16.君たちだけが友達だよ

 密林の都市国家、エングロッザ王国の王都ジンバフィル中央にある宮殿は、明るい色の煉瓦れんがと石造りの、精緻せいちな二階層の建築物だ。


 同じ構造の防壁が宮殿と都市全体を二重に囲んで、外敵の侵入をはばむ役割をになっていたが、今、その二重防壁の内側で騒動が起きていた。


 昼日中に大勢の黒色人種の兵士、いや、近代的な見方をすればせいぜい狩人の大集団が、槍と盾と弓矢を振り回して叫んでいた。


 彼らがにらむ視線の先、宮殿の上からはるか高く、黒々と鎌首かまくびをもたげる鉄杭てつくいの大蛇の頭部で、ルカが、たてがみのような赤銅色しゃくどういろの髪をかき上げた。


 それなりにたくましい身体に、ロセリア連邦陸軍れんぽうりくぐんの茶色の将校服を着て、りの深い野生味のある顔立ちを陽光が際立たせている。少し、気の抜けたような表情だった。


穏便おんびんに考えろ、って言われてるからな。適当にいくぞ、チェチーリヤ。当たらなそうなところに十本か二十本、ぶち込んでやる」


 鉄杭てつくいつらなった、戯画化ぎがかされたような大蛇の頭部先端に、ルカの魔法励起現象アルティファクタであるチェチーリヤが正座していた。


 けむるような灰色の衣装と、まっすぐな白髪を足元まで伸ばした、青白い肌と紅眼こうがんの美女だ。線が細いながら、爛々らんらんくすぶる上目使いで、肩越しにルカを見据える。


「御主人さまが……見知らぬ野蛮人やばんじんにまで、お優しい……。ああ……この、ざりざりする気持ち……どうしてくれましょう……」


「いや、無意味に殺さないのは普通だろ。優しくねえよ」


「半分くらい、当ててよろしいでしょうか……」


穏便おんびんに、適当に、当たらなそうなところに、だ。チェチーリヤ」


 ルカが、ため息をついて手を振ると、鉄杭てつくいの大蛇が、ざあ、と黒鉄色くろがねいろもやを翼のように広げた。


 眼下の狩人もどきたちが射かけてきた矢、投げかけてきた槍を、からめとり、けずり散らし、粉微塵こなみじんに消し去った。こすれ合う耳障みみざわりな音と、小さな青い火花を帯びた、砂鉄さてつ粉塵ふんじんだ。


 すぐにうずを巻いて、人間よりも太く大きい、数十本の大鉄杭だいてつくい凝集ぎょうしゅうする。


 チェチーリヤが上目使いのまま、すねるようにくちびるとがらせた。不承不承ふしょうぶしょう、正面に向き直る。わずかな空白を置いて、大鉄杭だいてつくいが、流星群りゅうせいぐんとなって大地に降りそそいだ。


 宮殿を囲む外壁の間を、街路を、兵士たちの隙間すきまを、大鉄杭だいてつくい轟音ごうおんとともに穿うがち、突き立った。


 なすすべもない兵士たちが、悲鳴を上げて逃げまどう。その間隙かんげきに、一瞬の旋風せんぷうじみた、むらさき瘴気しょうきが吹き抜けた。


 兵士たちの手から、ほとんど同時に、槍も弓も壊れて落ちる。大勢の中、一際ひときわに兵士が集まり、守るように囲んだ壮年そうねんの男の前で、瘴気しょうきが人の形になっていた。


 男の髭面ひげづらが、唖然あぜんとする。


 むらさき瘴気しょうきを薄くまとった人の形は、白金色はくきんしょくの長めの髪に、深いあおの目、長身痩躯ちょうしんそうくに白い上下を着た、貴公子然きこうしぜんとした美男だった。


 両腕に、無造作に持った二振りの小剣が、瘴気しょうき陽炎かげろうのようにゆらいでいた。


「さて。穏便おんびんに、とは、言われてますが」


 ルカと同じことを、ザハールがひとりごちた。眼前の男を見るともなく、微笑ほほえんでいる。


 髭面ひげづらゆがんで、なにかを叫びかけた。


 認識ごと瞬断しゅんだんするように、髭面ひげづらの首が落ちた。小剣の先の瘴気しょうきが、ほんの少し、ゆれただけだった。


「まあ、これくらいは許容範囲でしょう」


 ザハールが、残った兵士たちを振り向いた直後、となりすれすれに大鉄杭だいてつくいが、地響じひびきを上げて突き刺さった。


 その上にふわりと、ルカが降り立つ。二人のロセリア連邦陸軍れんぽうりくぐん特殊情報部とくしゅじょうほうぶコミンテルンの魔法士アルティスタ睥睨へいげいされて、今度こそ兵士たちの全員が、たましいを折られたように座り込んだ。


 宮殿の上にいた鉄杭てつくいの大蛇が消えると、見計みはからっていたのか、入れ替わりで宮殿から、多数の人影が現れた。


 本当に人影だった。


 輪郭りんかくのないうろのような、黒から灰色に明滅する影だ。小柄こがらで、かおだけに、女性のような陶器とうきの仮面がついている。光のような闇、闇のような光だった。


 規律も正しく、ぞろぞろと出てきた陶器とうき面貌めんぼうの人影たちが、座り込んでいる兵士を捕らえて、連れて行く。杖や縄など、道具も器用に使っていた。


 最後に悠々と、のんきな笑顔が、ザハールとルカに歩み寄った。


「お疲れさま! ありがとう、上々だよ。叔父上おじうえは仕方なかった……元々、仲も良くなかったけど、悲しいよね」


 背が高く、黒い肌に精悍せいかんな顔立ちで、短い金茶色きんちゃいろの髪が王冠おうかんのようだった。右の上半身を露出した、鮮やかな色彩の民族衣装に、ゆったりとした外套がいとうを巻きつけている。


 親しげに両手を広げたヒューネリクを、ルカが、鼻にしわを集めてにらんだ。


「そりゃあ、王さまやってた兄貴を殺して、成り代わったくそ生意気なおいに、おとなしく頭を下げる筋合いはないだろうよ」


「国家元首って、孤独だよね。君たちだけが友達だよ」


「誰が友達だ!」


「光栄です、ヒューネリク」


 しゃあしゃあと返して、小剣を納めつつ、ザハールが一礼する。ヒューネリクは変わらず、のんきな笑顔だった。


「お腹が減ったろう? ぼくもぺこぺこだよ。少し早いけど、昼食にしよう」


「……魔法アルテにも、ずいぶんれたみたいだな」


 兵士を連れて行く面貌めんぼうの人影たちを見て、ルカが声を低くする。ヒューネリクが、照れるように頭をかいた。


「効率と動きの正確さは、まだ改善の余地があるかなあ。土木作業で練習してるんだ。湖まで上水じょうすい下水げすいを引いたり、市街に導電線どうでんせん敷設しきせつしたり、魔法励起現象アルティファクタは遠慮なく使っても死なないのが良いよね」


「楽園都市……泡沫うたかた幻想まぼろしであろうと、楽しみです」


「まかせてよ、がんばるからさ。アーリーヤのことも、どうするか考えてみた。昼食ついでに、相談したいな」


「うかがいましょう」


「ありがとう、ザハール」


 ヒューネリクが晴れやかに、名実めいじつともに自分の王宮となった宮殿を、振り返った。


 ザハールとルカを先導して歩き出す。二人も、それぞれの表情で従った。そこで、ふと、ヒューネリクが歩きながら小首こくびかしげた。


「あ。それから、相談と言えばね、ルカ」


「なんだよ……?」


「牛と水牛すいぎゅうって、似てるよね」


「……違う動物だ」


葡萄酒ぶどうしゅも良いけど、フラガナは、蜂蜜酒はちみつしゅが定番なんだよ」


「違う酒だ」


「野菜と香辛料こうしんりょうはいっぱいあるから、いろいろ混ぜて煮込んでもらったんだ。料理長はずっと難しい顔をしていたけど、おもてなしは、やっぱり気持ちだよね」


「おい! せめて料理は、まともな物を食わせろ! 国賓こくひんだぞ、俺たちは! ついでに働いたんだぞ、おまえの指図さしずで! おいっ!」


珈琲カッフェも、水牛すいぎゅうちち蜂蜜はちみつをたっぷり入れたから、要望に近くなってると思うなあ」


「熱量が補充できれば、おおむね問題ありません」


「ザハール! おまえ、だから余計なことを言うなって言っただろ! 俺が食いたいのはロセリア料理で、こんな地の果ての実験料理じゃねえ!」


「ロセリア料理だって、そんな郷愁きょうしゅういだくほど御立派ごりっぱでもないでしょう。おかしなところで繊細せんさいですね」


「大丈夫だよ、ルカ。ぼくも責任を持って、一緒に食べるから」


「その台詞せりふの、どこが大丈夫の要素ようそなんだよ!」


 逃げようとしたルカの襟首えりくびを、ザハールが無造作につかむ。そのまま引きずって、三人も面貌めんぼうの人影たちも全員、宮殿の中に消えた。


 すぐにまた、他の面貌めんぼうの人影たちが現れて、戦闘でくずれた壁や街路の穴を、黙々と修理し始めた。

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