32.そこでいただきましょう

 エングロッザ王国の王都ジンバフィルを、地図と同じように俯瞰ふかんすると、上になる北側にフラガナ中央山脈のふもとがあり、下の南側に巨大な淡水湖がある。


 淡水湖には、鳥についばまれたような突端とったんが伸びて、天然の桟橋さんばしになっていた。それを含んで、横長のいびつな楕円形だえんけいに、城郭じょうかくが市街を囲んでいる。


 城郭じょうかくと言っても、槍と弓矢で軍事技術が止まっている古代都市の、人より少し高い程度の石壁いしかべだ。東西の外側は、密林までのわずかな距離に放牧の可能な高原地帯があり、穀物畑こくもつばたけも点在する。


 ヒューネリクの作り上げた巨塔は、山脈に続くゆるやかな傾斜けいしゃの上に立っていた。


 レナートたちが外に出ると、すでに燦然さんぜんと明るいの光に、鉄骨鉄筋てっこつてっきん混練石灰こんねりせっかいの複合建築、舗装路ほそうろ、立体配置の水道管や導電線と、素朴そぼくな石造りの家が混在した街並み、その先の淡水湖、背景のほぼ全周に広がる大密林だいみつりんが一望できた。


「路面電車を使いましょう。市街中央の、以前の王族用の宮殿を経由けいゆし、東半分と西半分の外縁がいえんを周回する二つの軌道があります。停止はしないので、乗り降りに少し気を使いますが、まあ、れますよ」


「大したもんだね……ここがどこだか、忘れそうになるよ」


 ザハールの観光案内に、レナートも素直に返す。


 リヴィオとニジュカ、アーリーヤも、古代と近代が散らばった景観に圧倒されて、見入っていた。


 ザハールがうながして、本当に観光の引率者いんそつしゃのように、歩き出す。


「宮殿は現在、民衆に開放されています。毎日無料で飲食物を提供しているので、私たちも、そこでいただきましょう。この時間だと、昼食になるかも知れませんが」


「なるべく、簡単な見た目の物を選んだ方が良いぞ」


 一番後ろを、こっちも保護者のように歩くルカが、口をゆがめた。


「あの野郎、中途半端なしょうで、たまにおかしな料理してやがるからな」


「王さまも、食い物のどうこうを、おっさんに言われたくないだろうなあ。昨日、変な料理ばっかり食ってたじゃねえか」


「おっさんじゃない! あれは、食わされてたんだよ! 料理されて並べられたら、食わないで捨てるわけにいかないだろ!」


「いいね、同感だ! あれが新しいロセリア料理ってやつか? うちの若いのが言うほど、悪くなかったぜ!」


「だから、新しいもくそも、あんなのはロセリア料理じゃねえ!」


「来ましたよ」


 リヴィオとニジュカに茶化されるルカを放置して、ザハールが、舗装路ほそうろ敷設しきせつされた軌道を近づいてくる、箱型の路面電車に飛び乗った。


 歩行より、やや速いくらいの速度だ。車体の側面全長が開放されていて、手すりをつかんで、身体を持ち上げる要領ようりょうだ。


 レナートが続けて乗って、アーリーヤに手を差し出す。どちらも、ぎこちない顔のまま、アーリーヤがなんとか乗り込んだ。リヴィオ、ニジュカ、ルカは危なげない。


 車内に、他の人間はいなかった。車体の前方で運行操作うんこうそうさしているのは、輪郭りんかくがなく黒から灰色に明滅する、小柄こがらで、かおだけに女性のような陶器とうきの仮面をつけた、ヒューネリクの魔法励起現象アルティファクタだった。


 ザハールが説明した通り、路面電車はゆっくりと、市街中央の大通りを南下する。道幅は広いが、大勢の人が適当に机を出し、椅子いすを出し、黒い肌を紅潮こうちょうさせて飲み食いしながら笑って歌って、喧騒けんそうもれるようだった。


「後で、淡水湖の方を回られるのも良いですよ。水運すいうんの物資や、漁獲ぎょかくを水上げする、にぎやかな市場通いちばどおりがあります」


「いや、もう、昼間から酔っぱらいばかりで、どこ見てもにぎやかじゃねえか。ヴェルナスタの祝祭しゅくさいだって、もう少し遠慮してるよ。気楽なもんだなあ」


「フラガナは、大体こんなんだぞ。だから民族の自主独立って言っても、なかなか進まなくてな。俺たち東フラガナも、苦労してるぜ」


「なんとなくわかりますよ」


 レナートは会話を曖昧あいまいに流しつつ、観察した。


 ヒューネリクの魔法励起現象アルティファクタは、街の中でも労働力として機能していた。晩餐会ばんさんかいのような給仕きゅうじや、酔っぱらいが散らかすごみの清掃、荷車を引いたり路肩ので料理したりと、驚くを通り越してあきれたものだった。


 それこそ、もうれたものなのか、黙々と労働する面貌めんぼうの影たちに陽気に話しかけて、当たり前に無視されている連中も少なからずいた。やはり、魔法士アルティスタでなくとも認識できる実体を持っているようだ。


 奇妙に明晰めいせきな、白昼夢のような楽園だった。


 やがて路面電車の向かう先に、明るい色の煉瓦れんがと石造りの、精緻せいちな二階層の建築物が見えてきた。周囲にまだ新しい、防壁を撤去てっきょしたあとがある。ザハールの言っていた、ヒューネリクの即位以前の王宮だ。


 ここも、人であふれていた。


 蜂蜜酒はちみつしゅの入った大きなかめが、あちこち無造作に置かれて、酔っぱらいたちが、自分のはいを直接突っ込んでんでいる。手酌てじゃくどころの騒ぎではない。


 王宮内を調理場にしているのか、香ばしい匂いと、料理を持った面貌めんぼうの影たちが、ひっきりなしに出てくる。そしてまた、たいらげられた皿を小まめに下げて戻っていく。


 庭園から大通りにかけて、元は上品な食卓や装飾椅子そうしょくいすだったであろう物がてんでばらばらに置かれて、食べる者、飲む者、楽器をかき鳴らす者、音程を外して歌う者、電気の明かりと色硝子いろがらすで輝く舞台の上で踊り出す者、把手とってを倒せば水が流れ出す水口場みずぐちばでびしょれになっている者、とにかく滅茶苦茶めちゃくちゃだ。


 レナートたちは路面電車を降りて、比較的おとなしい場所の席についた。そのはずだったが、座るや否や、となりの食卓の男が同じ黒色人種のニジュカを見て、気安く肩を叩いてきた。


「よお! 知らねえ顔だな、兄弟! どこから来た?」


「東だよ。大密林だいみつりんの向こうさ」


 ニジュカが、レナートたちに目配めくばせする。からまれたついでに、少し話を聞いてみよう、という顔だ。リヴィオもうなずく。


 男は四十歳くらいか、五十歳にとどくか、せて笑いじわが多い顔をしていた。早速、歩いている面貌めんぼうの影から、蜂蜜酒はちみつしゅはいぼんごと取り上げる。どうやら、料理も勝手に取って良いらしい。蜂蜜酒はちみつしゅは六杯で、全員分には足りなかったが、むしろ男とニジュカの他は手も伸ばさない。


 当の二人が、一杯ずつを一息で飲みした。多分、なんの作意さくいもなしに、ニジュカが破顔はがんした。


美味うまい! これ、ざけか? すごいな、この街は」


「ああ! 飲み放題の、食い放題だ! 新しい王さまのお祝いみたいでなあ、このところ、毎日こんな騒ぎだよ!」


「それもすごいけど、街の中さ。あの明かりや水の出る仕組み、勝手に動く箱みたいな乗り物とか、どうなってんだ?」


「さあ? 全部、新しい王さまがなんかしてるみたいでなあ。わけがわからないけど、便利になったのは大助かりだよ!」


「あの歩いてる変なやつらは……」


「便利で大助かりだよ! 作ってくれる料理も美味うまいし、まあ、おまえも飲め飲め! 遠慮すんな!」


「そうだな!」


 聞いた話に、ほとんど意味がない。黒色人種の気質きしつなのか、ニジュカもすぐに馴染なじんでいる。


 レナートはリヴィオと顔を見合わせて、同時にため息をついた。

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