<10> 出会い

 イルハンに叱られてから、さくらは第一の宮殿と第二の宮殿の間の中庭に行く事をやめた。どのみち中庭は楽しくはないし、そっちに行ったからには、例の「箱庭」に行って見たくなるに決まっているからだ。しかし、そこは絶対に行ってはならぬと忠告を受けたわけだから、入るわけには行かない。あそこには「箱庭」以外にさくらの気を引くものはなかった。

 それに、この宮殿は広い。まださくらの好奇心をそそるものがある。一番興味があったといっていいものが残っていた。

 それは第一の宮殿の庭園の奥にある鬱蒼とした森だった。その奥にはこんもりと山が見える。さくらは以前から興味を持っていたが、探索するには時間がかかりそなので、後回しにしていたのだ。

 

 よく晴れた日、とうとうさくらは森の中に足を踏み入れた。すぐ前にある美しく整えられた庭園とは何と言う違いだろう。打って変わって、手付かずの自然が広がっている。木漏れ日が差し込み美しい。今にもウサギや狐などが今にも出てきそうだ。

(でも・・・)

 どことなく違和感を覚えた。木々は一見不ぞろいに並んでいるようだが、よく見ると等間隔に植わっている。小道も獣道のように見えるが、幅も広く歩きやすい。途中途中ある大きな岩なども、苔などが生えて昔からありそうだが、配置もよく考えられている。人工的に自然体に見せかけている箇所がいくつも見え隠れしていた。

 さくらは自分のいた国を思い出した。有名な寺院などの庭園―――竹が生い茂り、滝があり川が流れ、苔が生い茂る―――まるで自然の中にいるようなのに、実のところ細部に渡って人の手が加わっている、計算され尽くした美の庭園。そんな故郷でみた景色と通じるものがあり、懐かしくなった。

(所詮、宮殿の敷地内だもの。手入れしていない訳ないか・・・)

 

 さくらは順調にどんどん奥まで進んで行った。しかし、進むにつれて、だんだんと草木が茂り、道も悪くなってきた。木々の配列も徐々に乱れ始めてきた。

 明らかに入り口付近とは違う。木々の間には蔓やツタが絡み合い、四方八方に伸びているし、横に倒れて腐っている木もあれば、大木に太陽の光を遮られて、成長できない小さな木や、一生懸命光の方向に向かって斜めに延びている木もある。地面は落ち葉で覆われ、自然の腐葉土になっている。どうやらここら辺は本当に手入れが行き届いていないようだ。

 それでも人が歩いているのようだ。獣道のような細い道はある。さくらが長い木の枝を広い、それでツタや草を避けながら、さらに奥に進んでいった。

 やがて、少し開けた場所に出た。そこには小さな池があり、その先は大きな崖がそびえ立っていた。この崖が宮殿から見えていた山なのだろう。

 

 さくらは池に近づいてみた。水はとても澄んでいて、太陽の光を浴びて美しく光っている。覗いてみると、底の方から小さい気泡がプクプク上がってくるのが見えた。

(湧き水? 深そう・・・)

 さくらはしゃがんで水の中に手を入れてみた。

「冷たっ!」

 あまりの冷たさに、慌てて手を引っ込めた。さくらは濡れた手を振りながら、立ち上がり、今度は崖を見上げた。

 どうやらここで行き止まりのようだ。もしこの先があったとしても、さくらには到底登れそうにない。冒険ここで終わりかなと思いながら、崖に沿って歩いてみると、一箇所大きな穴が開いていた。

「洞窟だ!」

 冒険はまだ終わっていなかった!さくらは興奮して洞窟の前に立った。入り口はかなり大きい。そして中もかなり広く、奥も深そうだ。

 

 さくらは恐る恐る一歩踏み出し、洞窟の中に入った。蝋燭など灯りになるような物は持ってきていないので、もちろん奥まで行くつもりはない。とりあえず、光が届いている入り口付近だけでも入って見たかったのだ。

 ゆっくりゆっくり一歩二歩と歩みを進めたその時、奥の暗闇で何か黒い影のようなものが動いた。さくらはビクッと全身に稲妻が走った。

(な、なに・・・!?)

 気のせいだと自分に言い聞かせようとした途端、その黒い影はさらに大きく動きだした。

「・・・っ!」

 さくらは声にならない悲鳴をあげ、その場から走り出そうとした。だが、体が言う事をきかない。全身がガタガタと震え、足はよちよち程度に後ずさりすることしかできない。

 そんなさくらのもとに黒い影がゆっくりと近づいてくる。ズシンズシンと黒い影が動く度に地響きがする。そして近づくにつれ影がどんどん大きくなり、とてつもなく巨大な黒いものがさくらの前に立ち塞がり、緑色に光った大きな目がさくらをしっかりと捕らえた。

 さくらは、その巨大な生き物を目の前に、後ずさりし続けた。やっと洞窟を抜けて外の光がその巨大な生き物の正体を明かした時、さくらは目をむき、そのまま尻もちをついてしまった。

 

 さくらの目の前にいるのは、竜―――ドラゴンだった。さくらの世界では架空の生き物とされている、あのドラゴンだ。

 鋭い目つき、口からはみ出した牙、指には鷲のような鋭く太い爪、頭には角が生え、全身は強固な鱗のような皮膚で覆われ、背中には大きな翼を携えている。そんな伝説の生き物がさくらの前に佇み、じっと様子を伺っていた。

 さくらは、黒い影の正体がドラゴンと分かったからといって恐怖が薄れるわけではなかった。それどころか、返って恐怖心が倍増した。ドラゴンはじりじりとさくらに近寄ってくる。さくらは尻もちを付いた状態で、そのままどんどん後ずさりしていった。そして―――。

 

 大きな水しぶきと共に、さくらはドラゴンの前から姿を消した。

 池の中に沈んださくらは必死になってもがき、一度水面に顔が出た。しかし泳げない。またすぐ水の中に沈んでしまう。完全にパニックに陥って、口を開けてしまい、一瞬にして水が口の中に流れ込んだ。

 すべてを諦めかけたその間、真上から何かがさくらの胴体をグッと掴み、そのまま上に引き上げた。池から出だかと思うと、ドサッと地面に放り投げだされた。その衝撃で、さくらは口から水を吐き出し、ゲホゲホと大きく咳き込んだ。

 暫く息を整えるのに必死で、何が起こったのか忘れかけた。口からも鼻からも水が出るし、目も涙で霞んでよく見えない。顔を上げると何かがじっとこちらの様子を伺っているのがぼんやりと見えた。視野が合ってくると、それがドラゴンだと分かり、一瞬にして我に返った。ドラゴンと目が合うとまた恐怖で固まって動けなくなってしまった。

 

 しかし、ドラゴンはふっと目をそらすと、どこかへ行ってしまった。それを見て、さくらは安堵し、崩れるように横になった。

(死ぬかと思った・・・)

 ホッとしたのもつかの間、今度は寒さでガタガタ震え始めた。池の水はとても冷たかったし、温かくなり始めたといえ、まだ六月だ。寒いに決まっている。早く帰って体を温めないと風を引いてしまうだろう。

 そう思いながらも、まだ動けずに横になって震えていると、またズシンという地響きが聞こえた。さくらはゾッとし、寒さではない震えが増すのを感じた。

 

 恐る恐る顔を上げると、すぐ目の前にドラゴンは立っていた。さくらは驚きと恐怖で息が止まりそうになり、目ギュッとをつむった。そんなさくらの目の前に、何やらにバラバラと物を落とす音が聞こえ、それが地面から跳ね上がり、顔や体に当たった。しかし、さくらは恐ろしくて目をつむったままでいた。それが止むと、ドラゴンはまたどこかに行ってしまった。

 さくらはゆっくり目を開け、ドラゴンがいなくなったことを確かめると、自分の体に当たったものを拾ってみた。それは枯れ枝だった。そして目の前には小さな枯れ枝の山ができていた。

 不思議に思っていると、すぐにまたドラゴンが現われた。不器用に前足で枯れ枝の束を抱え、ゆっくりと近づいてくる。ドラゴンは怯えて硬直しているさくらを尻目に、持ってきた枯れ枝を、乱暴に放った。そして枯れ枝の山が一通り大きくなると、ドラゴンは大きく口を開けた。次の瞬間、口の奥の方からゴォーという鈍い音がしたかと思うと、オレンジの光がパッと弾け、熱風と共に飛び出した。

「ひっ・・・!」

 さくらは、声をあげ、後ろに仰け反った。

 一瞬にして目の前には焚き火が出来上がり、パチパチと音を立てて勢いよく炎が揺れていた。さくらは尻もちを付いた状態で、その揺らめく炎越しにじっとこちらを見下ろしているドラゴンを、ただただ呆然と見つめた。

 

 ドラゴンは、暫くさくらを見つめていたが、やがて首を振り始めた。その行為が、またさくらの恐怖を煽り、ますます緊張させた。しかし、よく見ていると、首を振っているのではないということに気が付いた。

(・・・・もしかして焚き火を指している・・・?)

 首を振っているように見えたが、違う。顎を動かしているのだ。顎を動かして、炎を指しているようだ。

(火に当たれってこと?)

 さくらは躊躇した。と言うよりも、ドラゴンに見つめられているので、恐ろしくて体が動かないのだ。

 どうやらこのドラゴンはこれ以上さくらに近寄ってくる気配はない。ましてや襲ってくることはないだろう。それは頭では予測が付いた。しかし、こちらをじっと見つめているドラゴンを前にしていると、体はピタッと固まってしまい、まったく動かないのだ。


 何度も、火に当たるよう勧めているのにもかかわらず、ちっとも動こうとしないさくらにドラゴンは根負けしたようだ。呆れたように、クルッと背を向けると、少し離れたところにゴロンと寝転んでしまった。

 その様子をさくらはじっと伺っていた。焚き火の炎越しに見えるドラゴンの背中。顔も向こうに向けてしまっている。こちらを見る様子はない。さくらは用心しながら、じりじりと焚き火に近寄った。

(温かい・・・)

 冷え切った体に熱い空気があたり、じわりじわりと体温が戻ってくる。思わず、ホーッと溜め息が漏れる。焚き火に手をかざし、暖を取っているうちに、徐々に緊張もほぐれていったが、それでも、ユラユラ揺れる炎の隙間から、用心深くドラゴンの様子を伺うのを怠らなかった。

 

 ドラゴンはまったくこちらを振り向く気配はなかった。大きな背中が規則正しく動いている。眠っているのだろうか。さくらは寝息を確かめようと、じっと耳を済ませてみたが、焚き火の燃える音が邪魔をしてよく聞こえない。それでも微かに聞こえるドラゴンの呼吸は、若干荒く、リズムも刻んでいる。

(たぶん、眠っているわ・・・)

 そう見極めると、僅かに残っていた緊張も一気にほぐれ、警戒心も恐怖心も飛んでいってしまった。

(まず、服を乾かそう)

 さくらは重ね着している薄いチュニックを脱ぎ、火のそばに並べ、自分は下着だけになり、焚き火を抱きしめるようにして、体を温めた。前が温まると、振り向いて背中を温めたり、足を上げて足の裏を暖めたりなど、さくらがいろいろ動き回っても、ドラゴンはこちらを振り返ることはなかった。完全に眠っているようだ。

 すっかり体が温まると、安堵感からか、今度は眠気が襲ってきた。さくらは焚き火の前に膝を抱えて座り、ぼんやり炎を眺めているうちに、そのまま眠ってしまった。


 目が覚めると、もう辺りは薄暗くなっていた。焚き火も消えており、細く糸のような煙が一本空に向かって伸びていた。さくらは慌てて、焚き火の向こうを見ると、そこにはもうドラゴンの姿はなかった。

(何処に行ったのだろう?)

 さくらは辺りを見回したが、近くにドラゴンがいる気配はない。きっと、洞窟の中に入っていったのだろう。

 風が出てきて、さくらは身震いした。下着姿だった事を思い出し、急いで服を拾った。

「よかった!薄地だからもう乾いてる!」

 いそいそと服を着ると、その場を後にしようとした。しかし、焚き火からはまだ僅かだが煙は上がっている。さくらは、一度はそのまま帰ってしまおうかと思ったが、思い直し、目の前の池から、手のひらで数回水をすくって、焚き火にかけた。完全に火が消えたのを確認してから、もう一度、洞窟の方を見た。


 あの中にいるのだろうか?ゆっくり洞窟に近づき、中を覗いた。見える範囲には何もなく、奥のほうは真っ暗でまったく見えない。いるとしたらきっと奥だろう。しかし中に入る気にはなれない。

 さくらは小声でありがとうと呟くと、洞窟を後にした。

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