9.なんの祭りなんだ?

 星明かりに見下ろす熱帯の密林は、黒々と果てしない海のようだった。


 密林の天蓋てんがい、折り重なった樹冠じゅかんよりはるかに高い空中を、砂鉄の翼を広げた鉄杭てつくいの大蛇が飛翔ひしょうしていた。密林も黒、大蛇も黒、落ちる影も黒で、またたく星も大したなぐさめにはならない。自分が乗っている魔法励起現象アルティファクタたなに上げて、ルカは、陰鬱いんうつな気分を自分以外のせいにした。


「ああ、くそ……っ! 牛肉の葡萄酒煮込ぶどうしゅにこみが食いてえ……砂糖と乳脂にゅうしで、こてこてに甘い珈琲カフェが飲みてえ……っ! おまえ、覚えてろよ、ザハール!」


「誤解があります。私は誠心誠意、あなたにくしているじゃないですか」


 ルカが、茶色のロセリア軍服の肩をいからせ、たてがみのような赤銅色しゃくどういろの髪をかきむしる。その後ろで、ザハールがました顔で笑う。白金色はくきんしょくの長めの髪と、白い上下が、星空に嫌味なほど鮮やかだった。


「また空腹になったのなら、どうぞ休んでください。私が食料をってきましょう」


ねずみ蜥蜴とかげ不味まずいんだよ! 虫なんか食えねえんだよ! 文明人なんだよ、俺はっ!」


「そう言われても、私の魔法アルテは長距離移動の役に立ちません。私のことは気にせず、熱量はすべて、あなたに摂取せっしゅしてもらわなければ」


「口に入れば良いってもんじゃねえっ!」


 声も裏返るルカの真正面で、ルカと向き合い、白髪紅眼の美女が正座していた。黒い鉄杭てつくいの大蛇の上で、灰色の盛装せいそうすそ花弁かべんのように広がって、長い髪の隙間すきまから視線が爛々らんらんと輝いている。


「ああ……御主人さまが、私のせいで……こんなにやつれて……。嬉しい……ぞくぞくします……」


「……その気合いで、速度を上げてくれ。チェチーリヤ……」


 前後の太平楽たいへいらくに、ルカがうなだれた。


 港町インパネイラに近い平野部で、ヴェルナスタ共和国の特務局<赤い頭テスタロッサ>と痛み分けになった後、二人は慎重しんちょうに時間を置いて大断崖だいだんがいの上に退しりぞいた。


 エングロッザ王国の外に問題が広がってしまったのは失態だが、それ以上に、事態は急変していた。一刻も早くエングロッザ王国の王都ジンバフィルに戻り、状況をたださなければならなかった。


 夜をてっして魔法アルテで飛び、ようやく王都ジンバフィルが見える頃合いだった。


 ルカの、うなだれた視界の先、黒々と果てしない密林の地平線に、星のような明かりが見えた。


「おい、ザハール……あれは、なんだ?」


 呆然ぼうぜんとした声に、ザハールも、すぐには答えなかった。


 大断崖だいだんがい隆起りゅうきした広大な台地は、そのほとんどが熱帯の密林でおおわれている。中央を東西に横たわる山脈地帯に向かって、標高が上がるにつれてまばらな高原と湖が見えてくる。


 湖からの河川かせんは、一度は密林に消えて、やがて下流域で複数が合流、流域を増して大海に至る。


 エングロッザ王国の王都ジンバフィルは、険しい山脈のほぼ真下、湾曲わんきょくした巨大な淡水湖に突き出す高原に、石造りの城郭都市じょうかくとしを構えていた。


 淡水湖の豊かな漁獲ぎょかく、山脈の鉱物資源、高原の牧畜と周辺の密林を開墾かいこんしたはた、そして、それでも底知れない密林が天然の要害ようがいとなって、他の多くの少数部族を従える中央集権を成立させていた。


 だが、そこまでのはずだった。


 列強の先進諸国、白色人種の実現した科学文明に比べれば、外界から隔絶かくぜつされた化石のような古代国家だ。原始的な木材燃料と鋳造鉄器ちゅうぞうてっきのみ、内燃機関は存在せず、軍隊装備に至っては槍と弓矢だ。


 その王都ジンバフィルが、星空の下に煌々こうこうと輝いていた。


 正確にはジンバフィルの北辺、山脈に連なるふもと屹立きつりつした、天にとどくような巨大建造物が光っていた。山脈の地殻ちかくにつながった何本ものくだから、熱量を吸い上げているのか、巨大建造物の全体がまぶしい電気の光を放っていた。


 途方もない規模の、魔法アルテが発動していた。


「やりやがったな、あの野郎……っ!」


「口が悪いですよ、ルカ」


ましてる場合かよ!」


「誤解があります。私も、これまでにないほど動揺しています」


「だったら、わかるように言え!」


 無駄口をたたく二人に、チェチーリヤが、困ったような、慌てたような顔をする。鉄杭てつくいの大蛇は巨大建造物の光に照らされて、もうすぐ向こうの視認距離に入る。


 ルカがため息をついて、チェチーリヤの白髪を軽くなでた。


「とにかく、あのてっぺんに行くぞ。話を聞かなきゃ、始まらねえ」


「私が一人で行きます。あなたは万が一に備えて、周辺で……」


「ふざけんな。あれから飲まず食わずのおまえに、任せられるか」


 言い捨てるルカに、ザハールが苦笑した。


 ルカが足を開いて組み直し、そのふところにするりと、チェチーリヤが背中を預けて座った。ルカとチェチーリヤの、広げた両腕にみちびかれるように、鉄杭てつくいの大蛇が砂鉄の翼をゆらめかせて速度を落とす。輝く巨大建造物に、ゆっくりと近づいた。


 石造りではない、鉱物の鋭利な結晶がそのまま構成したような、巨塔だった。半透明の表層下に、血管じみた電気発光帯が走っている。内部には空洞があるのか、窓らしい無数の穴と、てっぺんの近くには謁見台えっけんだいのような張り出しも見えた。


 その張り出しに、男が一人、立っていた。


 背が高く、黒い肌に精悍せいかんな顔立ちをして、短い金茶色の髪が王冠のようだった。右の上半身を露出した、鮮やかな色彩の民族衣装に、ゆったりとした外套がいとうを巻きつけている。夜空から舞い降りるような鉄杭てつくいの大蛇に、穏やかな笑顔で片手を振っていた。


「お帰り、ザハール、ルカ。魔法励起現象アルティファクタの彼女とは、初めましてだね。ヒューネリクだ、よろしくね」


 ヒューネリクを見るチェチーリヤの紅眼に、灼熱しゃくねつの敵意が燃えた。ルカがチェチーリヤの肩を押さえて、先に鉄杭てつくいの大蛇から、ヒューネリクの立つ巨塔の張り出しに飛び降りた。


「笑えないな、王子さま。俺たちが留守にしてる間に、これは一体、なんの祭りなんだ?」


「もう王子じゃないよ。そうだね、いて言うなら、ぼくの即位のお祭りかな」


「父王陛下が、崩御ほうぎょなされたと?」


 ルカのとなりに、ザハールが降りた。チェチーリヤと鉄杭てつくいの大蛇は消えず、ルカとザハールの背後で、砂鉄の翼に小さな青い火花を散らせながら、ざりざりとうごめいている。


 ザハールの問いかけに、ヒューネリクが肩をすくめた。


「言葉遊びは好きじゃない。殺したよ。君たちが欲しがっていた王族の秘宝、輝ける五つの天星てんせい……大仰おおぎょうな呼び名だよね。魔法アルテの、ええと、結晶単子けっしょうたんしだっけ? それも全部、ぼくが使わせてもらった」


 穏やかな笑顔のまま、エングロッザ王国ヒューネリク新国王の翡翠ひすいのような瞳に、何条もの光の線が明滅していた。

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