44.嫌いじゃないわ

 極黒きょっこくの球体が、青白い火花をともなって、わずかに振動する。


 無貌神むぼうしんけずり取った空間に浮かんで、極黒きょっこくの球体は、それでもまだせめぎ合っていた。


 ルカが歯をいしばる。握りしめたてのひらが、前に出した右腕が、きりのような血煙ちけむりに染まった。


 球体が大きくふくれ上がって、極黒きょっこくから翡翠色ひすいいろに変わった。その上に、ゆっくりと構築されるように、ヒューネリクが生まれ出て、立ち上がる。


 背が高く黒い肌に、精悍せいかんな顔立ちが陶器とうき面貌めんぼうじみて、短い金茶色の髪が王冠のようだ。右の上半身を露出した、鮮やかな色彩のフラガナ流の民族衣装に、外套がいとうを巻きつけている。


 立っている球体と同じ、翡翠色ひすいいろの瞳に、何条もの光の線が明滅した。


 球体の中心に、うろが開いた。やはり翡翠色ひすいいろの、ふしくれだった一本腕が生える。


 一本腕のてのひらが、鉄杭てつくいの大蛇に向かってほどける。歯のように円周に並んだ二列二十本の指が、戯画化ぎがかされた大蛇の先端を、握りつぶした。


 かろうじてけたルカが、そのまま、鉄杭てつくいからすべり落ちた。


 血煙ちけむりいて、さかしまに落ちながら、ルカはヒューネリクに笑って見せた。ヒューネリクも、地上の霧風きりかぜの中へ落ちていくルカに、笑って見せた。



********************



 リヴィオの、鋼鉄の巨神像きょしんぞうが、灰白色かいはくしょく石鉄巨人せきてつきょじんと組み合った。


 石鉄巨人せきてつきょじん岩盤がんばんんだような、無骨ぶこつな人型のかたまりだった。混練石灰こんねりせっかいが硬質化した太い腕の、鉄骨を束ねた太い指が、甲冑の手甲しゅこうにも似た巨神像きょしんぞうてのひらをしめ上げる。


 石鉄巨人せきてつきょじんは、巨神像きょしんぞうより、少し大きい程度だった。それがすぐに、巻き立つ土砂と霧風きりかぜを吸着させて、より太く、より大きく、より重く、固まり続けていく。


 無尽蔵むじんぞうのように、また霧風きりかぜき出てくる。厚みを増す。大量の面貌めんぼうの影たちが、石鉄巨人せきてつきょじんの足元から、新しく構築される。


「くそ……っ! まだ出て来やがるのか!」


「こちらに力を配分するほど、本体の力をいでいることになるのです。レナートたちのために、気合きあいを入れなさい」


「そういう優しいこと、どうして本人には言わないのかな」


 茶化ちゃかしたつもりのリヴィオに、だがグリゼルダは、直接にはこたえなかった。


「……流れも完全に、こちらに向いたようです。頼りない姿を見せたら、後で説教されますよ」


「え?」


 グリゼルダは、視線を上げていた。リヴィオもつられて、視線を追う。


 目の前にそびえ立つ石鉄巨人せきてつきょじんより高く、山麓さんろくより、白濁はくだくした霧風きりかぜの空より高く、その上を見た。


 はるか大きな白い鳥影ちょうえいが、一羽、飛んでいた。その背の上に、紺色官服こんいろかんふくと、馬ののような一本縛りの赤毛あかげの髪がのぞいていた。


「まいったな……」


「思い出してみれば、出発する時に主宰ドージェが、<赤い頭テスタロッサ>に急使きゅうしを送ったと言っていましたね」


 ふわり、と、一枚のまっ羽根はねが落ちてきた。


 面貌めんぼうの影の、一つに触れる。触れた瞬間、面貌めんぼうの影が燃え上がった。


 ふわり、ふわりと、同じ無数の赤羽根あかばねが、静かな吹雪ふぶきのようにきりの王都へ降りしきる。明確な強い意思を宿して、面貌めんぼう群影ぐんえいだけを、赤羽根あかばねの炎が包み込む。き上がる焦熱しょうねつが、霧風きりかぜさえ払い散らした。


「ああ、まったく! 確かに、厳しい先輩に格好悪いところは見せられねえ! 気合きあいを入れる理由が、増えちまったよッ!」


 リヴィオが叫んだ。


 巨神像きょしんぞうの両腕が、うなりを上げた。石鉄巨人せきてつきょじんの手を、組み合っていた指を、文字通りの塵芥じんかいにひねりくだく。


 そのままこぶしを叩き込み、倍以上へ構築を重ねていた巨躯きょくに、地響じひびきの一歩を退がらせた。


「おい、親友!」


 リヴィオの声を、巨神像きょしんぞうの装甲が、魔法アルテが増幅する。


 炎の赤羽根あかばねに負けじとばかり、市街と、霧風きりかぜ残滓ざんしをふるわせる。


「あれよこせ! ほら、前にやったやつ! 貸しでも借りでも良いから、あの時より気合きあい入れろッ!」


 リヴィオの唐突とうとつで不明確な指図さしずに、魔法励起現象アルティファクタのオズロデットが少しぽかんとしてから、破顔はがんする。口笛くちぶえを吹いて、狩猟帽しゅりょうぼうを投げ捨てた。


「いかすぜ、親友! お望み通り、全力でぶち込んでやるから、泣くんじゃねえぞッ!」


「ちょっと、オズ」


 オズロデットの横で、メルセデスが、あきれたようにまゆをしかめた。それも、たいして長いではなかった。


「趣味だろ? こういうのも、さ!」


「まあ、嫌いじゃないわ」


 メルセデスがオズロデットと同じく、破顔はがんする。


 市街北辺で石鉄巨人せきてつきょじんと、まっこう向き合う巨神像きょしんぞうの背中を見上げる。炎の赤羽根あかばねが舞い散る、楽園の大通りから見上げる。


 豪奢ごうしゃな金髪を、無造作に一つかみ、銀の理容鋏りようばさみで切りはなつ。小さな白金はくきんの光の流れが、面貌めんぼうの影たちをき尽くす熱波ねっぱに乗って飛び、巨神像きょしんぞうにつながった。


 オズロデットが地に手をついて、逆立ちに両脚を振り上げた。地電流ちでんりゅうちゅうほとばしる。開いた脚を二転、三転と旋回せんかいさせて、いかづちの、荷電粒子かでんりゅうしうずを束ねる。


 うずが、白金はくきんの光に導かれて、巨神像きょしんぞうに投射された。


 巨神像きょしんぞうを中心に、星雲のようにいかづち渦巻うずまいて、轟音ごうおんと共に爆縮ばくしゅくした。巨神像きょしんぞうは両腕のこぶしを、胸の前で合わせていた。右腕から左腕、左肩から背中、背中から右肩、また右腕から左腕へ、魔法励起現象アルティファクタの鋼鉄の円環えんかんで、荷電粒子かでんりゅうし奔流ほんりゅうが加速する。


 輻射熱ふくしゃねつで、巨神像きょしんぞうの装甲が紅蓮ぐれんに燃える。


 石鉄巨人せきてつきょじんが、もう指のない岩塊がんかいの腕を広げて、巨神像きょしんぞうに襲いかかった。ほとんど真上から、崩落ほうらくする岩壁がんぺきのように、圧倒的な質量でおおいかぶさる。


 リヴィオとグリゼルダが、咆哮ほうこうした。


 巨神像きょしんぞうが両腕を解放し、右拳みぎこぶし昇打しょうだ石鉄巨人せきてつきょじん巨躯きょくった。


 零距離れいきょり荷電粒子加速砲かでんりゅうしかそくほう光流こうりゅうが、巨躯きょくの圧倒的質量を、岩を、鉄を粉砕して、灼熱しゃくねつに蒸発させた。魔法励起現象アルティファクタの力場が、すべての核崩壊熱かくほうかいねつ放射電子線ほうしゃでんしせんの嵐を、まっすぐ天穹てんきゅう穿うがった。


 可視光が散乱して、今度こそ、上昇気流で霧風きりかぜ白濁はくだくを完全に吹き飛ばし、垂直のにじが青空に向かって屹立きつりつした。

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