<27> 新物件か?

次の週から、異動の引継ぎに忙殺され、八丈島の甘い余韻など、どこ吹く風だった。


昼も夜も陽一からの誘いは、逃げではなく、本当に忙しくて全て断った。

陽一は訝しんでいたが、『異動』という言葉に、どうも思い当たるところがあるらしい。

無理強いはせず、素直に引き下がった。


暫くして、引継ぎの忙しさは解放されても、新しい仕事に慣れるまでは分からないことも多いし、無駄に時間がかかり、残業が続いた。

ただ有難いことに、この部署の人はみんな人当たりがよく、分からないことがあると、自分が忙しくても、手を止めて質問に答えてくれる。


その中でも、一番の味方が、同期の加藤湊だった。


もともと面倒見が良い性格なのか、よく香織の世話をしてくれた。

昼もよく誘ってくれるし、自分の仕事が終わっても、香織の仕事を手伝ってくれて、一緒に残業してくれた。


そして、仕事が終わると、一緒に軽く夕飯を食べて帰るというのが、ここ暫くのルーティンになっていた。


「今日も、なんか食って帰ろうぜ」


「蕎麦でいいかな・・・」


「また、立ち食い蕎麦かよ~」


「うん・・・。もう軽く食べて、早く帰って寝る・・・」


そんな毎日を繰り返し、気付けば陽一を会わない日が続いていた。



                  ☆



ある週末、やっぱり残業になったが、いつもより少し早く片付いた。


(やった!今日は少し早く帰れる~!)


そう喜んだのもつかの間、


「今日は金曜日だし、飲みに行こうぜ!」


と湊から誘われた。


(え~~~・・・)


毎日帰りが遅かった香織は、できるだけ早く家に帰りたかった。

特に何があるわけではない。

今日こそ早めに帰って、長風呂して、ゆっくり寝て、明日は溜まった洗濯して・・・などと考えていたのだ。


しかし、今日早く仕事が終わったのは、湊が手伝ってくれたおかげだ。いや今日も、湊が手伝ってくれたからだ。

しかも、毎日夕食の蕎麦に付き合ってくれている。もちろん、頼んではいないが・・・。


そこまでしてくれる人の誘いを断るのは、どうにも忍びない。

仕方なくOKし、飲みに行くことにした。


(別に、嫌なわけではないけどね・・・)


ただ・・・。

陽一の誘いを断り続けているのに、別の男性の食事の誘いを受けても良いものか、若干引っかかるところがある。

いつもの「立ち食い蕎麦」とは違うし・・・。


(って、何悩んでるの?私は陽一さんから嫌われなきゃいけないんだから!)


香織はペシペシと自分の頬を叩いた。


(そーだよ!別に好きな人作らなきゃいけないんだから!)


ふと、とある思考が浮かんだ。そして、思わず、マジマジと湊を見入った。

もしかして、ここに良い物件が・・・?


(加藤君。・・・って、もしかしてアリか?面倒見いいし、優しいし・・・)


湊は不思議そうに香織を見た。


(うーん、そこそこイケてる方だと思うけど、彼女いないのかな?いたら毎日他の女と夕飯食べないよね?いくら立ち食い蕎麦とは言え・・・)


香織は湊の困惑した視線などお構いなしに、頭から足までじっと観察してしまった。


「・・・なんだよ?行くだろ?」


香織はハッと我に返ると、自分の邪念を吹き飛ばした。


(なんて、加藤君に対して失礼なことを!)


香織は慌ててブンブンと頷くと、


「行くよ、行くよ!大丈夫!ははは!」


笑って誤魔化すと、湊と一緒に会社を出て、飲み屋街に向かって行った。

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