41.そうしておとなしくしていなさい

 ザハールが、感にたえるようなため息をついた。


 白金色はくきんしょくの長めの髪、深いあおの目、長身痩躯ちょうしんそうくに白い上下の、貴公子然きこうしぜんとしたたたずまいが、いっそ芝居しばいがかって白々しい。


「レナートくん、アーリーヤ王女……感動しました。とてもうるわしく、とおとい関係ですね」


「あんたが言うと、いかがわしく聞こえるよ」


「誤解があります」


 ザハールはおだやかな表情で、微動だにしなかった。ただ、小剣の刃だけが、むらさき瘴気しょうきにゆらめいた。


 ザハールの左手首と、レナートの右手首がかれていて、鮮血せんけつが吹き出した。その鮮血せんけつが、二人の間の空中でからみつき、結びつき、魔法アルテ瘴気しょうきをともなって、レナートの腕から全身に朱紫あかむらさき紋様もんようを刻み込む。


 脈動みゃくどうする魔法アルテ燐光りんこうに、レナートが身体を折る。アーリーヤが、しゃにむに抱きとめた。


 レナートは、目を閉じなかった。内側からかれるような、熱と鼓動こどうに明滅する意識で、アーリーヤを抱きしめて前を見る。


 霧風きりかぜと、霧風きりかぜが運ぶ異界から生まれ出る、鉤爪かぎづめの両手を開いた面貌めんぼうの影たちが、もうはっきりと間近まぢかに歩み寄っていた。


 ザハールの背中を、両手に持った小剣を、視界に認識した次の瞬間には、面貌めんぼう群影ぐんえいの一隊列が縦横じゅうおう斬撃ざんげきに散っていた。


馴染なじむまでの、わずかな時間くらいりますよ。素直に、そうしておとなしくしていなさい」


 ザハールが、すずしい顔を見せた。


「無茶をするあなたの危機を救うのは、これで直近、連続の二回目です。実績を評価してもらいたいですね」


 からかうような含み笑いを残して、むらさき瘴気しょうきに包まれたザハールが、残影ざんえいになった。


 一回、二回と、まばたきをする度に、面貌めんぼう群影ぐんえいがまとめて音もなくり散らされる。ザハールの魔法アルテこそ、戦慄せんりつする異界の悪夢のようだった。


 だが、認識できる。目で追える。生体加速せいたいかそくに限界が出ている。


 こんな時にまで、すずしい顔を崩さなかったザハールの残影ざんえいに、レナートは歯をいて笑って見せた。


「わずかな……時間くらい、か……。そっちこそ……実績を、軽く……考えてるじゃないか……」


 しぼり出すようなレナートの声に、レナートと抱き合うアーリーヤの腕が、精一杯の力を込めた。レナートは逆に、腕の力を抜いて、長い金茶色の巻き毛に、てのひらでそっと触れた。


「大丈夫……。これは……もう、ぼくの魔法アルテだ……」


 内側からかれるような熱は、そのままだ。脈動みゃくどうは激しく乱れて、それでも、レナートの意思に呼応し始めていた。全身に刻まれた血の紋様もんようが、朱紫あかむらさきから、氷のようなあおに変わっていた。


 アーリーヤが、レナートの腕を強くつかみながら、ゆっくりと身体を離す。瞳と瞳が、向き合った。


 アーリーヤは、とっくに泣きらしたような顔だった。大きな丸い目がうるんで、黒檀こくたんの肌と、通った鼻筋が赤くなり、ふっくらしたくちびるが少しふるえている。


「一緒ですわ……レナートさま」


 レナートの魔法アルテ燐光りんこうが、黄金の粒子りゅうしになって、かがやきを増した。氷のようなあおの、紋様もんよう脈動みゃくどうと混じりながら、空間にさざなみが広がった。


 アーリーヤが瞳を閉じた。


「わたくしが、わたくしの意思で、わたくしの命を使います。レナートさま……お兄さまの願いにとどく剣を、わたくしに」


「約束を果たすよ。誓いの剣を、君に」


 レナートも瞳を閉じて、アーリーヤとくちびるを重ねた。


 黄金の粒子りゅうしが、空間のさざなみが、収束した。水晶の鈴の鳴るような音が響いて、錫杖しゃくじょうに似た、幅広く長大な剣があらわれた。


 羽根飾りを広げたようなつばを中心に、も、刀身と同じ両刃を持っている。黄金の粒子りゅうしあお燐光りんこうかがやく、氷の刃だ。


 レナートとアーリーヤを氷の刃に乗せて、同じ長大な剣が十本、翼のように空間のさざなみをはらんでいる。


 レナートが、アーリーヤを胸に抱き上げた。アーリーヤも、レナートにうなずいて、同じ前を見た。


 見上げる先、ではない。


 茫漠ぼうばくとした光のような闇、闇のような光、空を侵食していた霧風きりかぜを、黄金のさざなみが押し返す。ルカの八叉大蛇やしゃおおへびが捕らえている白朧びゃくろう無貌神むぼうしんを、その頭部の、深い翡翠色ひすいいろうろに浮かんでいるヒューネリクを、同じ高さでまっすぐに見る。


 また、水晶の鈴の鳴るような音が響いた。


 レナートとアーリーヤを共に乗せた、黄金の粒子りゅうしあお燐光りんこうかがや十翼じゅうよく氷翔剣ひしょうけんが、天を舞った。



********************



 面貌めんぼう群影ぐんえい鉤爪かぎづめをかいくぐり、ち砕き、蹴散けちらすリヴィオとニジュカの、顔を上げた先で、山麓さんろくの巨塔が崩れた。


 王都ジンバフィルの市街からは、少し霧風きりかぜ退いている。巨塔に吸い戻されていた。


 ニジュカが、いつの間にか再装填さいそうてんしていた魔法拳銃剣アルタ・フチレスパーダ榴弾りゅうだんで、また一かたまりの面貌めんぼうの影をぎ倒しながら、リヴィオにあごで示す。


「若いの。あっち、行けるか?」


「そう言われてもなあ」


 リヴィオが肩をすくめる。巨塔に吸い戻されていた霧風きりかぜは、崩れる鉄骨鉄筋てっこつてっきん混練石灰こんねりせっかいを取り込み、灰白色かいはくしょく石鉄巨人せきてつきょじんになって、山麓さんろくからだを起こしていた。


「こちらの戦線を分断してから、うっとおしい数ばかりいる魔法励起現象アルティファクタを、市街の広域こういきに展開するつもりでしょう。あのさかしらな笑い面貌めんぼうの、考えそうなことです」


 リヴィオの背中に寄りうグリゼルダが、ふん、と鼻息を吹いた。


 碧眼がまたたいて、何本もの鉤爪かぎづめが折れ突き立ったままの、鋼鉄の双肩双腕そうけんそうわんを再構築する。地に落ちて、微塵みじんになった鉤爪かぎづめ欠片かけらは、また霧風きりかぜに戻って散っていく。


「こいつらの数、減ってないよね?」


魔法励起現象アルティファクタの総量は、南の方と合わせて、けずっていますよ。きりと個体を往復しているので、目に見えては、わかりにくいでしょうが」


「あのでかいのを放っておくのも、向こうのやり方に引っぱられて、街の人をあちこち襲われるのも、まずそうなんだよなあ」


「だから、こっちは任せとけって」


 リヴィオとグリゼルダの愚痴ぐちに、ニジュカが、厚い胸板でそっくり返る。

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