8.肉体的接触は遠慮しよう

 落ちた雑誌を、オズロデットが何気なく拾って、メルセデスに手渡した。


「ま、こんな風に魔法アルテをちょっと応用して、手仕事くらいはできるけどな。普通なら、雑誌が空を飛んで戻ったように見えたはずだ。驚かない振りは得意でも、驚く振りは苦手みたいだな、旦那だんな


 からかうように手を振って、オズロデットが消えた。手元の台に雑誌を置き直して、メルセデスがまた脚を組み替える。


「本題に入るわ。あなたは魔法アルテ、ないしは、それに近しいものに関する知識と経験を持っている。だからオズ、魔法励起現象アルティファクタも見えるし、魔法士アルティスタを相手に戦える。腕も立つみたいだし、フェルネラント皇国軍こうこくぐんの特務部隊よね」


「黙秘すると言ったはずだ」


「あたしも言ったはずだけど、それはもう、黙秘じゃないわ。ミスタ・オチムシャ」


 メルセデスが、服と同じく鮮やかに赤いくちびるに、微笑ほほえみを浮かべた。


「あたしも同業、アルメキア共和国陸軍の特務部隊よ。ロセリアのコミンテルンは敵だわ。手を組みましょう。情報の共有、目標や作戦行動の細かいすり合わせは、難しくないと思うわ」


「それが、自分をたすけた理由か」


「あなた、よくねばってたけど、あの二人にぼろぼろにされたのよ。あたしも遠くからのぞいてて、まさか、あれで生きてるとは思わなかったわ」


「積極的にたすけられたわけではない、ということだな」


「待って待って。そりゃ、途中経過は見殺しでも、ほとんど死体になってたのを拾って魔法アルテで治療してあげたんだから、命の恩人は間違ってないわよ」


 食い下がるメルセデスの言い分は、一理ある。


 ベルグとしても、思い返してみればロセリア連邦陸軍の特殊情報部コミンテルンの二人に挟撃きょうげきされて、骨折どころか手足も千切ちぎれかけ、内臓も複数を損傷し、多量の血も意識も失った。そこから死を回避し、現状、五体満足まで回復したのは、メルセデスの魔法アルテによる治療でしかあり得ない。


 怪我けが痕跡こんせきはなく、手足に充分な力が入る。砂色の野戦服も、身体と一緒に損傷したはずが、おそらく魔法アルテで修復されていた。


 メルセデスは、アルメキア共和国陸軍の特務部隊を自称した。


 アルメキア共和国は、このフラガナ大陸や、北辺にロセリア連邦のあるオルレア大陸から大海たいかいをはさんだ西の向こう、アルティカ大陸の半分をめる大国だ。元来は移民の開拓地だったが、今や豊富な資源と工業力を活用し、列強諸国れっきょうしょこくの中では新興しんこうでも、ロセリア連邦に対抗、比肩ひけんする国勢こくせいを備えていた。


 ロセリア連邦は、伝統的な帝国制を貴族などの支配階級もろとも自国内の革命で破壊し、現在は共産主義という政治体制を標榜ひょうぼうしている。そこまでなら勝手にすれば良いものだが、どうやら共産主義というのは素晴らしく、全世界に革命を拡げなければならないという崇高すうこうな使命感に燃えているらしい。


 世界大戦が終わり、列強諸国れっきょうしょこくが植民地支配していた有色人種が次々と独立する混乱の中、ロセリア連邦は特殊情報部コミンテルンの諜報員ちょうほういん派遣はけんと革命の指導によって、世界中に多くの共産主義国家を作ることに成功した。


 革命とは現体制の全否定と破壊の暴力であり、すわ大事おおごとと他の列強諸国れっきょうしょこくが気がついた時には、伝統主義あるいは資本主義と、共産主義との、容易よういならない緊張状態が新しい国際秩序になっていた。


 ベルグの所属も、アルメキア共和国も、この区分なら資本主義の陣営に属している。部分的に協調できる可能性はあった。


 なにより、ベルグ自身が生きている以上、ベルグの任務も継続している。今後また、あの二人と争うことを想定すれば、単独行動の戦力不足は明らかだった。おそらくメルセデスの方も、ベルグたちの戦闘を観察して、類似るいじの結論を得たのだろう。


 思考の経緯は長かったが、静寂せいじゃくは短かった。


「理解した、メルセデス。救命きゅうめいの恩を認識しよう」


 ベルグは、寝台しんだいから降りて立ち上がった。


「そうこなくっちゃ! 恩は身体で返すものよ、ミスタ・サムライ!」


 称号が格上げになった。メルセデスも椅子いすから立ち上がり、破顔はがんする。豊満な胸を張って、開いた右掌みぎてのひらを差し出した。


 ベルグも握手の習慣は知っていたが、自国の文化圏で、一般的ではなかった。


「肉体的接触は遠慮えんりょしよう。妻が怒る」


「あら、残念。ばれるわけでもないでしょうに、恐妻家きょうさいかなのね」


「メルセデスは若年嗜好じゃくねんしこうと、オズロデットが言っていたが」


「あたしは趣味の幅が広いのよ。人生を楽しむ秘訣ひけつだわ」


 気を悪くするでもなく、メルセデスが颯爽さっそう軍靴ぐんかきびすを返す。


 正面からは、肩と胸元が大きくはだけて見えたが、背中もかなりの肌面積が露出していた。豪奢ごうしゃに波うつ金髪と、腰の曲線に張りつくすそだけ広がったまっ赤な長衣ちょういが、なるほど趣味的だった。


 肩から続けてむき出しの、白く細い両腕が、天幕てんまくの出入り口を開けた。


 メルセデスの斜め後ろから、外を見る。推定すいていしていた通り、平野部の森の夕刻ゆうこくだ。木々の隙間すきまから横に伸びる赤茶けたの光の中に、異常な男たちの集団が整列していた。


 異常な、という評価は、やや主観的だった。


 男たちは軍隊、ましてメルセデスが自称した特務部隊という隊種たいしゅとしては、熟練兵じゅくれんへい古参兵こさんへいの風格が見当たらず、全体的に若々しい。みな、立派にきたえた体格だが、配慮はいりょして言えば華やかで、正直に言えば浮世離うきよばなれしていた。


 それぞれ入念に手入れされたであろう髪と顔立ち、メルセデスのひとみと同じ空色の中世騎士団服に似た衣装が問題だった。


 中でも一際ひときわに目を引く、前時代的な金糸きんし肩章けんしょう飾緒しょくしょをぶら下げた茶髪男が、銃剣まで着装した小銃を高らかにかかげ持つ。他の全員が続くのと、茶髪男の大号令が重なった。


至高の聖女銃士隊セント・バージニア・ハイランダーズ! 我らが貴婦人に栄光の銃をささぐ!!」


 ベルグは、しばらく言葉を探してから、あきらめて斜め前のメルセデスを見た。メルセデスは腰に手を当てて、満足そうな鼻息だった。


「あたしは趣味に生きてるの。趣味で死ぬなら、それも薔薇色ばらいろの人生よ」


「その長衣ちょういは、薔薇ばらの色ということか」


「ええ。あたしのはたで、いつか死に場所の目印にするわ」


 メルセデスの声は、歌うようだった。ベルグは、メルセデスに見えないように苦笑した。あきれたのか、小気味良こきみよいと感じたのか、ベルグ自身にも不明瞭ふめいりょうだった。

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