人々には悪魔の使いと信じられ、恐れられております」
「あ、それは私の世界でもそう考えている国があります」
さくらは思わず口を挟んだ。イルハンは頷き、続けた。
「実際に彼らが悪魔の使いかどうか定かではありませんが、邪悪とは言わないまでも、正義感を持ち合わせていない生き物です。そして中には魔術を使えるドラゴンも存在します。その点ではあながち嘘ではないと言えましょう」
魔術と言われ、さくらはドラゴンが口から火を吐いた光景を思い出した。
「あのドラゴンも、口から火を吐きました」
「その程度のことは、どのドラゴンもでき、魔術には入りません」
イルハンは軽く笑いながら首を振った。
「そして、彼らは人間の言葉を理解します。ほとんどのドラゴンは話すことはできませんが、理解はできる。しかし人の言葉を発する事ができるドラゴンこそ、魔術を持った、かなり長寿のドラゴンと思われます」
さくらはじっとノアの話を聞いた。
「ドラゴンが好んで人を襲うことはありません。しかし、ドラゴンに殺された人間はたくさんおります。それは我々人間の方がドラゴン狩りと称してドラゴンを襲った結果ですが・・・。それでも人はドラゴンを見つけると、悪の使いとドラゴンを始末したがるのです。今回も、もし人に知れることとなれば、宮殿中が大騒ぎになりかねません。外の森でならともかく、陛下ご不在の今、宮殿内での騒動は絶対にあってはなりません」
「あのドラゴンはそのままにしておくのですか? そもそも元々あそこにいたのですか?」
「いいえ、最近迷い込んで住み着いてしまったようです」
「ふーん・・・」
さくらは今日のドラゴンの様子を思い出した。確かにあのドラゴンは自分を襲う様子はなかった。襲われると思い込んで、さくらが勝手にパニックになり、揚句の果てに助けられた。どう考えても『悪の使い』ではない。
「ご納得して頂けましたでしょうか? 他言無用の理由として」
ドラゴンに思いを巡らせていたさくらは、イルハンの問いにハッとした。
「陛下のご不在の間に、あのドラゴンの存在を公にするわけにはいかないのでございます」
イルハンはじっとさくらを見つめた。それはもはや懇願しているかのようだ。
「陛下がお戻りになっても、あのドラゴンはあのままでしょうか?」
「分かりません。すべて陛下次第でございます」
(すべて陛下次第か・・・)
さくらは立ち上がると、イルハンに聞きたい質問が咽元まで出かかった。一番知りたい質問―――国王陛下とやらの帰還―――しかし、呑み込んでしまった。結局明確な回答が怖かったのだ。いつ戻るか知らない方が、きっと気が楽だろう。
「理由は分かりました。絶対に人に話しません。ルノーやテナーにも」
イルハンは深々と頭を下げた。そして二人並んで、宮殿に戻っていった。
翌朝、さくらは自分の部屋に置いてある果物を、バスケットに入るだけ詰めて、森に向かった。相変わらず奥に進むほど歩きづらい。バスケットの重さが辛い。調子に乗って入れ過ぎた。両手で持ちながら、えっちらおっちら進んでいった。
やっと、昨日の洞窟の場所まできた。さくらはバスケットを置くと、
「うーん」
と伸びをし、辺りを見回した。誰もいない。さくらは洞窟に目をやった。
(中にいるのかな・・・?)
さくらは、ゆっくり洞窟に近づき、中を覗いた。そして恐る恐る奥に向かって、
「おーい」
と声をかけた。しかし洞窟の中はシーンとしている。
(いないのかな・・・)
さくらは、諦めて池に近づいた。すると向こう岸の草が揺れるのに気が付いた。よく見ると、茂みの中にドラゴンが隠れて、こちらの様子を伺っていた。
目が合ったさくらは、一瞬怯んだが、勇気を出して、ドラゴンに向かって手を振った。すると、それに対しドラゴンは、気だるそうに顎を手前に突き出し、軽く振った。まるで、
「帰れ」
と言っているようだ。さくらはもう一度手を振って、
「おーい!」
と叫ぶと、ドラゴンは慌てて首を横に振り、周りを見渡した。そして苛立たしく、顎でもと来た道の方を指し、「帰れ」と促した。
帰れと言っているくらいだから、自分を襲うことはないと確信したさくらは、僅かに残っていた恐怖心も消え失せ、逆に居直った。
「お礼を言いに来たのー!」
そうドラゴンに向かって大声で叫んだ。
次の瞬間、ドラゴンが茂みから飛び出し、さくらの横にドスンと舞い降りた。一瞬の出来事だった。改めて傍に立たれると、大きさに圧倒される。少しばかり恐怖心が戻ってきたが、さくらはじっとドラゴンを見つめた。ドラゴンの方もさくらを見つめている。ちょっとイライラしているようだ。改めて、顎でもと来た道を帰るように、さくらを促した。
さくらはそれを無視して、バスケットを持ってくると、ドラゴンの前に差し出した。
「お礼に果物を持ってきたの」
ドラゴンは、イライラしながらも差し出されたバスケットの中をチラッと見た。少しは興味があるようだ。
さくらはバスケットを下に置き、中からりんごを一つ取り出すと、ドラゴンに差し出した。すると、なんと意外にも素直にそのりんごを食べたではないか。さくらは、もう一つりんごを差し出した。やはり素直に食べる。
嬉しくなって次から次と果物をドラゴンに差し出した。そして巨大なグレープフルーツのような柑橘類を差し出したとき、ドラゴンは躊躇した。じっと果物を見ている。そしてさくらを見ると、顎でその柑橘類を指した。
「え?嫌いなの?」
とさくらが聞くと、大きく首を振った。
「食べれるの?」
と聞くと、大きく頷く。
「じゃあ、何で食べないの?」
と改めて聞くと、イライラした様子で、果物とさくらを交互に顎で指した。
「・・・もしかして、私にむけって?」
そう聞くと、大きく頷いた。さくらは思いもよらない傲慢な態度に驚いたというより、呆れた。仕方なくむこうとすると、グレープフルーツ以上に皮が硬い。
(これを知っていたのね・・・)
さくらが必死に皮をむいているのを、ドラゴンは澄ました様子で待っている。
(ちょっと、このドラゴン、何様?)
しかし、こちらは命を助けてもらった立場だ。正直、果物の皮をむくぐらいなど大したことではない。やっとの思いで、皮をむいて差し出すと、ドラゴンは満足げな顔で、一口で食べてしまい、もう一つ同じものをむくように、バスケットの中を顎で指した。
(もう、この果物は持ってくるまい・・・)
さくらは渋々皮をむいた。しかし、気分はなんだか晴れやかだった。恐ろしいと思っていたドラゴンが、こんなにも近くにいるうえに、自分に気を許したようだ。さくらは親指が真っ赤になるまで、果物の皮をむき続けた。
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