46.ゆっくり考えます

 エングロッザ王国の王都ジンバフィルに、混乱は少なかった。


 鉄骨鉄筋てっこつてっきん混練石灰こんねりせっかいの複合建築、舗装路ほそうろ、立体配置の水道管や導電線に、路面電車、なにより人ではない魔法励起現象アルティファクタによる無限の労働力で創造された、楽園都市の夢から覚めた。


 険しい山脈の下、高原と密林、湾曲わんきょくした巨大淡水湖にまたがる地域に、太古から現代に存続する城郭都市じょうかくとしとして、非連続的に顕現けんげんした創造物のすべてが、ちりになって消えた。


 泡沫うたかた幻想まぼろしが、蜂蜜酒はちみつしゅの残りと共に、非現実的な記憶だけになっていた。王都住民の誰もが、すぐに、自分の記憶の方をいぶかしむようになった。


 父王をしいして次の国王となったヒューネリクは、旧体制の一派に叛逆はんぎゃくされ、暗殺された。実行者は父王の弟で、お互いに刺し違えた。


 そういう設定が、公表された。


 ヒューネリクの叔父おじは、ヒューネリクの即位に叛逆はんぎゃくして、ヒューネリクの指示で殺されていた。そこまでは事実なので、都合良く前後をまとめられた。時系列はおかしかったが、そんなことを精査せいさできる人間が、まず、いなかった。


「実は生きていてかたきった、というのも、大衆受けする設定ですしね」


「殺した張本人が言うと、胡散臭うさんくさいもきわまってるな」


「まあ、大丈夫だろ。フラガナだからなあ」


 ザハール、ルカ、ニジュカが、薄く伸ばした芋粉いもこにくを巻いた包み焼き片手に、昼間から蜂蜜酒はちみつしゅを飲んでいた。


 明るい色の煉瓦れんがと石造りの、精緻せいちな二階層の建築物の、庭先だ。ヒューネリクの即位以前の王宮で、今はまだ、まともに給仕きゅうじをする人手もないので、飲食物は市街の飯屋めしやから調達していた。


「それで、おまえたちまで本当に帰るのか? 革命と共産主義で、植民地でふんぞり返りに来たんだろう。これからじゃないか」


 ニジュカが、からかうように笑う。ザハールが肩をすくめた。


「すぐに後任で、胡散臭うさんくさくない、人当たりの良い誰かが来ますよ。長く続いた王族統治への敬意や、短い楽園を饗応きょうおうしたヒューネリクを惜しむ気持ち、そういうものを持つ王都住民は、多いでしょう。愚民ぐみん教導きょうどうは、少なくとも表面的にばれない程度の人格者が、時間をかける必要があります」


「本音がこぼれてるぞ。俺にはうるさく訂正したくせに、本国の公式設定はどうした?」


「酒の席ですから」


 ザハールが、ニジュカに笑い返す。


「その誰かの着任時は、もちろん、革新かくしんの長期計画と経費、支援物資と人材も込みですよ。こちらも譲歩じょうほして、東フラガナ人民共和国を経由けいゆする形になるでしょう。黒色人種の希望の星として、共産主義で世界を征服するため、ロセリア連邦からの投資で、せいぜい働いてください」


 今度は、ニジュカが肩をすくめる番だった。これ以上の難しい話はごめんだとばかり、蜂蜜酒はちみつしゅはいを飲みして、立ち上がる。


「大体わかった、任せとけ。後の誰かに丸投げは、まあ、俺も同じだ。軟弱な怪我人どもに無理させるのもなんだし、それまでは働いてやるよ」


 さすがに似合っているフラガナ流の民族衣装と、短い芝生しばふのような茶褐色ちゃかっしょくの髪が、陽光にゆれる。


 筋肉で盛り上がった黒い肌が、気負きおいもなく歩いて行く先に、同じ黒い肌の若者たちが待っている。案外、指導者の風格があるようだった。


 エングロッザ王国は、エングロッザ人民共和国になる。黒色人種の主体しゅたいによる近代国家、共産主義国の新星しんせいは、陣営の国体数こくたいすうで争う世界大戦後の国際秩序において、ロセリア連邦の大きな力になる。


 ニジュカを見送って、ルカが鼻を鳴らした。


「軟弱な怪我人、か。言われてるぞ、ザハール」


「あなたの方が重症ですよ。魔法アルテ治癒ちゆが、まだ進みませんか?」


「最後の最後まで、しぼり出したからだよ! おまえたちのせいだぞ! 三人まとめて、気絶して落っこちて来やがって、俺だってぼろぼろだったんだぞ!」


 ルカが、たてがみのような赤銅色しゃくどういろの髪を乱して、わめいた。髪以外は、顔も身体もあちこち包帯とだらけで、茶色のロセリア連邦陸軍の将校服を雑に着崩きくずしたさまだった。


 向かい合ったザハールは、白金色はくきんしょくの長めの髪も、白い上下も整えて、いつものすずしい顔だった。貴公子然きこうしぜんとしたあおい目をのぞき込むように、ルカが表情を硬くした。


「それで、どうするんだ? 本当に帰るのか?」


「……同じことを、なぜ聞くのでしょう」


「俺の方が重症だ。魔法アルテ治癒ちゆが、まだ進まない。まともに魔法アルテを使えない今だから、聞いてやってるんだ」


「あきれました。ヒューネリクだけでなく、あなたも相当のお人好しで、ついでに余計な世話焼きですね」


 ザハールが苦笑した。あおい目が、穏やかに細くなる。


 そのあおに、翡翠色ひすいいろが混ざった。何条もの光の線が明滅した。


「帰りますよ……あなたが、あんまりうるさいので、私もロセリア料理が恋しくなりました。ロセリア連邦からも、特殊情報部コミンテルンからも、とりあえず離れる気はありません。あなたと殺し合う気も、なおさら、ありませんよ」


 ゆっくりとまばたきをして、目が、またあおに戻る。


創造神そうぞうしんの知識、<創世の聖剣ウィルギニタス>を宿やど創造そうぞう御子みこ魔法アルテ結晶単子けっしょうたんしを生み出す方法……これらの情報を、どう扱えば、真実の友人に誠意を示すことになるのか。ゆっくり考えます」


 ザハールがてのひらに、魔法アルテ結晶単子けっしょうたんし、エングロッザ王国の秘宝の天星てんせいを二つ、転がした。他は、二つをアルメキア共和国に、一つをヴェルナスタ共和国に、それぞれ分配した。東フラガナ人民共和国とフェルネラント皇国こうこくは、権利を主張しなかった。


 魔法アルテ結晶単子けっしょうたんしは、魔法士アルティスタが死ぬと初期化されて、戻る。ヒューネリクは死んで、五つの天星てんせいは戻った。ヒューネリクが死ぬ前に、同じ体内に融合ゆうごうした、ごくわずかな素子そしを除いて。


 ザハールが、変わらないすずしい顔で、微笑ほほえんだ。


 ルカは胡散臭うさんくさそうに、また、鼻を鳴らした。

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