45.大違いですの!

 一本腕のてのひらが、歯のように円周に並んだ二列二十本の指が、咀嚼そしゃくするように鉄杭てつくいを握りつぶす。


 ヒューネリクは、ルカが落ちて行った地上の霧風きりかぜを、笑いながら見続けていた。鉄杭てつくいは、まだ消えていなかった。


 一つながりの鉄杭てつくい蛇身じゃしんが、地上のきりの中から、翡翠色ひすいいろの一本腕が生えるうろうろを開いた同じ翡翠色ひすいいろの球体と、その上に立つヒューネリクを、一条の道に結んでいた。


 遠く、轟音ごうおんが響いた。


 王都ジンバフィルの北辺で、きりが飛散した。垂直のにじが、青い空に向かって屹立きつりつした。


 ヒューネリクが、ふと、そちらを見た。


 ヒューネリクの首が切断されて、頭部が、肩の上から落ちた。紫色むらさきいろ瘴気しょうきを全身と、両腕の小剣にゆらめかせて、ザハールがヒューネリクの正面に立っていた。


 白金色はくきんしょくの長めの髪も、長身痩躯ちょうしんそうくの白い上下も、千々ちぢの傷で汚れて、なお貴公子然きこうしぜんすずしげだ。深いあおの目が、落ちるヒューネリクの首を、穏やかに見つめていた。


 ヒューネリクの翡翠色ひすいいろの目も、ザハールを、穏やかに見つめた。


『君も……ここまで、来てくれるなんて。嬉しいよ、ザハール』


 首のないヒューネリクの身体が、落ちるヒューネリクの首を、両掌りょうてのひらで受け取った。胸の前で、首が微笑ほほえんだ。


 うろがもう一つ、球体に開いて、ザハールを飲み込んだ。


 翡翠色ひすいいろの闇が明滅して、紫色むらさきいろ瘴気しょうきを侵食する。ザハールの輪郭りんかくが、溶けるように崩れ出す。苦悶くもんが、初めて秀麗しゅうれいな顔に浮かんだ。


 ヒューネリクが首を、肩の上の断面に戻す。白いきりあわのようににじんで、切断線が消失した。


 変わらない微笑ほほえみで、足元のうろをのぞき込む。


『君のことも、好きだったよ。違う出会い方をしていれば、とも考えたけれど……多分、同じように、仲良くなれただろうね。うん。ぼくたちは、きっと……どこか、似ていたような気がするから』


「こちらこそ、嬉しいですよ……ヒューネリク。友人として、その言葉だけでも、むくわれます」


 うろの中で、ザハールが目を細めた。声が、はっきりとうろを伝い、ヒューネリクに語りかける。


「私の魔法アルテは……体内に作用し、心拍しんぱく、呼吸、筋力を上げて……神経伝達の限界まで動きを速める、生体加速せいたいかそくです。加速ができるなら、その逆も、また道理でしょう」


 紫色むらさきいろ瘴気しょうきが、大きく広がった。


 翡翠色ひすいいろうろの中ではなく、球体も一本腕も、ヒューネリクも、抱き込むように広がった。


「あなたは今、私と同じ体内です」


 ザハールの、その声を最後に、ザハールとヒューネリクの生体時間が極限まで減速げんそくする。


 うろの明滅が止まる。地上の霧風きりかぜも、中天ちゅうてんに満ちた光のような闇、闇のような光も、うごめきをくす。異界の幻夢げんむが静止する。


 ヒューネリクの瞳が、わずかに動いて上を見た。


 王都の北辺から開いた青空が、もうここまで、霧風きりかぜ払拭ふっしょくしていた。はるかな天空から一翼いちよく、黄金の粒子りゅうしあお燐光りんこうかがや氷翔剣ひしょうけんが、さざなみいて一直線に舞い降りた。


 水晶の鈴の鳴るような、音が響いた。


 羽根飾りを広げたつばを中心に、も刀身と同じ両刃を持っている、錫杖しゃくじょうに似た幅広く長大な剣が、レナートとアーリーヤの乗った<創世の聖剣ウィルギニタス>が、ヒューネリクの胸の、まん中をつらぬいた。


 静止した幻夢げんむの中で、アーリーヤを胸に抱いたレナートが、ヒューネリクと視線を合わせた。


「証明したよ……ぼくたちは、あんたより強い」


 ヒューネリクの、翡翠色ひすいいろの瞳がゆれる。


 レナートの言葉が、魔法アルテの共振が、おもいをつないだ。伝えなければいけないことを伝えるために、剣の魔法アルテが願いにとどく。


「ぼくたちは、ぼくとアーリーヤは、生きていける。信じてくれて良い……神話は終わったよ、創造神」


 ヒューネリクが、ゆっくりとまばたきをした。


 一翼いちよくの剣が、黄金のさざなみに戻って、散った。一緒に、翡翠色ひすいいろの球体が、ひらひらと小さな無数のちりになる。


 密林に、が差し込んだ。


 きりが晴れた。


 

********************



 昼でも夜でもない、あわい光の中で、ヒューネリクはアーリーヤの頭をなでた。金茶色の巻き毛が、やわらかい。


 アーリーヤは、難しい顔をしていた。


 それが可笑おかしくて、少し、巻き毛をかき混ぜる。子供扱いを感じたのか、アーリーヤのほおが、いつか庭で捕まえてきた野鼠のねずみみたいに、むくれた。


「お兄さま……お兄さまは、わたくしを……」


 黒檀こくたんの肌がうっすらと赤らんで、大きな丸い目が、上目遣うわめづかいに細くなる。


 ああ、いけないな。泣き出す直前だ。


 ヒューネリクが苦笑した。アーリーヤは、そんなヒューネリクを、逃さなかった。


「わたくしを妹ではなく、本当は……妻となる婦女子として、愛してくださっていたのですか……?」


「さあ? わからないな。そんなこと、今さら、どっちでも良くない?」


「わたくしの心構こころがまえ的に、大違いですの!」


 アーリーヤの剣幕けんまくに、ヒューネリクが、ますます苦笑した。収まらないアーリーヤの、巻き毛から耳、ほおを、てのひらで軽くなぞる。


「じゃあ……そうだね。アーリーヤが、これから生きていくのに、気が楽な方で考えてよ。それ以上の本当なんて、らないんだからさ」


「……っ」


 アーリーヤが、くちびるをひん曲げた。同じようにひしゃげた目がうるんで、ぼろぼろと、涙がこぼれ落ちた。


 難しい顔から、ひどい顔になった。


「お兄さま……わたくしも、なんと言いますか……不倫ふりんっぽい別口の大恋愛を、もう、している身なのですが……」


「うん。おもしろい考え方をするよね。好きだよ、そういうところ」


「それでも……愛するお兄さまで、婚約者で……結婚だけ飛び越して未亡人というのも、それはそれで、悲しいですの……っ!」


 やっぱり泣き出した。大声で、アーリーヤが泣いた。


 両手で顔をくしゃくしゃにぬぐって、小さな子供のように、アーリーヤが泣きじゃくった。可笑おかしくて、可愛かわいくて、ヒューネリクも少しだけ、泣きそうになった。


 はぐらかして、抱き寄せた。


「アーリーヤ……世界は広いよ。君ならきっと、どこへでも行ける。王族とか責任とか、そんなものとは関係なく、幸せに生きて欲しい」


 心から、そうおもう。


 信じられる。


「やっと、言ってあげられた」


 ヒューネリクが、アーリーヤを離した。


 かけがえのないもののために、生きた。昼でも夜でもない、あわい光の中で、ヒューネリクは幸せを感じられた。

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