12.そんな話もしてないよ!

 おでこを押さえて悶絶もんぜつするアーリーヤを、亜麻色あまいろの髪の少年が、奇妙にこわばった顔でのぞき込んだ。


「ええと……アーリーヤ、なのか……?」


「は、はい。あなたさまは、確か……リヴィオさま。御挨拶ごあいさつが後になってしまい、失礼いたしました」


「いや、そんな体当たりがフラガナ流の挨拶あいさつなら、遠慮するけどさ」


「これは、その、ちょっと感動があふれただけですの」


 アーリーヤがなんとか身体を起こすと、のしかかられたような格好になっているレナートが、下から抗議の声を上げた。


「他にもいろいろ、あふれてるよ……! とにかくどいて! 重い……っ」


「レ、レナートさま! 羽根のように、とは申しませんが、わたくしも婦女子としてそれなりに……」


 上から抗議を返そうとして、アーリーヤは、さっき忘れた違和感を感じ直した。


 金茶色の巻き毛が、自分とレナートを絨毯じゅうたんのようにくるんで、とても長く床に広がっている。のしかかったレナートとの距離も、ちょっと遠い。


 手足がすらりとのびて、あざやかな色彩の民族衣装が、あちこちではち切れている。黒檀こくたんの肌がなめらかで、胸元からは、見慣れない豊満な乳房がまろび出ていた。


 少し離れた位置で、一人だけまだ座って珈琲カッフェを飲んでいた年配の男が、ため息をついた。


「寸法の合った衣服を用意させよう。この時間では、さすがに息子も困るだろう」


「時間の話なんてしてないよ!」


 レナートが、なんとかアーリーヤの下からして、赤い縁取ふちどりのある紺色こんいろ官服かんふくの、上着を脱ぐ。アーリーヤに、投げつけるようにかぶせて、年配の男と似たようなため息をついた。


 アーリーヤは、まだ呆然としたまま、とりあえずレナートの上着をかかえて一礼した。


「レナートさまの、お父さまでございましたか。重ね重ね御挨拶ごあいさつが遅れて、申しわけありません。レナートさまには大変お世話になりまして、ゆくゆくは二人、手に手をとって、この国を……」


「そんな話もしてないよ!」


「……ガレアッツオ=フォスカリ、ヴェルナスタ共和国の国家元首、主宰ドージェだ。エングロッザ王国のアーリーヤ王女とうかがっている。亡命ぼうめい、ないしは貴国の国内問題への武力介入を要請ようせいされている、とのことだが……少し落ち着いて、会談させてもらいたい。よろしいかな?」


 アーリーヤの目が、ガレアッツオを見て、レナートを見て、リヴィオを見た。


 そして長机の上の、豊富に残っている料理に吸い寄せられた。


「もちろん、そちらも落ち着かせてからで、けっこうだ。場を改めよう。まずは若い者同士、もる話を、整理しておいてくれるとありがたいな」


 ガレアッツオが、手元の、給仕の呼び鈴を鳴らしてから、もう一度のため息混じりに席を立った。



********************



 アーリーヤは変貌へんぼうしていた。素直に見れば二十歳、若く見ても十八歳は下回らない容姿だった。


 快活かいかつな、大きく丸い目はそのままに、鼻筋が通り、くちびるはほのかに血色が浮かんで、ふっくらしている。背丈せたけがのびて、金茶色の巻き毛は、無造作に束ねても膝裏ひざうらにとどく外套がいとうのような長さだ。あり合わせの半袖半裾はんそではんすその服も、胸と腰が豊かに張っていた。


 立派な美貌びぼうで、魚の甘酢煮込あまずにこみも山羊肉やぎにく香草焼こうそうやきも、手づかみにかぶりついて、手についた汁気しるけもちをつかんで移し、それも食べる。合理的で野生味あふれるフラガナの作法に、レナートとリヴィオも辟易へきえきとした顔を見合わせた。


「どうなってるのかな、これ……リヴィオ?」


「いや、俺じゃなくて、わかるとしたらグリゼルダだろ……こんなの、魔法アルテの影響しか考えられないし。どうかな、グリゼルダ?」


 右から左に、言葉が泳ぐ。


 花のような石鹸せっけんのような香りがして、どこか仕方なさそうに、渋面じゅうめんのグリゼルダがリヴィオの肩に現れた。


「リヴィオ……魔法アルテ結晶単子けっしょうたんしは、あなたの身体のすべてに同化し、特に、脳組織のうそしきに重点的に寄生きせいしています。私はあなたの潜在意識せんざいいしきから生まれた、あなただけの、生涯しょうがい伴侶はんりょです」


「え? ああ、うん」


「この姿も声も、あなたの感覚神経に干渉かんしょうしているだけの、本質的には幻像げんぞうです。あなたと私は、あなたの脳内で二人の世界を完結した、他になにも必要としない一心同体の存在なのです」


「よくわからないけど、そうなのかなあ」


「まあ、同じ魔法士アルティスタや、魔法アルテの影響を受けたレナートのようなお邪魔虫も、いるにはいますが」


「……悪かったね」


「ゆえに。私という存在は、リヴィオ、あなたと結びついた瞬間が始まりなのです。宇宙開闢うちゅうかいびゃく天地創造てんちそうぞう、あなたの前に私なく、あなたの後にもまた、私なく……」


「そういう難しいの、らないからさ。知ってることあるなら、ちゃっちゃと教えてくれない?」


尿路結石にょうろけっせきという病気があります」


 氷河のようなグリゼルダの声に、リヴィオが、もんどりうって転がった。


尿道にょうどうの痛覚を認識する脳神経のうしんけいは、このあたりですね」


「あい、たたたたたたたっ! いたいッ! い……たたたたたッッ! ごめんなさいッ! 生意気なこと言いましたっ!」


 リヴィオが、顔面蒼白がんめんそうはく脂汗あぶらあせまで浮かべて、のたうち回る。


 本来は身体の異常があって発信される感覚信号を、脳神経のうしんけいが勝手に受信している。グリゼルダの言った通り、脳内で完結しているのだから、リヴィオ本人を含めてどうしようもない。実際に身体が損傷そんしょうするわけでもないので、グリゼルダもグリゼルダで容赦ようしゃなかった。


 一心不乱に食欲を満たしていたアーリーヤが、さすがに奇異きいの視線を向けるまでたっぷりいたぶって、グリゼルダが御満悦ごまんえつの鼻息を吹いた。


魔法アルテ結晶単子けっしょうたんしは、魔法士アルティスタが死んだ場合、初期化されて戻ります。情報は、魔法アルテとして連結するたましいと熱量の母集団ぼしゅうだん、全生命の集合知しゅうごうちとでも言える、どこかのなにかに蓄積ちくせきされます。そこからの、せいぜい部分的な引用と考えてください」


「最初から、それを言えば済んだよね……」


「異国の殿方と婦女子は、秘めごとも複雑ですの……」


 レナートとアーリーヤの嘆息たんそくを、グリゼルダはまとめて無視した。


魔法アルテ結晶単子けっしょうたんしが、そもそもどうやって新しく生まれる、または現れるのか、そういう探求をした魔法士アルティスタもいたようです。最終的に情報を要約すると、循環じゅんかんするたましいの中に、集合知しゅうごうちとのより直裁的ちょくさいてきな連結を持つ魔法アルテ原型器げんけいきのような存在があって、そこから分離するのではないか、ということです」


「ええと……それが、レナートの聞いた<創世の聖剣ウィルギニタス>ってやつ……?」


 どうにかこうにか、というていで、リヴィオが会話に帰ってくる。股間を押さえた前かがみの姿勢が、レナートとアーリーヤの同情を誘った。


「さて。その単語自体は、唯一神教ゆいいつしんきょう旧約教典きゅうやくきょうてんに出てくる固有名詞なので、それだけが真実というわけでもないでしょう。世界各地の宗教概念しゅうきょうがいねんによって、表現する言葉は多種多様です」


「よくわからないけれど……出てきたあれは、剣そのものの形だったよ」


 レナートのいぶかしげな声を、グリゼルダが鼻で笑った。


魔法アルテは、人の潜在意識せんざいいしきから生まれると言ったでしょう。もっとも安直あんちょくな力の具象化ぐしょうかが、剣の形状です。馬鹿にしてはいませんよ? まず、よほどの異常人でなければ、鎖鉄球くさりてっきゅうとげつきぼうの形状にはならないでしょう」


「そりゃどうも」


 自分の魔法励起現象アルティファクタとレナートの、微妙に険悪な雰囲気に、リヴィオが慌ててあいだに入る。


「つまりさ、特別にその、魔法アルテのすごいっぽいのを持ってる人がたまに生まれてきて、結晶単子けっしょうたんしを増やすってこと?」


「当然ですが、確認のしようがないので、そういう推論すいろんで話を進めるしかありません。創造そうぞう御子みこも同様です。類似の単語は世界各地の宗教概念しゅうきょうがいねんにありますが、魔法士アルティスタの使う定義なら、あなたの言う、世界のどこかでたまに生まれる魔法アルテのすごいっぽいのを持ってる人、です」


「あ! それならエングロッザ王国にも、神話が伝わっておりますわ!」


 ごちゃごちゃした会話の中に、やっとわかる言葉が出てきて、アーリーヤがひとみを輝かせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る