<12> 新しい友達

 その日以来、さくらはほぼ毎日、果物と本を持ってドラゴンの洞窟に出かけていった。二人で池の前に腰掛けて、一緒に果物を食べ、ドラゴンは昼寝、さくらはその横で読書をして時間を過ごすようになった。

 さくらはこの新しい習慣に夢中になった。相手は人間でなくても一人で過ごしているよりよっぽど楽しかった。ましてやこのドラゴンは、喋る事はできないが、人の言葉は理解できているようだ。ちょっとした話し相手になる。


 ある日、さくらは横で寝ているドラゴンをしげしげと観察してみた。

 自分の世界のドラゴンは金を好むといわれているが、この世界も同じのようだ。ドラゴンは首に大きな太い金の首輪をしている。そして同じような金の腕輪を四つの足全部にはめていた。体の皮膚は爬虫類の皮膚のようにゴツゴツして硬そうだ。今までドラゴンに遠慮して触ったことはなかったが、今日はどうにも気になる。この皮膚は本当に硬いのだろうか? 冷たいのか温かいのか? 

 さくらはそっとドラゴンの背中に触れてみた。とても硬い。岩のようだ。ゴツゴツした背中を撫で、そのまま次は翼を触ってみた。


 その時ドラゴンが目を覚ました。顔を上げるとさくらが自分の全身をベタベタ触っているのに驚き、慌てて立ち上がると、さくらから離れた。触れられることに慣れていないらしい。

 さくらは驚かせたことを謝り、また自分のそばに座るように手招きした。しかしドラゴンは怪訝な顔をして、少し離れたとことに座りると、そのまま寝そべった。

 嫌がっているドラゴンのことなどお構いなしに、さくらはまた近づいて、体を触り始めた。ドラゴンはちょっと怒ったように顔を上げ、向こうに行くように頭でさくらを押しやった。だが、今度はその自分に向けたドラゴンの顔を捕まえて、目や鼻などをじっと覗き込んだ。

 ドラゴンの目はヒスイのような美しい緑だった。その瞳に自分顔が映っている。頭を見ると、爬虫類のような姿なのに耳がある。三角に尖り、ピンと立っている。ふと犬が耳の後ろを掻いてやると気持ちよさそうにする事を思い出し、ドラゴンで実験してみた。

 すると、今まで嫌がっていたのに、じっと大人しくなった。そして気持ちよさそうに目を瞑った。さくらは嬉しくなってたくさん摩ってやった。

 この日から、ドラゴンはさくらに触れられることを嫌がらなくなり、さくらもドラゴンにくっついて傍を離れなくなった。


 ある時、さくらはドラゴンに寄りかかって本を読んでいた。だんだん眠くなってきたので、本を置いて、空を見上げた。いい天気で青空に白い雲がゆっくり流れている。その間を小鳥たちが渡っていく。それを見てあることを思いついた。

 ガバッと起き上がると、振り向き、ドラゴンにしがみついた。

「ねえ!私を背中に乗せて空を飛べる?」

 ドラゴンは気だるそうに顔を向けた。

「私、宮殿から一歩も外に出してもらえないでしょ?お前ならみんなにばれないように外へ連れ出す事ができるわよね?」

 ドラゴンは大きく首横に振った。

「一度でもいいから、お城の外がどんな街並みか見てみたいのよ」

 ドラゴンはもう一度首を振ると、また寝てしまった。

「ねぇってば!お願いだから!」

 さくらはドラゴンの体をゆすったが、まったく顔を上げようとしない。終いには咽の奥をゴロゴロと鳴らし始めた。咽の奥を鳴らすのは怒っている合図だった。

「ちぇ~・・・」

 咽の音を聞いて、さくらもこれ以上は無理と諦めるしかなかった。ドカッとドラゴンの背中に寄りかかると、ふて腐れたまま目をつむり、そのまま眠ってしまった。


 その日の夜中、バルコニーでドスンという物音がした。その音に驚き、さくらは目を覚ました。恐る恐るバルコニーを見ていると、ユラユラ動いているカーテンに月明かりでシルエットがくっきり映っている。

「ドラゴン!」

 さくらは飛び起きて、バルコニーに走った。暗がりの中ドラゴンが座っていた。さくらが近寄ると、ドラゴンは顎で自分の背中を指した。

「乗っていいの!?」

 さくらはドラゴンに飛びつき、背中によじ登ろうとした。しかし、なかなか登れない。ドラゴンが頭でさくらを押し上げ、何とか登った。

「この首輪を持っていい?」

 ドラゴンは頷いた。さくらがぎゅっと首輪とつかむと、ドラゴンは翼を大きく広げた。その光景にさくらは目を見張った。大きな羽ばたき音と風が起こった次の瞬間、もう空の上に飛び立っていた。


 舞い上がった瞬間、すぐにさくらは後悔した。想像以上にスピードがある上に、何度も体を右に左に傾けるので、体勢も安定しない。首輪にしがみ付くことに精一杯で、周りを見るゆとりなどまったく無かった。

 それでも何とか顔を上げた。春の夜風が吹きつける。下を見ても暗くて街並みはよく見えない。しかしポツポツと灯りが見える。

「うーっ・・・!」

 ドラゴンの急降下にさくらは歯を食いしばった。太ももに力を入れ、尻が浮きそうになるのを必死に堪える。次の瞬間にはスピードが落ち、ゆっくり上昇する。ホッとすると、また急降下。そんなことを何回か繰り返し、ドラゴンはとある所に降り立った。


「はぁ・・・・・」

 滑り落ちるように、さくらはドラゴンの背中から降りると、その場にへたり込んだ。

(どこかのジェットコースターよりよっぽど怖い・・・)

 ドラゴンはそんなさくらを不思議そうに眺めた。腰を抜かしている理由が分からないらしい。キョトンとした表情をさくらに向けている。

「おまえ・・・」

 さくらは文句を言いかけたが、それを呑み込んだ。もとはと言えば、自分が無理矢理頼んだことだ。文句を言える立場ではない。

 一人口の中でぶつぶつ言っているさくらの背中を、ドラゴンは頭で押し、前を見るように促した。さくらは正直、酔いかけて、気分が少し悪かったが、ゆっくりとドラゴンの指す方に顔を向けた。


 遠くに街の灯りがわずかに光っていた。真夜中のせいで半分以上の灯りは消えているだろう。しかし、灯りの少なさが返って幻想的で美しい。点々としている灯りはどこまでも広がっており、とても広い街だということがわかる。

 後ろを見上げると、とても高い塔が建っていた。そしてすぐ目の前は、真夜中の海が広がっていた。今になってやっと波の音に気が付いた。

「灯台?」

 さくらはもう一度塔を見上げた。明かりはついていない。暗くてよく分からないが、とても古そうな灯台だ。さくらは近くによって触ってみた。その時、一筋の光が自分たちを横切るように照らしていった。一瞬だった。その光を追うと、遠くにちゃんと働いている灯台があった。おそらくこの灯台の代わりに建てた新しいものなのだろう。

「ここはもう使われていないのね?だから無人なの?」

ドラゴンは頷いた。

 さくらはドラゴンの横に寄り添って座り、うっとりと街を眺めた。

「綺麗ね・・・」

 小波の音だけが聞こえる。目の前の星空のような光に吸い込まれそうだ。


「この国の人たちは幸せなのかしら?」

 街の夜景を眺めながら、さくらは独り言のように呟いた。ドラゴンはぴくっと耳を動かし、さくらの方に振り向いた。さくらは夜景を見つめたまま続けた。

「貧困や飢えなどで困っている人はいるのかな?家もなく家族なく外で眠っている人なんていないのかしら?」

 今は街の灯しか見えない。灯りは幻想的に輝く美しいベールで、街のすべてを覆い隠してしまっている。その奥は一体どのような姿なのだろう。ここから見える美しさは偽りなのだろうか?

「異世界から王妃が迎えられれば、国は繁栄するって聞いたの。ということは、今まで暫くいなかったんだから、平和ではなかったのかな・・・?」


 海風が二人に向かって吹き付けた。さくらは寒さで身震いした。すると、ドラゴンは片方の翼を広げ、さくらの肩を抱くように、優しく包み込んだ。ドラゴンの皮膚は硬くて厚い。寄り添っていても体温が伝わってこない。でも翼で風を避けてくれるだけで、ふっと温かくなった気がした。

「ふふ、おまえは優しいね」

 さくらはドラゴンにもたれかかった。

「もし平和ではないのだとしたら・・・、もし道端で眠っている子供たちがいるとしたら、私が来たことで、国が豊かになって、一人でもそんな子がいなくなればいいな・・・。そうすれば私も来た甲斐があるって、少しは救われる・・・」


 ふと、目の前の夜景が、過去に自分が見た夜景に重なって見えた。自分の知っている夜景はもっと光に溢れていた。どこの山だったろう? 亘が車で連れて行ってくれた、その展望台から見た景色・・・。まるで宝石のようにキラキラして、ネックレスのように連なる光。あまりにも綺麗で言葉が出なかった。その時、優しく肩を抱き、寄り添ってくれた男性・・・。その人の中に、自分の記憶はもはや一欠けらも残っていないのだ。

 目の前の景色が、涙でぼやけて見えてきた。どんなに思い出してみても、それはもう、片方だけが持ち続けている幻影だ。あの華やかな夜景はもう二度と見る事はできない。今見ている、ささやかな街の灯りが、これから自分が見ることができる景色なのだ。そしてこの景色を一緒に見るのは亘じゃない。それは・・・。


「国王陛下って、いつ帰ってくるのかな・・・」

 さくらがこの世界にやってきて、そろそろ一ヶ月経とうというのに、国王陛下が帰還するという話はまったく聞かない。陛下の不在は極秘内容のため話に上ることがない。さくら自身、王妃であるということは分かっていても、「人妻」という自覚がほとんどない。ともすれば陛下自体の存在すら忘れがちであった。

「陛下は私を気に入ってくれるかしら・・・」

 さくらの呟きに、ドラゴンがすこし翼を上げ、さくらの顔を覗き込んだ。

「陛下は私を好きになってくれると思う?私なんかをさ・・・」

 国王陛下がどのような人物かまるで分からない。まったく知らされていないのだ。年齢も、人柄も、風貌も。ただどんな人であれ、嫌われるのは辛いだろう。この世界で一人ぼっちのさくらの家族となる人だ。それを嫌われてしまったら、どんなに惨めだろうか?

(でも・・・)

 さくらは、ドラゴンの顔を撫でた。

「そもそも、私が陛下を好きになれるのかしら・・・?」

 そして、ドラゴンにしがみ付き、硬い皮膚に顔を埋めた。

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