36.ぼくが君の剣になる

 レナートが、わずかに逡巡しゅんじゅんする。すぐさま、アーリーヤの声がねた。


「考えてみればわたくし、レナートさまのことを、あんまりわかっていませんの。お父さまに御挨拶ごあいさつして、密林で一緒に寝て、わからずやってひっぱたいたくらいですわ」


「それでだいぶ、いっぱいじゃないかな」


「初めてお会いした時、告白に近い決心を後の話にしようって言われたのも、そのままですわ」


 アーリーヤが押してくる。道理もある。


 昨日はリヴィオに完全敗北して、今日はアーリーヤに全面降伏するようだ。そう考えると、可笑おかしかった。


 自分は結局、こういう人間には勝てない。そして結局、こういう人間が好きなのだ。


 レナートは観念かんねんした。おもしろい話にはならないが、仕様がない。


「ぼくは……母さんと妹を、事故で亡くしてる。船の事故でさ。ぼくはその時、気を失ってて、父さんにたすけられたんだ」


「え……?」


「ヒューネリクに晩餐会ばんさんかいで言われたこと、図星だったよ。母さんと妹の犠牲ぎせいで生き残ったなんて、勝手にひねくれた。父さんは、なにも言ってくれなくて……だから逆恨さかうらみしてさ」


 少し、目をせる。


「ヴェルナスタ本国にいた頃、ザハールに魔法士アルティスタもどきにされて、一緒に暴れたんだ。その時の魔法アルテの影響が残ってて、アーリーヤの力と、変につながっちゃったんだから……こういうのもえんって、言えるのかな」


「レナートさま……」


 気遣きづかわしげなアーリーヤの顔を、レナートも顔を向けて、まっすぐに見た。


「アーリーヤ。君の力、エングロッザの王族でまれに現れる創造そうぞう御子みこの力を、魔法アルテ結晶単子けっしょうたんしに変える方法は……きっと、口伝くでんなんだ。王族や神官がり仕切る儀式、祭礼、国民の風習とか歌や踊り、そういうものにつまみ食いみたいに散らばっている暗号を、再構築する手順が、国王から世継よつぎの王子、かり創造そうぞう御子みこにだけ、直接伝承されるんだ」


 レナートの言葉に、アーリーヤが一度だけまばたきをして、息をんだ。レナートは、目をそらさなかった。


「ヒューネリクは君の殺し方を、父親から、命令に近い形で教えられたんだ。その記憶を、この王国の歴史と創造神の神話ごと、終わらせようとしている……ぼくには、そう見える。君を創造そうぞう御子みこから解放する、多分、たった一つのやり方だ」


「……っ!」


「一人で五つの結晶単子けっしょうたんしを取り込むなんて、とんでもない無茶だよ。魔法アルテが消費する熱量ねつりょうは、形を変えた生命せいめいだ。ヒューネリクは、もう長くはたない。アーリーヤ……君は今、あの時のぼくと、同じ場所にいるんだ」


 ふるえ始めたアーリーヤの手を、レナートが握りしめる。


 正しいとか間違っているとか、そんなことは関係ない。そんなことをアーリーヤが、考える必要はない。


 レナートはアーリーヤの、大きく丸いひとみに、精一杯の肯定こうていを込めてうなずいて見せた。


「他の方法がなくたって、それしかなくたって、文句の一つも言ってやらなきゃ気が済まない。そうだろう? えらそうに、本当のことはなにも言わない相手を、そのままにしちゃ駄目だ……ぼくにしてくれたように、ひっぱたいて、泣いて叫んで、力づくでもこっちの気持ちを、わからせてあげなきゃ駄目なんだ」


「レナートさま……わたくしは……」


「ぼくが、君の命を使うわけじゃない」


 最初から、そうだった。


 出会った時からアーリーヤは、走って、転んで、声をふりしぼって、小さな身体の全力で進んでいた。わかっていなかったのは、レナートだけだ。


「君が、君の命を、君の意思で使うなら……ぼくが君の剣になる。君の命を一緒に背負って、力になるよ。アーリーヤ」


 アーリーヤの瞳が、こぼれ落ちそうなほどに、レナートを見つめた。


 涙がゆれて、それでもはっきりと、レナートの視線を受け止めた。ふるえる手で、それでもしっかりと、レナートの手を握り返した。


 大密林だいみつりんから昇るあかつきが、アーリーヤを輝かせた。


 レナートは、ほとんど無意識に、アーリーヤを胸に抱き寄せた。


 最後の言葉を、少し迷った。それは、ヒューネリクの論理ろんりが到達するだろう、最悪の終末だ。アーリーヤは、静かに聞いていた。


「ヒューネリクは、今さら止まらないだろう……戦うことになる。それでも、最悪の終末それだけは防いで見せる。ぼくたち、みんなで」


 胸の中のアーリーヤのために、レナートはちかった。



********************



 同じあかつき樹冠じゅかんをなぞり、朝靄あさもやけむる淡水湖の東南端に、五艘ごそう小型船艇こがたせんていが着岸していた。


 多数の袋状ふくろじょう樹脂じゅしを空気圧でふくらませ、へりのある楕円形だえんけいに構成、補強材を張りめぐらせた、くすんだ枯葉色かれはいろ簡易船艇かんいせんていだ。


 きたえられた若々しい身体に、中世騎士団服ちゅうせいきしだんふくのような空色の衣装を着た美男子たちが、総勢十八人、規律正しく上陸作業を終えた。アルメキア共和国、陸軍特務部隊、至高の聖女銃士隊セント・バージニア・ハイランダーズだ。


 その横で、すぐに広がる大密林だいみつりんの奥を警戒するように、砂色の野戦服を着たフェルネラント皇国こうこくの武人、ベルグが立っている。黒髪を頭頂部でわえた、筋骨たくましい偉丈夫いじょうふだ。両腰に太刀と小太刀をいて、身の丈を越える鋼鉄の長棍ちょうこんを右手に持っている。


「こっちよ、ミスタ・サムライ」


 波うつ豪奢ごうしゃな金髪の美女、メルセデスが、ベルグに声をかけた。胸元と肩、腕と膝下ひざしたの白い肌が露出したまっ赤な長衣ちょうい軍靴ぐんかいて、岸辺から淡水湖の真ん中を見つめていた。


 ベルグが、かたわらに近づいた。


魔法アルテの共振か」


「ええ。発動している魔法アルテが強ければ、なんとなくわかるのよ。こればっかりは、魔法士アルティスタの特権ね」


 二人の後ろに、至高の聖女銃士隊セント・バージニア・ハイランダーズも、銃剣を着装した小銃を構えて、隊列をく。全員の視線が集中する湖面上に、朝靄あさもやとばりを開いて、男が一人現れた。


 あざやかな色彩の民族衣装に、ゆったりとした外套がいとうを巻きつけている。背が高く、黒い肌に精悍せいかんな顔立ちをして、短い金茶色の髪が王冠おうかんのようだった。


「やあ、ベルグ。なんだか余計な面倒をかけたようで、悪かったね」


 湖面の空中に浮かびながら、ヒューネリクが、久しぶりに会った友人をなつかしむように笑う。


 ベルグが、鋼鉄の長棍ちょうこんたずさえたまま、軽く頭を下げた。


「ヒューネリク王子、謝罪するのはこちらだ。アーリーヤ王女の国外退去を、まだ達成できていない。引き続き任務を……」


「あはははは! それはもう良いよ。ぼくにも、いろいろ計算違いがあったけど、どうにかなったからさ。ああ、ついでに、今のぼくは国王だよ」


 ヒューネリクの翡翠色ひすいいろの瞳に、何条もの光の線が明滅した。

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