25.言わせてくださいまし

 ザハールの差しのべた右手は、火傷やけどのように指が赤く、てのひらも少しただれていた。貴公子然きこうしぜんとした美貌びぼうは、相変わらずすずしげだ。


「あなたが使っていた弾丸と同じ、魔法アルテを仕込んだ道具を使ったのでしょう。恐らく使い切りと思いますが、彼の視線がしっかりと私を追っていたので、お互い、間一髪でした」


 ふと、ザハールが言葉を止めて、にこやかに笑った。


「あなたを入れて三人とも、間一髪でしたね。このくらいは、ええ、気にしないでください。あなたを救った、名誉の負傷ですから」


「そりゃどうも」


 レナートが、言われた通り気にしないで、差しのべられた右手を全力で握り返した。レナートを引き立たせて、ザハールは、笑顔を微塵みじんも崩さなかった。


 この状況で意味があるかどうかは別として、レナートは魔法拳銃剣アルタ・フチレスパーダを左手に持ち変えて、警戒していた。ニジュカも、右手の湾曲刀わんきょくとうを肩にかついで、左手にもぶら下げて、間合まあいをはかっていた。


 レナートが、まだザハールに握られたままの右手を、振り払った。


「余計なことをしたもんだね」


「申しわけありません」


「ぼくに、じゃない。あんたに、だよ。ぼくが殺された後に、背中からベルグに斬りかかれば、もっと効率が良かったじゃないか」


「もちろん、そうしなかったからには、そうしなかった理由があります。先ほども言いましたが、私たちはエングロッザ王国ヒューネリク国王の意向を受けて、彼に協力しているのです」


 ヒューネリクというのは、アーリーヤの話では、兄王子の名前だった。


 称号が変わっていることを、レナートもニジュカも、口のはしを動かすだけで流した。


「ヒューネリク国王とアーリーヤ王女の認識に齟齬そごのあることが、現状を複雑にしています。ヒューネリク国王におかれましては、アーリーヤ王女とその一行を王都ジンバフィルに招待して、ゆっくり話し合いをしたいとのおおせです」


 ザハールが、また火傷やけどの右手を、これ見よがしにひらひらさせた。


「ですので、私たちは今、平和的で建設的な目的を共有する仲間です。ちょうど、と言ってはなんですが、別の脅威きょういが現れてしまったことですし、王都ジンバフィルまで、あなた方を安全かつ迅速じんそくにお連れ致しますよ」


「そんな、見えている罠に飛び込んで行っても、ね」


「ここからジンバフィルまでの大密林だいみつりんで、時間をかけることに、意味はないでしょう。私たちより先にジンバフィルへ到達するのは難しいですし、私たちの準備時間が長ければ、あなたの言う罠が大きくなるだけですよ」


 レナートとニジュカが、顔を見合わせた。


 ニジュカが肩をすくめる。レナートに任せる、ということだ。奇妙な沈黙の間に、近くの茂みがゆれて、無遠慮な声が割って入った。


「なんだ、まだまとまってねえのか? ザハール、おまえ、胡散臭うさんくさいのはでどうしようもねえんだから、せめて単純に話をしろよ」


「誤解があります。私はいつも、誠心誠意、相手に向き合っていますよ」


 ザハールの不平に、ザハールより少し背が低くて、少したくましい感じの男が、鼻で笑った。


 たてがみのような赤銅色しゃくどういろの髪に、りの深い野生味やせいみのある顔立ちで、茶色の軍服を着ている。ロセリア連邦陸軍、特殊情報部コミンテルンの魔法士アルティスタ、ルカ=ラヴレンチェヴィチ=ラトキンだ。


 ルカは、ぼろ雑巾ぞうきんみたいなリヴィオを背負っていた。


 さらにその背後に、ルカの魔法励起現象アルティファクタであるチェチーリヤが、悪霊あくりょうっぽくたたずんでいる。けむるような灰色の盛装せいそうと、まっすぐな白髪を足元まで伸ばした、青白い肌と紅眼の美女が、沸騰ふっとうする毒沼どくぬまじみた視線をリヴィオに刺していた。


「リヴィオ! そっちは大丈夫だったの?」


「あー、いや……悪い。わかんねえ」


 レナートの声に、どうにかこうにか、リヴィオが返事をしぼり出す。


「最後はどっちも、派手にぶっ飛んだし……でも、まあ、生きてるだろうな。厄介やっかいな奴らだったよ」


 リヴィオの濃緑色のうりょくしょく旅装りょそうは、あちこちが破れたりげたりして、リヴィオ自身もすすと傷だらけだ。グリゼルダも消えている。ルカの背中で、ほとんど完全に虚脱きょだつしていた。


「それにしても……前にもくれた、この飴玉あめだま美味うまいね」


「だろ? 風味ふうみづけは、俺の故郷の特産品なんだ! おまえ、わかる奴だな!」


「わかる、わかる。だからさ、もう一個くれよ」


「……私の私の私の、御主人さまに……なれなれしい、なれなれしい、なれなれしい……」


 リヴィオとルカに、チェチーリヤまで加わったのんきな会話が、その場の空気をゆるめた。


 レナートは、ため息を一つついて、魔法拳銃件アルタ・フチレスパーダを腰の装具そうぐに戻した。ニジュカも湾曲刀わんきょくとうを、腰の後ろのさやに納める。


 ザハールがどれだけ本当のことを言っているかは知れないが、目まぐるしく状況が変わっているのは、確かだった。ロセリアか、フェルネラントか、アルメキアか、どこをどう出し抜くにしても、大密林だいみつりんでもたもたすることが良い材料には、多分ならない。


 罠なら罠で、なんとか利用するしかない。覚悟と言うより、開き直りに近かった。


「さて。それじゃあ、後は王女さんか」


 気配をぎつけたのか、ニジュカが向いた先の茂みから、アーリーヤが現れた。顔を伏せて、ちょっとだけ、逡巡しゅんじゅんするような素振そぶりだった。


「わたくしなら……御配慮ごはいりょは、無用ですわ」


 アーリーヤは、レナートが放り出していった、もう一丁の魔法拳銃剣アルタ・フチレスパーダを持っていた。土埃つちぼこりにまみれた旅装りょそうと、陽差ひざけの頭巾ずきん、そこからあふれるような金茶色の長い巻き毛が、表情を隠していた。


 レナートに歩み寄って、魔法拳銃剣アルタ・フチレスパーダを差し出す。レナートは、少し気まずく目を泳がせてから、二丁目の魔法拳銃剣アルタ・フチレスパーダも、腰の装具そうぐに戻した。


「レナートさま、わたくしは……難しいことはわかりません。ですが、こんな怪しげな異人いじんどもから、お兄さまをお救い申し上げるという気持ちは、変わっておりません。そのためにと、レナートさまたちがお考えになったことでしたら、どうぞ良いようになさってくださいませ」


 アーリーヤが、ふん、と鼻息を荒げた。ザハールが笑顔のままで、ルカがげんなりとした顔で、明後日あさっての方を見る。


「ですが……一つだけ、言わせてくださいまし」


 アーリーヤが背中をのばした。


 胸と腰が立派に張った成人女性の身体つきは、レナートと背丈せたけも近い。真正面からレナートに向けられた、大きな丸い目は、やはり大きな丸い涙を、ぼろぼろとこぼした。


 アーリーヤのてのひらが、レナートのほおを打った。


「レナートさまも……わからずやですわ……っ!」


 アーリーヤはそのまま、大声で泣いた。


 両手で自分の服のすそを握りしめて、空をあおいで立ちすくむように、小さな子供のように、大声で泣き続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る