18.それはそれで良いけどさ

 平野部の森は、植生しょくせいが薄い。


 今、レナートとアーリーヤ、リヴィオ、ニジュカの四人が歩いているのは獣道けものみちのような茂みの隙間すきまで、下草も短く、土は湿気しっけが少なくて固い。


 木々はそれなりに密生して、まばらな木漏こもが落ちる森の中を、さすが密林の王国育ちのアーリーヤが、迷わず進んでいた。


 一歩ずつ進むごと、緊張していくようなアーリーヤを、レナートが横目で見た。


 アーリーヤは二十歳ほどの外見で、大きく丸い目にふっくらとした唇、つやのある黒い肌、無造作に束ねて結んで、それでもももにとどく長い金茶色の巻き毛が華やかだった。


 作業着のような濃緑色のうりょくしょく旅装りょそうも、胸と腰が豊かに張っている。後ろにいるリヴィオなど、実は背丈も抜かされて、こっそり落ち込んでいた。


 四人は、港町インパネイラから大断崖だいだんがいへ、ほとんどまっすぐ向かっていた。


 計画の登坂経路とうはんけいろではない。アーリーヤの意向だ。やがて森の中に、木々が倒れ、茂みにも地面にも穴が穿うがたれた、大規模な破壊の痕跡こんせきが現れた。


 あちこちに残る赤黒い斑模様まだらもようは、血痕けっこんのようだ。からびた肉片らしい飛散物ひさんぶつに、虫がたかっていた。


「レナートさま……」


「いいよ。アーリーヤは、ここにいて。ぼくたちが調べてくる」


 前に出ようとしたレナートの肩を、リヴィオが抑えた。


「いや、おまえもいいって。適当にそこいら見てくるから、待ってろよ」


「そうだなあ。ま、大丈夫だとは思うけどな」


 のんきな声で、ニジュカがこぼす。


腐臭ふしゅうが弱い。とりあえず、ここに人の死体はねえよ」


「動物みたいだな、あんた」


「鋭いって言ってくれよ、若いの」


 リヴィオとニジュカが、軽口を交わしながら、破壊の痕跡こんせきを歩き回る。レナートはアーリーヤに見えるように、苦笑して肩をすくめた。


 かなりの範囲で破壊、いや、戦闘の痕跡こんせきが広がっていたが、ニジュカが指摘した通り、人間の形をしたものは転がっていなかった。さりげなくレナートたちの近くに戻って、リヴィオが視線を流した。


「なにかわかる? グリゼルダ」


 リヴィオの横に、長い金髪と碧眼へきがん、神話の女神のような白い衣装をまとった美女が、陽炎かげろうのように結像けつぞうした。


「さて。魔法アルテ残滓ざんしは、複数あります。先日のルカとやら、それにザハール、後は……ほんのわずかですが、覚えのない感じが、もう一つ……」


「自分で言っておいてなんだが、奇妙だな。血痕けっこんの量からすれば、二、三回は死んでそうなもんだが」


 少し離れた位置で、ニジュカが顔を上げていた。


 グリゼルダが見えているのか、いないのか、会話に割り込んだのか、そうでないのか、どうにもつかみどころがない。レナートもリヴィオも、目を見合わせて、気にしないことにした。


「戦闘は魔法士アルティスタの二人がかり、相手は通常人です。あの者が言うように、少なくとも瀕死ひんしで、打ち捨てられたのでしょう。それを別口で、治癒ちゆした魔法士アルティスタがいるようです」


 グリゼルダが、ニジュカに当てこする。ニジュカは変わらず、陽気なひとごとのようだった。


けものに荒らされたわけでもねえ。横から誰か、かっさらったな。あれから大雨も降ってねえし、なんなら、追いかけてみるか?」


「そ、そんなことができますの……?」


 アーリーヤ、レナートとリヴィオ、ついでにグリゼルダも、ニジュカを見た。


「体重が地面にのったあと、邪魔なしげみをどかしたあと、火をいたあとめたあと……そういう、人がいた痕跡こんせきってのは、なかなか完全には消せないもんさ。密林の外からきた人間なら、なおさらな。魔法アルテとやらで、空でも飛ばれたら難しいけど、その辺はそっちでなんとかできるだろ?」


「まあ、なんとか、な」


 ニジュカの返しに、リヴィオが曖昧あいまいに答える。ニジュカも、それ以上、気にするでもなかった。


「とりあえず、俺の知ってるベルグなら、フラガナも何度かうろちょろしてるフェルネラントの同業者だ。そう簡単にくたばったりもしないだろ。今回の相手はロセリアだし、手を組める可能性もある。いっちょ、行ってみるか」


「ぜひ、お願いしますの! わたくし、ベルグさまには大変お世話になっておりながら、まだなんのお礼も……」


 身を乗り出したアーリーヤが、ふと、横のレナートを見て姿勢を正す。


「いえ、その。ベルグさまは妻帯者さいたいしゃでございまして、わたくしとしましても、純粋な感謝の気持ちですの。御安心くださいまし、レナートさま」


「うん。まあ、それはそれで良いけどさ」


 リヴィオより曖昧あいまいに片づけて、レナートが口元に手をあてた。


「方角があんまり離れるなら、後回しにしよう。ここで時間は、かけられない」


「……ああ。そうだな」


 リヴィオとグリゼルダが、うなずいた。


 ニジュカの希望的観測はともかく、別口の魔法士アルティスタというのは、出発早々に降ってわいた、大きな不確定要素ふかくていようそだ。アーリーヤには申しわけないが、できれば無視したい。それがヴェルナスタ組の、本音ほんねのところだった。


「リヴィオ。私は姿を消しますが、魔法アルテを感じたら即座に魔法励起現象アルティファクタを展開します。空腹状態が長くならないよう、注意してください」


 グリゼルダが指示を残して消えた。リヴィオからグリゼルダへの返事は、必要がない。


「それじゃあ、ニジュカさん、おまかせします。どこに向かえば良いですか?」


 レナートに聞かれて、ニジュカがしばらく、あっちこっちに顔をめぐらせた。


「うん……こっちだな、多分。もうしばらく先を調べてみないと、確実なことは言えないが、まあ、良かったな。東回りは、同じ考えみたいだぞ」


 ニジュカが指で示した茂みは、言われてみれば確かに、間隔かんかくを広げるように枝葉えだはが落ちていた。良かったな、という言葉の方は、残念ながら肯定する材料も否定する根拠こんきょも、そこに落ちてはいなかった。

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