<111> 入籍日
せっかく、地に足を付いて歩ける状態になったのに、香織はまたまた、無重力状態に逆戻りしてしまった。
そんな香織に陽一は若干呆れつつも、自分自身も幸福感に浸っていた。
ただ、暫くの間、お花畑の香織と意思疎通が取れずに苦心したが、それも自分のせいだと諦めて、辛抱強く香織の回復を待った。
ある日の夜、香織の頭が多少回復したのを見計らって、陽一は声を掛けた。
「入籍日はいつがいい?」
「入籍・・・日・・・」
香織の頭にピョンっとお花が一輪咲いた。
「そう入籍日」
香織の頭の花が見えた陽一は、思わず口元が緩んだ。
だが、またこの花が香織の頭一面に広がってしまうと、意思疎通が上手くいかなくなるから厄介だ。
自分との結婚をここまで喜んでくれることに嬉しさも感じるが、物事が進まなくなっても困る。
陽一は香織の頭に生えた花を引き抜くように、軽く頭を小突いた。
「俺は気にしないけど、お前はこだわりあるのか?」
「いい夫婦!!11月22日!」
「・・・今、三月だぞ。そんな先まで待つ気ないけど」
「!」
陽一の言葉に香織の顔は赤くなった。
「じゃ、じゃあ、何か記念日とか?忘れないように」
「お前、入籍日を忘れる気かよ。まあ、お前ならあり得るけど」
「う・・・、そんなことないですよ!」
「どうだかな」
陽一は意地悪そうに笑って、スマートフォンで何かを検索し始めた。
「ふーん、来月、四月でも22日は『良い夫婦』の日だぞ」
「良い夫婦!!」
香織は飛び上がった。
「良い夫婦!4月22日!その日がいいです!」
香織は手を叩いて、陽一を見た。
「仏滅だけど」
「・・・」
「あ、4月27日は『悪妻の日』だとさ」
「・・・いっそ、その日にしましょうか?生涯、悪妻でも許されるように」
「それはご勘弁」
陽一は香織の頭をクシャクシャ撫でると、
「じゃあ、4月22日で決まりだな」
そう言って、自分の腕の中に閉じ込めた。
☆
入籍日が決まると、今までの『結婚の約束』というフワフワとした幸福感から、急に現実味を帯び、『確実な結婚』に緊張感さえ覚えるようになった。
そうなると、お花畑も一掃される。
佐田家に認められていない以上、当然、結納などの予定もない。
そんな煩わしい仕来りに振り回されることはないのだが、入籍後の手続きなどを考えると、気持ちが急いて、忙しなくなってきた。
(仕事ってどうすればいいんだろう・・・?)
香織の中で「辞める」という選択肢は頭になかった。
辞めるにしても続けるにしても、上司には報告しなければならない。
続ける以上は、人事部にも入籍するという報告が必要だ。
(遅くても一か月前には報告しないと・・・)
そう思った途端、背中に冷や汗が流れてきた。
人事部に入籍することを伝えたら、そのまま社内に筒抜けにならないだろうか?
当然、その情報は会長にまで伝わるだろう。
そうしたら、また大騒ぎにならないだろうか?
また、会長が総務部に乗り込んできたらどうしよう?
それに、もし隠しきれて入籍したところで、認めてもいない女が、孫嫁として平然と自分の会社にいるのをどう思うだろうか。
自分だって、白々しくそこで働いて、その人から給料をもらうのはどうなのだろう?
またネガティブな考えがグルグルと頭を巡る。
(だめだ・・・、分からん・・・。陽一さんに相談しよう・・・)
陽一の言う通り、無い頭で考えても進展はない。
香織は素直に陽一の意見を仰ぐことにした。
☆
陽一から返ってきた言葉は、いつもの通り、度肝を抜く回答だった。
「人事にはもうとっくに報告済ませてるぞ」
「え゛・・・?」
「だが、竹田部長にはお前から伝えるのが礼儀だろ。俺からは何も言っていない」
「・・・」
「会社を辞めるのも続けるのも、どっちだって構わない。好きにしろ。居づらければ辞めればいい」
「・・・」
「ただ、経営陣が誰であれ、従業員が給与をもらうのは当然だろう。何を後ろめたく思ってるんだ?」
「・・・ですよね」
こうして香織のネガティブな思考は陽一によって一蹴された。
「明日にでも竹田部長には報告します」
(ホントにこの人を前にしてると悩んでるのがアホらしくなってくる・・・)
香織はポリポリと頭を掻きながら、コーヒーを淹れにキッチンに向かった。
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