43.なにも苦しくなんかない

 白朧びゃくろう無貌神むぼうしんからは、なおも腕が生え続ける。きりの中にねじくれた異形の背中から、より長く、ふしくれが多く、指が七本も九本もうごめく腕が、生え続ける。


 八叉大蛇やしゃおおへびの全身で、鉄杭てつくいうろこ逆立さかだった。


 蛇腹じゃばらふくれ上がるように、うろこぜる。無数の鉄杭てつくいが飛んで、無貌神むぼうしんの腕をことごとく、空間にはりつけた。


 ルカは、レナートを見なかった。ただ、口のはしを、笑う形にゆがめた。


 レナートはアーリーヤを胸に抱いて、ルカとチェチーリヤの横を、け抜けた。


 黄金の粒子りゅうしが、さざなみを広げた。レナートとアーリーヤが乗った一翼いちよくの他、九翼きゅうよく氷翔剣ひしょうけんが、天空を無尽むじんり裂いた。


 白朧びゃくろう無貌神むぼうしんを、その腕を、ではなく、きりだ。


 異界の幻夢げんむにも似た霧風きりかぜ、ヒューネリクの魔法励起現象アルティファクタの本質を、レナートの目と紋様もんようと、氷翔剣ひしょうけんあお燐光りんこうり裂いた。


 無貌神むぼうしんの、新しく生えた腕が、やや短い。かわして、レナートとアーリーヤが、翡翠色ひすいいろうろに浮かぶヒューネリクと、視線を交差させた。


「ヒューネリク、あんたは……っ!」


「お兄さま……!」


 ヒューネリクが、顔の皮をぎ取るように、微笑ほほえんだ。


『正解だよ……。さすが白色人種は、頭が良いね……頭が良い。さとい子は……うん、好きだよ……』


 淡水湖から霧風きりかぜが、茫漠ぼうばくただよい立つ。鉄杭てつくいで空間にはりつけられた腕の、折れ曲がるふしくれの関節から、また別の腕が枝分かれして生え拡がる。


 すべての氷翔剣ひしょうけんを遠近自在にあやつりながら、レナートとアーリーヤも、薄暗うすくらがりに混濁こんだくした天地を飛ぶ。


「お兄さま、わたくしは……難しいことは、わかりませんわ……」


 アーリーヤが、くちびるみしめた。


「それでも、なにか……なにか、おっしゃってくだされば……一緒に苦しむくらい、できましたの!」


『アーリーヤ……おかしいな。アーリーヤは、まだ……間違っているね。ぼくは、なにも苦しくなんかない。必要なことを、考えて、しているだけだよ』


「必要なこと、か。その一言で充分だよ」


 レナートが、嘲笑わらう。


「あんたもルカも、リヴィオたちだって、あれだけ暴れて、王都の人が誰も騒がない。このきりが、眠らせているんだ。楽園の夢から目覚めない内に、そのまま……か。神さまを気取るには、情けない欺瞞ぎまんじゃないか」


 アーリーヤが王都のどこかにいる状況で、致死ちし魔法アルテを、ヒューネリクは使えない。アーリーヤを保護するにも、王都の住民すべてを殺すにも、眠らせるのが最適だ。


 そして同時に、欺瞞ぎまんでもある。死のおとずれが、せめて恐れも苦しみもないように、という、神ならぬ人の身の欺瞞ぎまんだ。


女子供おんなこどもを殺すのは、気が重いんだろう? 欺瞞ぎまんで、重い気をまぎらわせて、必要だからやる……それは、失意だよ。誰も信じられない、自分一人でやるしかない、そういう勝手な失望だ」


 言葉をいながら、十翼じゅうよく氷翔剣ひしょうけんが、枝分かれして生え拡がる無貌神むぼうしんの腕をっていく。


「ぼくだって……アーリーヤを守りたい。リヴィオも、きっと同じだ。ひょっとしたら、ニジュカさんも期待できる、かな。ザハールとルカは、駄目だね。自分たちの都合が最優先だ。メルセデスさんは……どうかなあ? 美人を信じたがるのは、男の悪いくせだから、少し差し引いて考えないとね」


「レ、レナートさまっ?」


「うん。まあ、つまりね。みんな、ばらばらなんだよ……それが、当たり前なんだ」


 抱き上げた胸の中で、丸い目をもっと丸くしたアーリーヤに、レナートは片目をつむって見せた。そしてすぐに、ヒューネリクを、厳しい顔で見据みすえた。


「……だけど今、ぼくたちは、あんたの前に立ってる。ぼくたち、みんなで、だ! それ以上の本当なんて、らないだろうっ!」


『レナートくん……君は……』


うそをつき合って、隠して、だまして、利用し合うのだって、当たり前だ! 上等だよ! これから先も、相手が誰だって、ぼくが良いように使って、アーリーヤを守らせてやる! あんたができないことを、やってやるよっ!」


『……』


「あんたは……人を信じる度胸もないのに、信じたがりで、世間知らずのお人好しだ! ひとがりに考えて、勝手に失望して、失意の神さまなんかになる前に……アーリーヤに、もっと、伝えなきゃいけないことがあるだろうっ!」


 九翼きゅうよく氷翔剣ひしょうけんひらく空間を、なおも生え続ける白朧びゃくろうの腕の密林を、かいくぐってレナートとアーリーヤを乗せた一翼いちよくが、無貌神むぼうしんの頭の、翡翠色ひすいいろうろせまる。ヒューネリクが、うろの中で両腕を広げた。


『ありがとう……そうだね。きっと、そうだ。君を、信じたいな』


 うろたたえた無貌むぼうの両側面からも、白朧びゃくろうの腕が、氷翔剣ひしょうけんに向かって伸びた。つかまれる直前にかわして、レナートとアーリーヤの氷翔剣ひしょうけんが、真上にはしる。追いかけて、白朧びゃくろうの無限の腕が、螺旋樹らせんじゅを形作って高く、高く、からまり伸びる。


『君が弱いなら、アーリーヤのために、ここで死んで欲しい。君が強いなら、ぼくのためにぼくを殺して、アーリーヤを連れて行って欲しい。それが良いな……それで良いな。ぼくは、人の子を神話にしばりつけた、自分勝手な創造神そうぞうしんの、罪の末裔まつえいなんだよ』


「「その態度が、気に入らないって言ってるんだよ/ですのっっ!!」」


 無貌神むぼうしんの真上の空へ、きりの天空へまっすぐ昇りながら、レナートとアーリーヤが同じ表情で叫ぶ。


 螺旋樹らせんじゅの腕と、九翼きゅうよく氷翔剣ひしょうけんが、ぶつかり合い、はじき合い、くだき合った。光のような闇、闇のような光、異界の幻夢げんむのような霧風きりかぜが、黄金の粒子りゅうしさざなみが、あお燐光りんこうが、舞い散った。


 長いような、短いような瞬間が過ぎて、すべてちりになった虚空こくうが、一翼いちよくの剣と腕のない神の間に存在した。


 いや、違う。


 小さく、小さく、粉塵ふんじんとなっていた砂鉄が、白朧びゃくろう無貌神むぼうしんを囲んでいた。黒鉄くろがね嵐雲らんうんも、八叉やしゃ蛇身じゃしん粉塵ふんじんに変えて、ただ一つながりの鉄杭てつくい戯画化ぎがかされた大蛇の先端にルカとチェチーリヤが立っていた。


「妹にも、妹婿いもうとむこにも、やられっぱなしだな。神さま気取り」


 ヒューネリクが、ルカを見た。


 ルカは右腕だけを前に、てのひらを開いていた。ルカの腕の下でチェチーリヤが、盛装せいそうすそを手につまんで、ヒューネリクにお辞儀じぎをして消えた。


 ルカが、てのひらを握りしめた。


 粉塵ふんじんとなって無貌神むぼうしんを囲んでいた膨大ぼうだいな砂鉄が、刹那せつなに閉じた。空間ごと無貌神むぼうしんけずり取って、わずか一抱ひとかかえほどの、極黒きょっこくの球体に縮重しゅくじゅうした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る