<9> 第二の宮殿

 出てみると、そこも外だった。暗がりから出てきたために、一瞬はとても明るく見えたが、実際は薄暗かった。ここも大きな木々が立ち並び、日の光があまり届いていないからだった。

 しかし、この木々の中を少し先に進んでみると、突然前が開けた。


「わぁ・・・!」

 さくらは思わず声が漏れた。そこは信じられないくらい広大な敷地が広がっていた。第一の宮殿の庭園など問題ではなかった。どこまでも続く庭園に先は見えない。そして見上げるとすぐ側に巨大な建物がそびえ立っている。

(これが第二の宮殿?)

 さくらはもう一度、庭園に目を移した。第一の宮殿の庭園と違い、幅も広く真っ直ぐと先に延びた庭園には、なんと、たくさんの人々が行き交っていた。馬車も走っているのが見える。さくらは目を見張った。

(こっちにはこんなに人がいるんだ・・・)

 自分がいる場所とはなんという差だろう。馬車から降りて、宮殿に入っていく人、また出て来て、馬車に乗り込む人。この広い庭園を歩いて出口までいくのだろうか、ゆっくりと歩いている人。それに庭師と思われる人々が、花壇の手入れや、ベンチの掃除などをしている。まるで時が止まったかのようにひっそりとしている第一の宮殿とは大違いだった。


 さくらはフラフラと吸い寄せられるように、庭園に向かって歩いていった。すると突然、さくらの目の前に大きな人影が現われた。ギョッとして立ち止まると、目の前に立っているのは長身でかなり体格がよい男性だった。

「イルハン隊長!」

 この男とは何度か会っているのでさくらは知っていた。年の頃は三十歳前後だろうか。第一の宮殿で何かの折によく会うのだ。図書室へ行く途中や第一の宮殿の庭などで。国王陛下直属の部隊―――近衛隊の隊長だと聞いているから、まあ、偶然に会うというよりは、偶然を装い、さくらを監視しているのだろう。

 

 イルハン隊長と呼ばれた男性は、片膝を地面につき、頭を下げて挨拶をした。そしておもむろに立ち上がると、困惑した表情を浮かべながら、

「恐れながら、こちらは第二の宮殿の庭園でございます、王妃様。すぐ御殿にお戻りください」

 そう言うと、改めて深々と頭を下げた。

「やっぱり、第二の宮殿・・・」

さくらは呟いた。

「こちらにはこんなに人がたくさんいるんですね」

「王妃様。どちらからいらしたのでございますか?すぐにいらした道からお戻りになりますように!」

 イルハンはさくらの問いには答えず、さくらを隠すように急いで林の方に連れて行った。そして奥の巨大な塀のところに来ると、その塀にある小さな扉が開け放たれた状態であるのを見つけた。

「王妃様。あの扉からいらしたのですか?」

 イルハンは驚いた表情でさくらを見つめた。

「はい・・・」

「なんてこと・・・!」

 イルハンは片手で額を覆った。さくらはそれを見て、何やらとんでもない事をやらかしてしまったらしいと思ったが、何がいけなかったのかわからない。とりあえず分かるのは、第二の宮殿に来てしまったことはまずかったということだ。


「あの・・・。すいません。ここから第二の宮殿に抜けることが出来るなんて思わなかったものですから・・・」

 しどろもどろ言い訳をしてみたが、イルハンはさくらの言葉は聞こえていないようだ。しかし、すぐに我に返り、キッとさくらに振り向くと、

「さあ、すぐにお戻り下さい。中から閂を掛けることを絶対にお忘れなく。そして、この先の扉にも必ず閂をお掛け下さい。すべて元の通りにお戻し下さい。そして二度とこの小さな庭園にお入りになってはなりません」

 そう早口に言ったかと思うと、急いでさくらを扉の中に押し込め、扉を閉めてしまった。そして扉の外から、

「さくら様、閂をお掛け下さい」

と、さくらに指示を出した。さくらは急いで内側から閂を降ろした。

「今、降ろしました」

「では、次の扉も必ず閂をお掛けになりますように」

 イルハンの答える声が聞こえたかと思うと、直ぐに立ち去る音が聞こえた。さくらは急いで暗い通路を抜け、もう一つの扉にも閂を掛けた。そして小さな箱庭を通り抜け、もとの入り口を出ると、その扉にも閂を降ろし、ほぅーっと溜息をついた。


 振り向くと、そこにイルハンが片膝を付いて待っていた。ここもまだ薄暗い通路だ。さくらは口から心臓が飛び出すほどビックリした。

「王妃様。先ほどの無礼な態度、大変申し訳ありません。しかし、急を要しておりましたので、無礼と知りつつ、あのような手段を講じてしまいました。お許し下さい」

 深々と頭を下げるイルハンに、まだ心臓の動悸が止まないさくらは、胸を押さえながら、

「いいえ、私がいけないんです。勝手に第二の宮殿に行ったりして。こちらこそ申し訳ありませんでした」

と謝った。

 イルハンは、「もったいないお言葉ウンヌン」や「私ごときにカンヌン」など慇懃な言葉を並べながらも、さくらの軽率な行動をかなり厳しく注意し、ここには二度と来ないことをさくらに約束させた。そして一通りの説教が済むと、

「第一の宮殿までお送り致します」

と言い、もはやこの中庭にも居ることも許さないとばかりに、さくらを薄暗い通路から連れ出した。


 自分が悪いと反省はしつつも、説教を食らい、強制的に帰らせられることに不満を感じたさくらは、イルハンに少しだけ反抗してみたくなった。

 でもイルハンは大きくて、屈強そうで、見るからに真面目で堅物な軍人だ。今回のことにしても、彼にはまったく非がないし、また、あったとしてもそれを非とは思わせない、何か特別な威圧感があった。とどのつまり、非の打ち所のない完璧な好青年タイプといったところか。

 そんな人に対して文句を言う資格などあるわけがない。でも、どうにも腹の虫が治まらない。子供が大人に叱られている時に言い訳をしたくても言わせて貰えない、そんなクシャクシャした気持ちが腹の底でうずいた。


 暫く我慢して、ふて腐れたまま歩いていたが、中庭を抜け、第一の宮殿の庭園に入った時、さくらより少し後ろを歩いているイルハンに振り向いてこう言った。

「さっきは自分が悪かったから黙っていましたけど、イルハン隊長もちょっと酷くないですか?」

「・・・!」

 さくらの突然の攻撃に、イルハンは驚いて、一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに姿勢を正し、礼儀正しく頭を下げた。

「無礼が過ぎた事は重々承知しており、大いに反省しております。大変申し訳ございませんでした。しかしながら、急を要しておりました。第二の宮殿には王族以外の人間もたくさんおりますし、王妃様のお姿をお見せするわけには・・・」

「それにしても、あまりにも乱暴に押しやるんで、正直転びそうになりました。あと箱庭から出てきた時だって。まさか先回りしているなんて思わないですもん。振り向いたらいるなんて、ビックリしました」

 イルハンの言葉をさえぎり、さくらは文句を続けた。

「あんなに薄暗いところで、物音一つ立てずにすぐ傍にいるんですもん。ほんとにギョッとしました。心臓が飛び出るかと思いましたよ」

 さくらは、大げさに左胸をトントンと叩いた。


 イルハンは予想外のさくらの攻撃に面食らってしまった。今までもさくらとは何度も顔を合わせている。もちろん護衛のため、常にさくらを気に掛けているからだ。機会があれば多少話もするが、一言二言しか交わさないし、とても控えめで謙虚な受け答えをしていたので、このようにフランクに話すさくらを見るのは初めてだった。今まで勝手に作り上げていたイメージとはまったく異なる娘に、イルハンは目を丸くした。

 さくらはイルハンが驚いた理由がすぐに飲み込めた。今まできっと自分の事を「大人しい、静かな娘―――言う事を素直に聞く娘」と思っていたのだろう。それが、あに図らんや、そうではない強気な娘だということに気付いて驚いているのだ。

 さくらはそのことに一人悦に入り、先ほどの不機嫌も直ってしまった。自分はハイハイと言うことを聞くだけの女性じゃない、ちゃんと自分の意見も持っている女なのだ。それを分かってくれればいい。軽くあしらわないでくれればいい。

「それは大変失礼いたしました。重ねてお詫び申し上げます」

 イルハンは深々と頭を下げた。そして、

「それではここで失礼いたします」

と言うと、踵を返し、第二の宮殿の方向に戻っていった。しかし、途中で振り返り、さくらが第一の宮殿の中に入っていくのを見届けることを怠らなかった。さくらの姿が消えると、ふーっと溜息が漏れた。

(少しはましだと思っていたのに・・・。気品の欠片もない。所詮、庶民の娘か・・・・)

 仕方がない事なのだとイルハンは自分に言い聞かせた。

 彼女は家柄と人柄で王妃になったわけではない。聖なる魔術で探し出し、選ばれた『異世界の王妃』なのだ。その魔法は絶対だ。必ずしも良い家柄の娘が選ばれるとは限らない。そしてどんな娘だって拒む事は出来ない。たとえ、向こうの世界で乞食の娘であったとしても・・・。


(仕方のない事なのだ)

 イルハンはもう一度、心の中で呟いた。何処の馬の骨が分からない娘が、この国の一番高貴な方の妻になる。しかし、陛下の妃である以上、命を掛けてお守りしなければならない。ましてや陛下がお戻りになる前に、他国に奪われる事など絶対あってはならない。

 イルハンは邪念を払うように頭を振り、急ぎ足で第二の宮殿に戻って行った。

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