<14> 『返済』の返却
公園を十分散歩して、車まで戻ってきた。
香織の体の周りには、まだ甘い香りが取り巻いている。
香織はそれを振り払うように、頭をブンブン振った。
陽一は運転席のドアを開けて、車に乗り込むと、乗ってこない香りを怪訝そうに見た。
助手席の窓を下ろすと、
「もしかして、またドアを開けろって?」
と意地悪そうに聞いてきた。
香織はブンブン顔を横に振った。
そして、カバンから封筒を取り出すと、助手席の開いた窓から、陽一に向かって差し出した。
「お返しします。100万円。これで1日1万円の100日はチャラにしてください」
「は?」
「・・・」
「本気で言ってるのか?」
「・・・」
香織は無言で、封筒を助手席のシートに置いた。
「・・・今日は・・・、じゃなくて今日もご馳走様でした。・・・あと今日は・・・少し楽しかったです・・・」
なぜか鼻の奥がツーンと痛い。目に熱いものが込み上げてくるのを感じ、慌てて頭を下げた。
「では、そういうことで!おやすみなさい!さようなら!」
香織は背を向けると、一目散に駆けて行った。
駅に向かうつもりだったが、車で追い付かれては困る。
ちょうど走ってきたタクシーを捕まえて、飛び乗った。
☆
陽一はすぐに車で追いかけるような無粋な真似はしなかった。
軽くため息をつくと、香織が置いて行った封筒を手にした。
一応中身を確かめると、帯が巻いてある100万円の束が一つ入っていた。
だが、改めて封筒を目にした途端、ハッと笑い声が漏れた。
「やってくれるね、お袋さん」
陽一は封筒を乱暴に助手席のシートに放った。
「ふん、こんなことなら、ドアを開けてやるんだったな・・・」
陽一は腹立たし気にエンジンを吹かすと、夜の都内を爆音と共に駆け抜けて行った。
☆
翌日、香織は恐る恐る出社したが、陽一から何の接触もなかった。
無事に100万円が受理されたようだ。
(やっと、普通の日々に戻ったな・・・)
香織は一抹の寂しさを覚えながらも、家路に急いでいた。
(今日のお夕飯はお粥にしよう。最近食べ過ぎだったもんね。暫く胃を休めなきゃ)
そんなことを考えて歩いていると、スマホが震えた。
電話が鳴っている。
(知らない番号だ)
香織は、基本的に知らない番号は出ないことにしている。大抵はセールスだからだ。
今回も、そのまま放っておいた。
バイブがうるさいので、カバンの奥に押し込んでしまった。
家に着いてから、改めスマホの着歴をみると、同じ番号で3回もかかっている。
そのうち1回は留守電にメッセージが残されていた。
(え~、何~?)
面倒臭そうに留守電を聞いて、香織は一気に青ざめた。
『西川でございます。お手数でございますが、折り返しお電話を頂戴したく存じます。よろしくお願いいたします』
(ひゃ~~っ!)
香織はマッハで電話をかけ直した。
「はい。西川でございます」
「お疲れ様でございます!原田でございます!お電話を頂戴いたしまして・・・」
「原田さん。折り返しお電話頂き、恐縮でございます。少々お待ちくださいませ」
香織はドキドキする心臓を押さえながら、そのまま待った。
何かとってもイヤ~な予感がする。
・・・すると、
「このバカ娘―!!」
鼓膜が破れるかと思うほどの怒号がスマホから噴出した。
(ひっ!)
やっぱり、綾子だった。
だが、いきなりの怒号に香織も意味が分からない。
「す、す、すいません・・・。でも・・・、あの何が・・・?」
「封筒をそのまま渡したの?!」
「??」
「そのまま渡したのかって聞いているのよ!」
「・・・はい。現金なので手を付けたくなくて・・・」
「・・・」
電話口の向こうで激しいため息が聞こえた。
「あの封筒は私が役員をしている子会社の封筒よ!ちゃんと見なかったの?!」
「え゛・・・」
香織はますます青くなった。確かに確認しなかった!
茶封筒だったから、無地だと信じ込んでいた。
その上、大金で、下手に触りたくなかったので、すぐにカバンに仕舞ってしまったのだ。
香織はベッドに置いてあるクッションに顔を埋めた。
(私のバカ・・・)
香織は自分の間抜けさを呪った。
「スビマセン~・・・」
「今日、早速、陽一から突き返されたわよ!」
「!」
「どうするつもり!?」
「・・・どうすればいいでしょう・・・?」
「知らないわよ!自分で考えなさい!」
「ま、待ってください!見捨てないで下さいー!」
香織はスマホにかじりついた。
「副社長のお母さま!お母さまだけが頼りなんです!私一人じゃ、あんなイケメン、とても太刀打ちできません~~!」
「・・・」
電話口の向こうから、さっきよりも大きなため息と共に、
「・・・仕方がないわね・・・」
と呟く綾子の声が聞こえた。
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