<12> 100日と100万

月曜日の朝、香織は憂鬱な気持ちで出社した。


100日間のお付き合いって言うことは、今日からカウントして、100日?

それとも、一日1万円ということは、会わない日はカウントされないってことか?

いやいや、会わなくても、きっちり三か月と十日ってことでいいのよね?


(あ~、そこら辺詰めてなかったな・・・。今更聞いたら、会わない日はカウントしないって言われそうだし・・・)


余計なことに気を取られ、キーボードを打つ速度が、パッチンパッチンっと遅くなる。

先週の香織と全然違うことに、周りは相変わらず、不思議そうに香織を見ている。


(100日、100日・・・100万、100万・・・)


100日・・・。

100日もあの陽一といて、果たして自分は落とされずに無事にいられるのだろうか?

正直、自信が無い。あんな男前、落とされない方がおかしい。

でも、絶対自分とは不釣り合いだ。

万が一に間違って付き合ったとしても、すぐ捨てられるに決まってる。


100万・・・。

そう、100万円さえ用意すれば、回避できるんだ。やっぱり貯金を下ろそう!

だが、御曹司にとってはたかが100万でも、一般OLにとって100万円はかなり痛手だ。

でも、この際仕方がない!

いやいや・・・、やっぱり・・・、100万円は痛い・・・。


そんなことを堂々巡りしているうちに、お昼になった。

香織は恐る恐るスマホを見ると、L●NEにメッセージが・・・。


「ある・・・」


『昼飯 1Fで待つ』


(せめて今日は自腹で食べよう・・・)


香織は重い足取りで、1Fまで下りて行った。



                 ☆



就業後、香織は少し軽い足取りで、会社を出た。

今日の夜、陽一は取引先と会食があると言っていたので、絶対会うことはない。


(この調子でお昼しか会わないっていうのも、アリなんじゃない?)


そんなことを思って、駅に向かう途中、見知らぬ男性に声を掛けられた。

中年とは言わないまでも、そんなに若くない男性で、夏だというのにスーツの上着を着て、ネクタイまでしている。とてもしっかりした身なりの男性だった。


「原田香織さんですよね?」


「・・・。はい、そうですが・・・」


「失礼いたしました。私、佐田綾子の秘書をしております、西川と申します」


「!!」


「佐田が待っておりますので、どうぞこちらへ」


(オワタ・・・)


香織は囚人のように、西川の後をトボトボついて行った。

そして、黒塗りの立派な車に乗せられたかと思うと、どこかに連れて行かれた。



                 ☆



香織が連れて来られたのは、立派な料亭の個室だった。

中には綾子が一人、座って待っていた。

テーブルにはすでに美しい懐石料理が所狭しと並んでいる。


「失礼します・・・」


「・・・」


香織は綾子の前に席に、ちんまりと座り、改めて頭を下げた。

顔を上げなくても、怒りに満ちた目線を向けられていることが、よく分かる。

その目力で皮膚がチリチリと焼けそうに痛い・・・。


「・・・」


「・・・」


「・・・どうしてお呼び立てしたか、お分かり?」


「・・・はい。・・・土曜日の件ですよね?」


「ええ。説明していただけるかしら?」


「はい・・・。実は・・・」


香織はできる限り、土曜日の出来事を詳細に語った。


祖父に呼び出されたレストランに行ったら、陽一との見合いだったこと。

陽一にカバンを奪われ、ついて行くしかなかったこと。

その途中に綾子と会ったこと。

その後は、思わず食いついてしまったオルセー美術館展に行ったこと。

そして、誤って陽一の腕時計を蓮の池に落としてしまったこと・・・。


「・・・で、一日1万円で100日間お付き合いするということになってしまいました・・・」


「はああ?」


綾子はあまりの展開に、その美しい容姿から発せられたとは思えないような、素っ頓狂な声を上げた。


「も、申し訳ございません!早速約束を破りました!」


香織は思わず土下座した。

綾子は信じられないものを見るような目つきで、香織を見ている。

香織は恐る恐る顔をあげると、


「あの・・・、私、どうしたらいいでしょう?」


と困惑気味に聞いた。


「そんなこと自分で考えなさい!!」


綾子は怒りに任せ、つい声を張り上げた。


「・・・やっぱり、100万円現金で支払った方が、いいですよね・・・」


香織は俯きながら呟いた。目に涙が浮かんできた。

自分の失態とは言え、100万かぁ・・・。


ガックリ肩を落としている香織を見て、綾子はあることを思いついた。


「ええ!100万円現金でお返しなさい!」


「う゛・・・」


「その100万円はこちらで融通します」


「え?」


香織は思わず顔を上げた。

綾子の顔を見ると、ニッと笑っている。その笑い方は陽一とそっくりだ。


「ふん、あの子が提示したバカげた提案です。あなたが言うことを聞く必要なんてありません。それに、そもそも、スピードマスターなんて、あの子何個も持っているのよ」


「え゛・・・」


「明日にでも100万円用意したら、西川に届けさせます。それをお渡しなさい」


「いいんですか?」


信じられないように綾子を見上げる香織に対して、綾子は澄ました顔を向けた。


「ええ、あなたとっては手切れ金とでも思ってちょうだい」


「はあ・・・」


「さあ、この食事も手切れ金の一部だと思って、召し上がって。無駄にしてはいけないわ」


「はあ・・・、では、遠慮なく・・・」


『手切れ金』とはずいぶんな言われようだけど、今の香織にとっては、とてつもなくありがたい申し入れだった。


(ちょっと怖いけど、やっぱり救世主かも・・・)


香織は綾子をちらりと見ると、後は、目の前の料理に集中した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る