47.努力しよう

 フラガナ大陸の南に、大断崖だいだんがいという地形がある。


 大陸中央部が火山活動で隆起りゅうきした古代、置いてきぼりをくった海岸線付近の平野部と、大密林だいみつりんが広がる上部の台地との間に、垂直の断崖だんがいが延々と続いている。


 その大断崖だいだんがいの、東回りの登攀路とうはんろの上端に、ベルグとメルセデスが立っていた。


 やや後方に離れた場所で、至高の聖女銃士隊セント・バージニア・ハイランダーズが全員で、五艘ごそう簡易船艇かんいせんていを収納している。エングロッザ王国の王都ジンバフィルの南、巨大な淡水湖から流れ出て大密林だいみつりん蛇行だこうする河を、ここまでは水路で下りた。


 往復とも同じく、大断崖だいだんがいは足で越えるしかない。


 アーリーヤの国外退去を支援した時は飛び降りたが、それは、まあ、事例に含めなかった。ベルグは、感慨深かんがいぶかい、と表現できる心境で、大断崖だいだんがいからの下界の景色を見た。


 黒髪をい上げ、砂色の軍服に太刀小太刀たちこだちいたベルグのとなりで、場違いに胸元から上を露出したまっ赤な長衣ちょういと、少し短くなった金髪のメルセデスが、鼻唄はなうたを歌った。


 メルセデスの細い指先が、魔法アルテ結晶端子けっしょうたんしを二つ、もてあそぶ。


「押し売りみたいな私たちまで入れて、みんなで山分けなんて、律儀りちぎ大盤振おおばんぶいよね。こういうのも共産主義に含まれるなら、たまには、悪くないかしら」


「だが、アルメキア共和国が作戦目標としていた、魔法アルテ結晶単子けっしょうたんしの生成方法に関わる情報は、入手できなかった。残念だったな」


「そうでもないわ」


 メルセデスの軍靴ぐんかが、軽く、小石を踏み砕いた。


「東フラガナの取り分を足しても、ロセリアが獲得かくとくした結晶単子けっしょうたんしは、五個の中の二個。エングロッザ王国の、将来的な共産主義化を計算したって、気前きまえが良すぎるわ。つまり、それ以上のなにかを、ちゃんと入手してるってことよ」


 下界から、風が吹き上がる。まっ赤な長衣ちょういすそが、戦場のはたのようにひるがえった。


「独占させちゃいけない情報が、ロセリア連邦、特殊情報部コミンテルンの手に渡った。この大盤振おおばんぶいは、わざわざ、それを知らせてくれているのよ」


戦火せんかのない諜報戦ちょうほうせん、冷たい戦争の始まりということか」


創造そうぞう御子みこ、ロセリアの独占に風穴を開ければ良いのよ。まだ最悪じゃない。今、この人類発祥じんるいはっしょうの大地で始まった、冷たい戦争……冷戦れいせんの勝ち負けは、いつか、私よりえらい誰かが決めるわ」


 メルセデスの声は、また、歌うようだった。


 小気味良こきみよいと感じて、ベルグは、メルセデスに見えないように笑った。失敗して、メルセデスが悪戯いたずらっぽく、流し目を向けてくる。


「それはそうとして、この結晶単子けっしょうたんし、本当にもらっちゃって良いの? 手ぶらで帰って、奥さんに怒られたりしないのかしら?」


「問題ない。フェルネラント皇国こうこくは世界大戦の敗戦処理で、すべての軍を解体している。自衛手段を除いて、諜報組織ちょうほうそしきも公的には存在していない。魔法アルテは定義が不明瞭だが、再軍備を疑われる可能性になる。したがって不要のものだ」


「さすが、フェルネラントのサムライは真面目まじめね。あなたのそういうところ、やっぱり、かなり好きだわ。ロセリア退治に失敗したからって、ハラキリなんてしないでね」


「する理由がない。切腹せっぷく精算行為せいさんこういと言ったはずだ」


 メルセデスが、小首をかしげた。ベルグは説明の必要を認めた。


「自分の任務は最終的に、エングロッザ王国の自主独立を支援して、ロセリア連邦の影響力を可能な限り減らすことだった。想定外だったが、東フラガナ人民共和国が介入かいにゅうしてきた時点で、任務は達成できている。恐らく妻が、外交的な働きをしたのだろう。ニジュカ=シンガに接触した以後の行動は、メルセデス、救命きゅうめいの恩を身体で返しただけだ」


「……ごめんなさい。ちょっと、わからなくなったわ。それじゃあ、なんで、奥さんの寄越よこしたお手伝いと、小目標しょうもくひょうがなんたらで戦ったりしたの?」


「あくまで推測だ。確実な情報連絡がない以上、行動目標は継続する。常識的な判断だ」


「あのね……これは推測だし、確実な情報連絡もないんだけど、常識的にね」


 メルセデスが、呆然ぼうぜんと金髪をかき上げる。明るい空色そらいろの瞳が、少し泳いだ。


「奥さんの所へ帰った方が良いわ。可及的かきゅうてき、速やかに、なにを置いても、よ」


「努力しよう」


 フラガナ大陸から見れば、フェルネラント皇国こうこくは東の海の最果さいはてだ。ベルグは、常識的な回答をした。


 メルセデスが、大きなため息をついた。



********************



 フラガナ大陸の南端にある港町インパネイラは、北方のオルレア大陸の西内海にある海洋交易国家、ヴェルナスタ共和国の本土外領土ほんどがいりょうどだ。


 沖合いで寒流と暖流のしおが混ざり合い、新鮮な魚介類が豊富にれる。基本的には、地元住民の漁港ぎょこうとしか使われない港に、今はヴェルナスタ共和国の主宰ドージェが海外領土視察に使う、大型の蒸気式旅客船じょうきしきりょきゃくせん、三隻の船団が停泊していた。


 頑強がんきょう鋼張はがねばりの船体で、甲板も広く、優美な木造彫刻で飾られている。その一隻の甲板上で、レナートとアーリーヤ、リヴィオが座り込んでいた。


 正確には、出航を間近まぢかにして、船員が慌ただしく行き交う甲板を、海に興奮したアーリーヤがあちこち走り回って、レナートとリヴィオが二人がかりで座らせたところだった。


 インパネイラの港から見る海は、東西と南だ。


 東に進めば、フラガナ大陸の東岸をて、オルレア大陸の南岸に面しながら、島国のフェルネラント皇国こうこくが浮かぶ大洋たいように出る。西に進めば、フラガナ大陸の西岸をて、アルメキア大陸に面した大海たいかいに出る。


 インパネイラはヴェルナスタ共和国の、本土外領土ほんどがいりょうど最遠さいえんの地で、海外領土視察の折り返し点だった。


 予定では、これから大海たいかいを横断して、アルメキア大陸の南半分を周遊するはずだったが、アーリーヤを亡命者として受け入れた政治的判断から、一度、ヴェルナスタの本国へ戻ることになった。


 レナート、アーリーヤ、リヴィオが今、甲板で騒がしく待っているのは、その復路ふくろの出航だ。アーリーヤが、きらきらとした目で、海を見つめている。


「素敵ですわ……! この海の向こうに、レナートさまの、故郷の国があるんですのね!」


「ああ、いや……そう、かなあ」


 レナートは、曖昧あいまい肯定こうていした。

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