37.話ができて楽しかったよ

 湖面こめんをざわつかせて、ヒューネリクの足元から、波紋が幾重いくえにもつらなった。


「妹は、ヴェルナスタ共和国に押しつけたよ。エングロッザ王国は……まあ、ロセリア連邦の好きにやらせてみるかな。東フラガナ人民共和国が、同じ黒色人種のよしみで世話を焼いてくれるみたいだし。創造神そうぞうしんが、神話の通りに楽園気分を味わわせてあげたんだから、国民がこれからどうなっても、もうぼくの知ったことじゃないしね」


 ベルグが長棍ちょうこんに左手をえて、腰だめに構える。メルセデスが、軽く手を伸ばして、それをおさえた。


 ヒューネリクの目が、少し興味を引かれたように細くなる。


「つまり、お節介せっかいな外国は足りてるんだ。このまま帰ってくれないかな? フェルネラント皇国こうこくと、ええと……」


「アルメキア共和国陸軍、特務部隊のメルセデス=ラ・レイナよ。ロセリアのコミンテルンは敵だけど、それはまあ、置いておくわ。あなたには、関係のないことですものね」


「そう! そうなんだよ、関係ないんだ! 理解が早くて、嬉しいな。話ができて楽しかったよ」


「待って待って。押し売りみたいになっちゃうけど、つれないこと言わないで、仲間に入れてちょうだいよ。私たち、世界一の工業力で、世界一の資金力に世界一の政治力、とってもお買い得なんだから!」


 ことさら、おどけて見せた後で、メルセデスも目を細くする。


「秘宝の天星てんせい魔法アルテ結晶単子けっしょうたんしを生み出す創造そうぞう御子みこ……人類の始まりの大地、大密林だいみつりんの秘境の王国に、そんなものが伝承でんしょうされていたなんて、素敵な浪漫ろまんね。諜報戦ちょうほうせんの報告書じゃなくて、小説で読みたかったわ」


 メルセデスの声に、いたむ響きが混じった。豊かな金髪を、なぐさみに指にからめる。


率直そっちょくに言うわね。結晶単子けっしょうたんしの生成方法、それに関わるすべての情報が欲しいの。どうせ、ロセリアからも要求されているでしょう? 同じもので良いわ。言い値で即決、その場で契約成立よ」


「……すごいな。ぼくたちの国が密林の外に知られたのなんて、ほんのちょっと前なのに、なんでも知ってるんだね。君たち白色人種が、知識と科学で世界を征服できたのも、わかる気がするよ」


 ヒューネリクが、肩をすくめた。


 表情が消えて、精悍せいかんな顔立ちが陶器とうき面貌めんぼうのようになる。


「契約は不成立だ。それだけは、ロセリアだろうとどこだろうと渡さない。創造神そうぞうしんの知識は、創造神そうぞうしんであるぼく一人のものだ……ぼくが死ぬ時、人間の世界から永遠に失われる。平等で、公平なんだから、あきらめてよ」


 白い朝靄あさもやが、少しずつうずを巻き始めた。


 ベルグの鋭い視線が、そして至高の聖女銃士隊セント・バージニア・ハイランダーズの構える小銃の射線が、ヒューネリクに収束する。メルセデスがもう一度、両手を広げて、それをおさえた。


「それじゃ駄目なのよ、ミスタ・オヒトヨシ。あなたは人の……集団の善意を、知らなさすぎるわ」


「善意、か。おかしいね……善っていうのは、良いもののはずじゃないか」 


「善意を疑わなくなった時、どんな残酷も現実になる。謎の解明は、知識も科学も求めてくれる善だもの。創造そうぞう御子みこは、その謎を解明するために、混じり気なしの善意で人体実験の犠牲にされるわ。妹さんももちろんだけど、他にも、何人も、見つかる度に殺される。善意と、想像力の限りを尽くした方法で、謎が解明されるまで、ね」


 科学が、自分たち白色人種の進歩の足跡そくせきが、証明してきた現実を、メルセデスは隠さなかった。


 創造そうぞう御子みこという存在が、浪漫ろまん伝承でんしょうではなく、情報として知られた以上、浪漫ろまんに逆戻りすることはできない。今さら、情報そのものが失われたとしても、残った謎は断片からでも解明される。善意が、それを求めてしまう。


「私は、趣味じゃないわ。でもね……私一人、ヴェルナスタのミスタ・オチビ、ロセリアの誰か、そういう話じゃないのよ。情報が、少なくとも複数の集団、組織に共有されて、陳腐化ちんぷかされる必要があるわ。そうなれば、是非ぜひの議論で戦える。どう殺すか、じゃなくて、殺すか殺さないかの話にできるのよ」


 東フラガナ人民共和国はともかく、ロセリア連邦、アルメキア共和国、フェルネラント皇国こうこく、そしてヴェルナスタ共和国は、先進、列強とされる近代国家だ。


 近代国家の諜報戦ちょうほうせんをくぐり抜けるには、同じ戦場の論理ろんりが必要になる。


「それが最良とは言わないけれど、最悪の未来は防ぎたいの。あなたの持っている情報を、教えてちょうだい。今すぐ信用するのも、難しいでしょうけれど……せめて、言葉に責任を持つと約束するわ。情報は独占しないし、させない。妹さんを悪いようにもしないし、させないわ」


 メルセデスの言葉は、真摯しんしだった。


 だからこそ、メルセデス自身が、そんなものは無力であることをさとっていた。目の前に存在するヒューネリクは、陶器とうき面貌めんぼうがひび割れるように、多分、笑った。


「本当にすごいよ……君は、聡明そうめいだ。論理ろんりが明確で、とても良くわかる。実を言うとね、ぼくも……このままじゃ駄目なことは、気がついていたんだ」


 もやが、はっきりと質量を持って、視界をめる。


 仄白ほのじろうず積層せきそうする。


「でも……一つだけ、間違ってる。ぼくを買いかぶりすぎだよ……創造そうぞう御子みこがどんな殺され方をしても、かまわない。知らない誰かの未来が、最悪だろうと残酷だろうと、それこそ知ったことじゃない。アーリーヤだけが……たかがこの先の数十年、普通に生きて、普通に死んでくれれば良いんだ」


 メルセデスが、少し上をあおいだ。


 背中を合わせるように、黒革色くろかわいろの乗馬服に狩猟帽しゅりょうぼうをかぶって、長い赤毛を一本の三つ編みにまとめた少年が現れる。メルセデスの魔法励起現象アルティファクタ、オズロデットだ。無言で、メルセデスの金髪を一房つかみ、口づけをする。


 メルセデスとオズロデット、ベルグ、至高の聖女銃士隊セント・バージニア・ハイランダーズ、そして淡水湖と大密林だいみつりんを飲み込んで広がる名状めいじょうがたい光のような闇、闇のような光の向こう側から、無数の、女性のような陶器とうきかおを持つ影があゆみ寄る。


 淡水湖の水が、きりとなって立ち昇り、風となってヒューネリクを包み込む。


『本当は、もう少し時間をあげたかったんだけど……アーリーヤ以外、この王都にいる全員を殺すよ。失わなくちゃいけないのは、創造神の知識だけじゃない。エングロッザ王国のアーリーヤ王女を、認識している全員だ……それが一番、確実なんだ。気が重いけれど、仕方ないよね』


 ヒューネリクの声がにじんで、反響する。メルセデスの見上げる先、湖上こじょうの空を、混じり合い輪郭りんかくくした光と闇がおおう。


 少しずつ形を持っていくそれは、面貌めんぼうの影たちを使徒に従えた、霧風きりかぜまと白朧びゃくろうの巨神だった。


 細く、長く、禍々まがまがしい腕が、背中から二対、三対、四対と、増え続ける。無貌むぼうの頭の中心に、深い翡翠色ひすいいろうろ茫漠ぼうばくまたたいた。


 メルセデスが、低く歌うようにつぶやいた。


「信じるのも、信じてもらうのも……難しいわね。ミスタ・サムライ」


「ああ。遺憾いかんだ」


 ベルグが応じた。それが、静かな合図となった。

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