第三章 楽園の先に見えるのは

26.少ししたら出かけましょう

 密林みつりんの中を迂回うかいして、ベルグは、あらかじめ定めていた合流地点に到着した。大密林だいみつりん蛇行だこうする、河の近くだ。


 追跡や不意の遭遇そうぐうを警戒して、足音も気配も抑えていたが、岸辺で折りたたみ椅子いすに腰かけていたメルセデスの視線が、ベルグを真正面に迎えた。


 河の岸辺では、至高の聖女銃士隊セント・バージニア・ハイランダーズがなにやら作業していて、オズロデットは消えているようだ。笑顔のメルセデスに、少し考えてから、ベルグは口を開いた。


「武器を回収していて、時間を要した。謝罪しゃざいする」


謝罪しゃざいの中身に余裕があるわ」


 メルセデスが肩をすくめた。


 いつもと違って、前時代的な金の肩章けんしょう飾緒しょくしょが光る、中世騎士団服ちゅうせいきしだんふくに似た空色の上着を羽織はおっている。すその広がったまっ赤な長衣ちょういは、あちこちが裂けたりげたりして、こぼれ出そうな乳房をかろうじて上着が隠していた。


「一応、心配したのよ? 変わりないようで、良かったわ」


「ヴェルナスタ共和国<赤い頭テスタロッサ>のレナート=フォスカリ、東フラガナ人民共和国のニジュカ=シンガと戦闘中、ロセリア連邦陸軍の特殊情報部コミンテルンにも接敵せってきした。その際、メルセデスの魔法アルテの仕掛けがこうそうした。感謝する」


「身体で返す恩が増えた、と認識してね。ミスタ・サムライ」


 大腿部だいたいぶから露出している白いあしを、メルセデスが組み替えた。


「ミスタ・オチビの言っていたあなたのお知り合いは、東フラガナの方かしら」


「肯定する。世界大戦と、その後の作戦行動で面識がある、同業者だ」


「敵? 味方?」


「その分類に意味はない。行動目標が近似きんじすれば味方、相反あいはんすれば敵だ」


「あなた以外の全人類には、その辺、もうちょっと意味があると思うわ。でも、そうね……私の聞き方も下手へただったわね。現状の作戦行動において、協調できる可能性はあると思う?」


「推測だが、可能性は高い。東フラガナ人民共和国の大目標は、フラガナ大陸全域に黒色人種の自治を定着させることだ。こちらの行動目標は、それを阻害そがいしない」


「その割には、派手に騒いでたみたいだわ」


遺憾いかんだ。小目標が相反あいはんした」


「……気の毒だったわね。あなたじゃなくて相手が、多分」


 メルセデスのため息に、ベルグは答えなかった。


 それより早く、岸辺の方から、男が駆けてきたからだ。長めの茶髪が、風になびいている。精悍せいかんな上半身は肌着のみで、どうやらメルセデスに上着を貸した当人らしい。


 メルセデスの前に立ち、よく訓練された、規律正しい敬礼をする。


「準備が終了しました! いつでも出発できます!」


「御苦労さま。それじゃあ全員、食事をって。少ししたら出かけましょう」


「は……っ」


 茶髪男は、敬礼でかかげた右手を、やや不明瞭に動かした。


「あの……先ほどの戦闘は、不甲斐ふがいない結果となってしまい、申しわけありませんでした! 隊員一同、必ずや、我らが貴婦人の名に恥じぬ名誉挽回を……」


「あら。そういうのは、別に気にすることじゃないわ」


 メルセデスが立ち上がり、まんざらでもなさそうに微笑ほほえんだ。茶髪男の肌着の胸を、軽く叩く。


「生きるか死ぬかの軍隊だもの。勝ち負けは、最後に私が決めるわ。細かい不首尾ふしゅびで、フェルネラントみたいにいちいちハラキリしてたら、誰もいなくなっちゃうわよ」


 からかうような視線を向けられて、ベルグがうなずいた。


「同意しよう」


「あら、するの?」


「まず補足ほそくする。切腹せっぷくは、上位階級の人間が、部下や他者への責任の波及はきゅうを防ぐために行う精算行為せいさんこういだ」


 茶髪男が、すでに、わからない顔をした。メルセデスも苦笑する。


「下っぱのサムライはしないのかしら?」


「武人は貴族がねる。生産、流通に従事する平民に比較して、上位階級だ。近代の軍組織でも、将校はほぼ貴族で構成されており、下士官を含む平民出身者は切腹せっぷくの習慣を持たない。そして、軍法にも規定はない」


すたれちゃったのね。特徴的で、おもしろかったのに」


「逆だ。厳重注意で禁止された。世界大戦において、大局的には些細ささいな作戦行動の失態で将校の切腹せっぷく頻発ひんぱつ、指揮官となる人材が加速度的に消耗し、大本営も現場も混乱におちいった。メルセデスの、先の訓戒くんかいは正しい。フェルネラント皇国軍も速やかに学習した」


「速いのか遅いのか、わからないわ」


 今度こそ吹き出して、明るく笑いながら、メルセデスが背中を向けた。岸辺へ歩いて行く後ろを、茶髪男が、手早く回収した折りたたみ椅子いすを持って追う。


 ベルグは、笑われた意味がわからなかったが、確認する意味もさらになかったので、黙って続いた。


 至高の聖女銃士隊セント・バージニア・ハイランダーズが作業の片づけをしている、すぐ横の河面かわもに、五艘ごそう小型船艇こがたせんていが浮かんでいた。


 木製でも鉄製でもない。多数の袋状ふくろじょう樹脂じゅしを空気圧でふくらませ、へりのある楕円形だえんけいに構成、補強材を張りめぐらせた、くすんだ枯葉色かれはいろ簡易船艇かんいせんていだった。


「ここからは、河を遡上そじょうするわ。エングロッザ王国の王都ジンバフィル、だったわね。潜入実績のあるあなたの御見解として、水路でどれだけ近づけるかしら?」


「王都の南側が、すぐ淡水湖に面している。地理上は、至近に到達できるだろう」


 それでも、大密林だいみつりんの中には急流や渓谷けいこくなどの難所が数知れず、正確な距離もわからず、危険な水棲生物すいせいせいぶつも多い。ベルグの思案を見透みすかして、メルセデスが、簡易船艇かんいせんてい船尾せんびに設置された機械を指し示す。


「内燃式じゃないわ。電動式の暗車推進機あんしゃすいしんきよ。最新、最小、最軽量の、ね」


 上着がはだけるのも構わない様子で、メルセデスが豊かな胸を張る。そして至高の聖女銃士隊セント・バージニア・ハイランダーズたちが水際みずぎわから離れるのを確認し、軍靴ぐんかを脱いで、片方の足先を河面かわもに入れた。


 半瞬、河面かわもが青白く輝いた。


 やがて見渡す限りの水上に、魚やわにと思える腹が浮かんできた。


「河の底にも、地電流ちでんりゅうは通ってるわ。魔法アルテの限界は、使う側の想像力の限界でしかないの。機械だって同じよ」


 メルセデスが裸足はだしをおどけるように上げて、足首で円を描く。確かに魔法アルテを電源とするなら、メルセデス自身が推進器すいしんきのようなものだろう。


 ベルグは納得して、同時に、認識を改めた。


 メルセデスの魔法アルテと、その機知きちにとどまらない。携行性けいこうせいに優れた野営天幕やえいてんまく簡易船艇かんいせんてい小型電動推進機こがたでんどうすいしんきなど、アルメキア共和国の軍装備と、それらを開発する工業生産力も、実に驚くべきものだった。

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