35.たくさんいるじゃねえか

 ちょうどそこへ、ザハールとルカも戻って来た。


 二人も、かなりの蜂蜜酒はちみつしゅを飲んでいたはずだが、見た限り平然としたものだった。


「お待たせしました。そこの家を宿に借り受けましたので、今日は、夜まで遊んでいただいても結構ですよ」


「あれ? 王さまのところに戻らねえの?」


「そうか。おまえたちは特務局で、俺たちみたいな、専門の情報部じゃないからな」


 リヴィオの何気ない質問に、ルカが、思い出したようにつぶやく。遠回しな答えを、ザハールが補足ほそくした。


職業病しょくぎょうびょうですよ。誰かに用意してもらった場所で、内緒話ないしょばなしをしたくない、ということです」


 ヒューネリクに対して、今、こちら側にいる全員で意見を合わせたい、ということだ。組み合わせに思うところはともかく、リヴィオも表情を改めた。


「王さまの魔法励起現象アルティファクタ、そこら辺に、たくさんいるじゃねえか」


「それはもう、どこまでの危険性を踏まえるか、ですね。私たちも、これだけの王都住民にまぎれているのですから、特定するには信号処理が膨大ぼうだいです。腹をくくりましょう」


 ザハールが、レナートに向き直る。


「レナートくん。あなたが考えている構図は、恐らく正しいです。五つの天星てんせい魔法アルテ結晶単子けっしょうたんし過剰かじょう融合ゆうごうしたヒューネリクの状態は、不可逆的ふかぎゃくてきな増殖と自己崩壊を始めている……維持いじできたとして、三年ほど。そして、それを自覚しています」


 沈みかけている夕陽ゆうひが、ザハールを後ろから照らした。茜色あかねいろから薄暗うすくらがりに変わっていく王都に、無数の、電気の街灯が光をともす。


 幻想的な地上の星空の中で、楽園は、いつ果てるとも知れない酒食と音楽と踊りに酔いしれていた。


「王国の近代化をお題目にしていても、その実、彼は王国にも天星てんせいにも、なんの価値も感じていません。自分が死んだ後、好きに持っていけと言われましたよ。彼の欺瞞ぎまんと行動は……すべてアーリーヤ王女につながっていると、私も思います」


 レナートは、ザハールの目を見た。それで真意しんいがわかると思うほど、自惚うぬぼれてはいない。ザハールの目が映している、自分の姿を確認したかっただけだ。


 ザハールが、嬉しそうに微笑ほほえんだ。


「以上が、私たちの持っている最後の情報です。これで一蓮托生いちれんたくしょう、心置きなく、協力し合えますね」


「……どうしてそう、言うことも態度も、胡散臭うさんくさいんだか」


「誤解があります」


 心外そうに咳払せきばらいしてから、ザハールの微笑ほほえみが、少しだけ形を変えた。


「友人として、誠意を示したいのですよ……私の立場なりに、ね。それだけです」


 レナートとザハールが、まったく同時に、肩をすくめた。


 リヴィオとルカが、やはり同時に、ため息をつく。ひねくれた会話はともかく、なんだか二人が考えていることの、大筋の合意はできた。そういうことらしかった。


 レナート、ザハール、リヴィオ、ルカ、全員の視線がニジュカに向いた。ニジュカは、あくび混じりに親指を立てた。


「大体わかった、任せとけ。それはそれとして、若いの……王女さん、そろそろ引っぱり戻した方が良いと思うぞ」


 酔っぱらいからの、意外で余計な世話焼きに、レナートが渋面じゅうめんになった。


「ニジュカさんまで、そういうこと言います? お節介せっかいですよ。夜まで遊んで良いって、話したばかりじゃないですか」


「いや、まあ、な」


「家族も、育った国も、命も……なくすかも知れないんです。今だけの楽園なら、せめて、楽しませてあげましょうよ」


 それが本心の言葉だと、少なくとも言ったレナート本人は思った。だが、ニジュカは頭をかいて、妙に歯切れが悪かった。


「んー、おまえら白色人種には、確かに、わかりにくいかも知れないけどなあ」


「……なんですか?」


「ほら、こういう祭りみたいな日の夜は、みんな盛り上がってるだろ? 男も女も酒を飲んで、歌って踊って、子供らが遊び疲れて寝ちまった後も、な。フラガナは暑いから着てるもんだって薄いし、若い連中がそこら中に集まって、暗い時間に楽しく一緒で、って、そりゃおまえ……」


 一呼吸のを置いて、レナートも、状況を正しく認識した。古今東西、地域共同体の祭りには、多かれ少なかれそういう意味があるものだ。


 レナートは、もう当てずっぽうに飛び出した。後ろでリヴィオが、大声で笑っていたが、かまっていられなかった。



********************



 あかつきに続く刹那せつな宵闇よいやみを通した乱痴気騒らんちきさわぎも静まる頃、レナートは群青ぐんじょうが薄れていく空を見ていた。


 宿に借りた家の、屋上だ。石造りの壁に木のはりを渡して、板を張った平坦な屋上は、物干し場でもあるらしく、板戸いたど梯子はしごで出入りができた。


 すずしい風が、銀髪をゆらしていた。


 昨夜、リヴィオとニジュカ、ザハールとルカも一緒に、すべての情報を共有した。推論すいろんを確認して、やるべきことを見据みすえた。


 今は一人で、屋上に座って大密林だいみつりんと、微睡まどろみに沈むような楽園を見ていた。


 物音がして、背後の板戸いたどが開いた。ゆっくりと、危なっかしい足取りで、ひどい顔のアーリーヤが現れた。


「大丈夫……でもなさそうだね。調子に乗って、蜂蜜酒はちみつしゅなんて飲むから」


「こ、これくらい、婦女子のたしなみですわ……」


 目がしょぼしょぼと、口がもごもごと動いて、ひどい顔がますますひどくなる。


 レナートが大慌てで回収した時、アーリーヤは、大勢の男女の輪で一斉に蜂蜜酒はちみつしゅ乾杯かんぱいしていた。どれだけ手遅れだったのかはわからないが、レナートが背負って宿に着くまで歌い続けて、寝台に放り込んだ直後からいびきをかき始めた。


 宿酔しゅくよましの風に、レナートのとなりに座って、よだれをらしそうな顔で放心する。


 レナートは苦笑して、濃緑色のうりょくしょく旅装りょそうの上着を脱いで、アーリーヤに羽織はおらせた。鮮やかな色彩の民族衣装は、ニジュカが言っていた通り、薄かった。


 少しだけ、お互いの吐息といき鼓動こどう、風の音だけの時間が過ぎた。


「なにか……話して欲しいですの」


 アーリーヤが、ぽつりとつぶやいた。羽織はおった上着を抱き寄せるようにして、顔の下半分をめて、大きな丸い目をゆらめかせた。

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