33.俺たちまで飲んでる場合か?

 二人ともに二杯目の蜂蜜酒はちみつしゅも、すぐに嚥下えんかされる。仕方がないので、自分たち用に、もう少し穏当おんとうな物をもらおうと、レナートが腰を浮かせかけた。


 その背後から、レナートの手元に、黒糖こくとうを浮かべた山羊乳やぎちちはいが置かれた。


「あんたたちは、こいつにしておきなよ。まったく、あのろくでなしは調子に乗って……うちの旦那だんなが、お連れさんに迷惑かけてすまないね」


 闊達かったつな声だった。


 見ると、恰幅かっぷくの良い身体に給仕きゅうじの前掛けをした、四十歳ほどの婦人が、大きなぼんを持って立っていた。張りのある黒い丸顔にぽつんと乗った、豆みたいな目が笑う。


 手早く、同じ物がリヴィオとアーリーヤの前にも並べられた。


「ありがとうございます。あっちは、まあ……別に、迷惑っぽくはなさそうなので、気にしないでください」


 レナートの几帳面きちょうめんな返事に、婦人が今度は、身体をゆするようにして大笑いした。


「あははははは! 確かに、そんな感じだね! ええと、こっちのお兄さん二人は時々見かけてたけど、あんたたちは初めてかな? マイラだ、よろしくね!」


 マイラの手が、持った大きなぼんから、次々に料理の皿を降ろす。


 薄く伸ばした芋粉いもこにくを巻いた包み焼き、野菜と豆の煮物、とりと卵の辛子油炒からしあぶらいためなど、昨夜の晩餐会ばんさんかいとはまた違った、素朴そぼくで親しみやすい料理だ。


「少し離れたところで飯屋めしやをやってんだけど、今は街中が御覧ごらんの通り、王さまからの大盤振おおばんぶいでね。せっかくだから、ここで材料やら調理場やら、いろいろ使わせてもらってるのさ。無料ただなんだから、旦那だんな台詞せりふじゃないけど、遠慮しないで食べな! 気に入ってくれたら、お祝いが終わった後で、うちにも来ておくれよ」


「ありがとな、マイラさん! この包み焼き、すっげー美味うまいよ!」


 言われる前に頬張ほおばっていたリヴィオを、レナートが横目でたしなめる。


「リヴィオ。名前を言われたら、自分もすぐ教えるもんだよ。すみません、マイラさん。ぼくはレナート、彼がリヴィオ、このが……ええと……」


「アー……ア、アーリャ、です。よ、よろしくお願いします、の」


 アーリーヤが口をすべらせかけて、慌てて微調整する。視線も姿勢も泳いだが、マイラは気にしなかったようだ。


「はい、よろしくね! お兄さん二人は、蜂蜜酒はちみつしゅにするかい?」


「そうですね、お願いします」


 すでに際限なくはいけているニジュカたちを見て、ザハールが肩をすくめた。ルカが一応、苦言する。


「おい。俺たちまで飲んでる場合か?」


「では、こちらの彼、ルカにはがした豆の煮汁にじるにたっぷりの蜂蜜はちみつ山羊乳やぎちちを混ぜてあげてください」


「へえ? あんた、変なの飲むんだね」


「やめろ! こいつと同じ物にしてくれ!」


「それが良いさね。じゃあ、ちょいと待って……」


 蜂蜜酒はちみつしゅの追加を取りに行こうと、動いたマイラのうしごしに、ちょうど駆け寄ってきた女の子が抱きついた。


「こんにちは、マイラおばさん!」


「あー、腹へった。なんか食わせて!」


 すぐにもう一人、男の子が現れる。どちらも十歳前後で、顔立ちがよく似ていた。質素しっそな民族衣装から、黒い肌に汗を浮かべて、まだ細い手足が伸びている。


「お、今日は早かったね。遊びすぎてぶっ倒れる前に、そうやってちゃんと食うんだよ。ほら」


 マイラが、リヴィオに好評だった包み焼きの皿から、二つをそれぞれに手渡した。どれもこれも無料ただなのだから、ざっくばらんだ。


「ありがと……って、わあ! お姉ちゃん、すっごい綺麗きれい! 王女さまみたい!」


 かぶりついた包み焼きのついでに、食卓の面々へ女の子の視線が動いて、アーリーヤの美貌びぼう一際ひときわ、輝いた。素直な賞賛しょうさんが、正体の至近弾しきんだんになって、せっかくの美貌びぼうがうろたえる。


「そ、そそ、そう、ですの? あ、ありがとう……ですわ」


「あたし、ミナチ! あと、カナンお兄ちゃん!」


「アー……リャ、ですわ、よろしく……」


「すごい、すごい! 変な白い人もいる!」


「こら。そんなはっきり言うもんじゃないよ」


 物怖ものおじしないミナチに、マイラが苦笑した。


「ごめんね。ここいら辺の子たちよ。もう何日も浮かれちゃってて、これはこれで、心配でしょうがないよ、まったく」


「いえ、気にしないでください。白色人種が珍しいのは、当たり前ですよ」


 レナートも苦笑する。


 今のアーリーヤが、人種の別によらず衆目しゅうもくく、妙齢みょうれいの美女なのはわかる。近くにいれば、文字通り明白な異邦人いほうじんが目立つのも、なおさらだ。


 ミナチの兄、カナンの方は、包み焼きに口もつけないまま、アーリーヤに見惚みとれていた。


 その真横で、やおら、太鼓たいこが叩かれた。晴れた空に突き抜けるような、軽快な音と拍子ひょうしだった。


 ニジュカと、マイラの酔っぱらい旦那だんなが、となりの食卓の連中と一緒になって、楽器を打ち鳴らしていた。大小様々な片面太鼓かためんだいこおもで、いくつか三弦琵琶さんげんびわや、木管笛もっかんぶえもある。


 多分、即興そっきょうだろう。誰もが酔った勢いでばらばらなのに、不思議と調和して、心がはずむ音楽になっている。


 あっけに取られるレナートたちの周囲で、他の食卓からも演奏や手拍子てびょうしが合流し、男女が手を取り合って、陽気な踊りの輪が広がった。


 ついには元王宮もとおうきゅうの庭園そのものが、音楽と踊りと喝采かっさいで一つになった。変わらず静かなのは、黙々と給仕きゅうじする面貌めんぼうの影たちばかりだ。


 ミナチが、幼いほお紅潮こうちょうさせて、アーリーヤの腕を引っぱった。


「アーリャお姉ちゃん、踊ろうよ! ほら、お兄ちゃんも一緒に!」


「お、おい! そんな、急に……!」


「えー? 変なの。お兄ちゃん、綺麗きれいな女の人には、いっつもにこにこ声かけてるのに」


「おまえな……っ!」


 ミナチとカナンのやり取りに、アーリーヤが、ふと目を横に流す。


「いえ、その……わたくしは」


 レナートは顔をそむけた。自分でもわかっていたが、どうしようもなく、ぎこちない。


 アーリーヤとカナンが、なんだか同じような感じに、まゆくちびるをひん曲げた。


「ええと、祭りの踊りとか、わかんないか? だったら、俺が教えてやるよ」


「な、なにをおっしゃいますやら! わたくしも婦女子として、歌舞音曲かぶおんぎょくくらいたしなんでおりますの。そんじゃそこらの子供には、負けませんわ!」


「なんか、おかしなしゃべり方するよなあ」


「そ、そ、そんなことありませんの! 大人の婦女子は、こういうものですの!」


「えー? 聞いたことないよー!」


 ミナチが笑って、いきり立つアーリーヤの腕に、抱きついた。もう一方の腕を、カナンが握る。


 三人が、すぐに音楽と踊りの中に飛び込んで、食卓には白色人種の男四人が取り残された。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る