19.ちょいと良くない感じもある

 大断崖だいだんがいを左に見て、東回りに登攀とうはんする経路は、あくまで比較的だが、勾配こうばいがゆるやかだ。


 朝から昼までのの光を、斜面が効率良く吸収するため、植生しょくせいの濃い密林を広範囲に形成している。太い樹木につたつるがからみ、大きく広がった枝葉えだはが、樹冠じゅかんと呼ばれる緑の天蓋てんがいになっている。


 その隙間すきまを抜ける陽差ひざしも、充分に下草したくさの茂みを育てて、鬱蒼うっそうとした植物の多層構造が、大地と空の果てまで続いているようだった。


 時折、地層の裂け目から顔を見せるかわは、遠くエングロッザ王国の王都ジンバフィルが面した、巨大な淡水湖からつながっている。河幅かわはばも広く、地表でも地下でも大きく蛇行だこうして、土色ににごった流れは驚くほど静かだ。


 今は、がかなり西にかたむいて、河面かわもをすべる風が涼気りょうきを乗せてくる。


 大断崖だいだんがいの上に近づくにつれて、標高ひょうこうが高くなり、朝夕はきりが出る。少し植生しょくせいの開けた場所で、レナートとリヴィオ、アーリーヤが、野営に備えた火おこしをしていた。


「見ろ! こんなに太った野鼠のねずみが、五匹もれたぞ! 俺を連れてきて良かっただろ、おまえら!」


 やや離れた茂みをかき分けて、ニジュカが、得意満面の大声を上げた。


 レナートたちの近くに置いた背嚢はいのうに、立派な小銃も立てかけてあるが、当の本人は旅装の上着を腰にゆわえて、露出したたくましい黒い肌に手作りの弓矢をたずさえ、大きな野鼠のねずみのしっぽをまとめてつかんで、ほぼ完全な前時代の狩人かりゅうどもどきだった。


「良い仕事ですわ、ニジュカさま! その種類は、丁寧ていねいにさばけば、上部のきもなんかもいけますの!」


「まかせろ! そこらに生えてた香草こうそうも、むしってきたからな!」


すきがありませんわ!」


 盛り上がるアーリーヤとニジュカを横目に、矢傷と口から血をらす野鼠のねずみの死体を見て、レナートとリヴィオがぐったりとした。


「うん……確かに、携行食けいこうしょくは、できるだけ保存しておきたいんだけどさ……」


「そこにかわがあるんだし、魚とかじゃ駄目なのかよ……?」


 二人の様子に、ニジュカが苦笑する。


 そして、腰の後ろで左右に交差させていた湾曲刀わんきょくとうの一振りを抜いて、さっさと野鼠のねずみを解体し始めた。


あみでもありゃ、別だけどな。魔法アルテだって、そんな便利に使ってばかりもいられないんだろ? 水辺みずべは危ねえぞ」


 ニジュカの湾曲刀わんきょくとうは大振りで、刀身の曲がりの内側に刃があり、なたのような厚みもある。ここに至る密林の道中、茂みや密集した枝を切り開いたり、弓矢やまきを作ったり、土をったり、素晴らしい汎用性はんようせいを示している。


 今のように、軽くいただけで調理にも使うのは、文明人としてレナートとリヴィオには閉口へいこうものだったが、男子の意地っぽいなにかで気にしない振りをした。


 ニジュカが鼻歌混じりで、野鼠のねずみからさばいた血まみれのちょうあたりを、かわに放る。水に落ちる小さな音に続けて、複数の、大きかったり小さかったりする水音がした。


「あんまり大物はいない感じだが、なんて言うか……猛獣もうじゅうに木の上から襲われるのと、わにに水の中へ引き込まれるのとじゃ、後の方がまずそうだろ? そういう話さ」


「話の開始時点から、だいぶ死にひんした二択にたくですね」


 レナートは肩をすくめて、ニジュカの正しさを認めた。


「まあ、贅沢ぜいたくを言ってる場合じゃないのも確かだしね。文字通り、腹をえてがんばってよ、リヴィオ」


「おい! おまえもだろ!」


「それがさ。ぼく、ちゃんとした魔法士アルティスタじゃないから、最初に<創世の聖剣ウィルギニタス>を使った時以外、そんなに大食いでもないんだよね。ここは気持ちゆずるから、しっかり食べてよ。グリゼルダに怒られないように、さ」


「くっそ! 覚えてろよ、レナート!」


「レナートさまも御遠慮なさらず! ほっぺたなんかも、丸かじりでいけますの!」


 アーリーヤが純粋な厚意こういの笑顔で、野鼠のねずみの一匹を、レナートの目の前に突き出した。頬肉ほほにくが、言われてみればふっくらと丸い。


 むしろアーリーヤ自身に似ているような気もしたが、口をすべらさないだけの分別ふんべつは、レナートにも残っていた。



********************



 風に枝葉えだはがゆれる音、鳥の羽ばたきや、樹冠じゅかんを伝う猿のごえ、茂みをゆする獣の動きや、虫の鳴き声、密林の昼と夜に無音の静寂せいじゃくはない。


 の明かりが、ぽつりと宵闇よいやみに浮かんでいる今も、むしろ騒々しいくらいだった。


 密林そのものが巨大な生き物で、ふところに紛れ込んだ人間たちを、興味深そうに観察している。レナートは、そんな風に思えた。


「連中との距離は、かなりちぢめてきてる。明日は大断崖だいだんがいの上に出るし、そこいらへんで、追いつくかも知れねえな」


 ニジュカが言いながら、湾曲刀わんきょくとうをかき混ぜる。どうやらそれで、消毒も済ましているようだ。香草こうそうをまぶしてこんがりと焼いた野鼠のねずみたちは、肉も脂身あぶらみも多く、四人で適切に食べきった。


「ただ、ちょいと良くない感じもある。連中、けっこうな人数だが、移動速度から見て場慣ばなれはしてねえ。獲物をさばいた残廃ごみも出してねえし、自前の携行食けいこうしょくを食ってるな」


「軍隊か、それに近い集団ってことか」


 リヴィオが、はい即席茶そくせきちゃをすすりながら、後をつなげる。


 即席茶そくせきちゃは、かわの水をして茶葉ごと沸騰ふっとうさせたものだ。泥臭どろくさく、にがいので、リヴィオだけでなくレナートもアーリーヤも、鼻にしわを寄せてすすっていた。


「フェルネラントって言ったら確か、東の方の島国だよな? こんな地の果てまで、呼ばれもしないのに押しかけてきて、変な連中だよなあ」


「ぼくたちも他国よそを笑えないよ、リヴィオ。一応、アーリーヤに協力する形になってるけど……これ、帝国主義時代の植民地化と、とっかかりがほとんど同じだからね」


「よくわかりませんが、とりあえず、このお茶は不味まずいですの……」


「そう言うなって。せっかくかわがあるんだし、飲み水は、少しでも節約しねえとな」


「さっき、水辺みずべは危ねえって、魚を却下きゃっかしたじゃねえか」


素人しろうとさんには危ねえのさ。ついでに教えといてやるが、魚もこの水で泳いでるから、だいたい同じ味だぜ」


 ニジュカの説得力のある言葉に、リヴィオもレナートも、アーリーヤも嘆息たんそくした。


「まあ、今から考えても仕方ねえが……向こうが一端いっぱしの部隊だったら、話しても、融通ゆうづうかねえ可能性があるな。その時は、計画の立て直しだな」


「立て直しじゃなくて、元の計画に戻るだけですよ。変な邪魔が入らないうちに、まっすぐ、エングロッザ王国のジンバフィルに向かう。それで良いね、アーリーヤ?」


「はい。ベルグさまも、御健在であれば、いずれお礼を言う機会くらいありますの。レナートさまに従いますわ……ぁふ」


 アーリーヤが言葉尻ことばじりに、大きなあくびをした。そのまま、レナートにもたれかかる。


 レナートが、即席茶そくせきちゃの風味とは別の渋面じゅうめんを作った。


 いろいろな要素を考え合わせても、夜の密林で眠る態勢は、これが最善に近い。男三人で順に見張りを交代、アーリーヤを確実に保護して、レナートとアーリーヤの魔法アルテも使える状態だけは維持いじしておく。


 合理的な結論だ。


 それでも、リヴィオとニジュカがあからさまな含み笑いで、そっぽを向いて眠る格好になる。


 レナートは、首筋にかかる寝息と、自分とは違う汗の匂い、アーリーヤ本人の精神的な年齢からかけ離れたやわらかい感触を、否応いやおうなく意識させられながら、に追加のまきを放り込んだ。

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