<110> 婚姻届
(本当にどうやってあの会長を納得させられるんだろう?)
段々とプロポーズの甘い余韻が冷めてくると、現実に目の前に立ちふさがっている障害の大きさに香織は軽く眩暈がした。
荻原の家柄に頼らないと決めた以上、格差の問題は回避できない。
一つ一つ難関を乗り越えろと綾子は言っていたが、それは一体いくつあるんだろう?
そもそも、まず一個目のハードルがどえらく高い気がする。
(棒高跳び並に高い・・・?いや、もっとか?)
など、一人で悩み、一人で突っ込みを入れていた時、陽一が仕事から帰ってきた。
「あれ、起きてたのか?」
遅い時間なのに、ソファの上で眠ることなく、膝を抱えている香織を珍しそうに見た。
「・・・ちょっと考え事を・・・」
「なんだよ?考え事って」
陽一は背広を放ると、怪訝な顔で香織を見た。
「無い頭で無駄な事考えても、進展なんかしないぞ」
「あ?」
「どうせ、ろくな事じゃないんだろ?」
「いやいやいや!ラスボスの攻略方法ですよ!」
「ほらな、ろくな事じゃない」
陽一は呆れるように言うと、カバンから一つの封筒を取り出した。
そしてそれを香織に手渡した。
「そんなこと考えなくていいって言っただろ?」
香織は陽一から受け取った封筒を訝しそうに見ると、
「なんですか?これ」
そう言って中を見た。用紙が一枚入っている。
それを取り出して広げてみた。
『婚姻届』
香織は目玉が飛び出しそうになった。
ブルブル震える手でその紙を掴み、覗き込むようにして、改めて書かれた文字を読んだ。
『婚姻届』
やはりそう書いてある。
「こ、こ、これ・・・、何ですか・・・?」
香織は婚姻届を覗き込んだまま、陽一に尋ねた。
「婚姻届」
「ですよね・・・」
「証人の欄は原田と佐藤のじいさん二人でいいな?」
「・・・」
「次の休みにでも書いてもらうか」
「・・・」
「なに固まってんだ?」
香織はハッと我に返って顔を上げた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!婚姻届って!いきなり入籍ですか?!」
叫びながら立ち上がった香織に、陽一は平然と、
「なに?問題でもある?」
ネクタイを緩めながら答えた。
「だって、だって、会長に認められてないですよ?」
「だから、認められなくたっていいって言っただろ?」
「そうですけど・・・」
確かにそう言ってくれた。そう言ってくれたから、プロポーズをOKしたのだ。
だが、本当に突っ走るとは!
難関は一つ一つ潰していけという母親に対し、息子は全て飛び越していくつもりのようだ。
説得するという気すら無いらしい。
陽一は香織の傍にくると、香織の腕を掴んで引き寄せ、自分の膝の上に座らせた。
「結婚式だってちゃんと挙げるよ、お前が挙げたければ。でもそれは入籍の後だって何ら問題ないだろ?」
「・・・・・すか?」
「なに?」
「本当にいいですか?会長を説得もしなくて・・・」
「しつこいぞ」
「だって・・・」
陽一は呆れたように溜息を付いた。
「佐田のじいさんに時間をかけて説得して、認められたところで、行きつくところは『結婚』だ。だったら、先に『結婚』してからゆっくり時間をかけて説得したって同じだろ?」
「・・・なんか屁理屈のような気が・・・」
「まあね」
陽一は意地悪そうに笑うと、香織の頬にキスをした。
そして香織の髪を耳にかけると、
「まだ不安?」
そう聞きながら、顔を覗き込んだ。
香織は首を横に振った。
「でも・・・」
「なに?」
「・・・この紙出したら、私、本当に陽一さんのお嫁さんになっちゃいますよ?」
「ああ」
「いいんですか?私なんかで・・・」
「ああ、お前がいい」
香織は陽一の首に抱きついた。
そんな香織の髪を撫でると、陽一は腕を回し、香織を抱きしめた。
「俺はお前がいい。だから・・・」
陽一は香織から手を放すと、ポケットから小さな箱を取り出した。
そして箱の蓋を開けて、香織の前に差し出した。
「だから、俺と結婚してくれ」
目を丸めて、箱の中を覗いたまま固まっている香織の顔を覗き込んだ。
「返事は?」
「は・・・い・・・」
掠れた声の返事と同時に、香織の目から涙が溢れだした。
陽一は香織の左手を取ると、薬指にそっと指輪をはめた。
そして満足そうに笑うと、涙に濡れた香織の顔を両手で包み、優しく口づけた。
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