7.恩に着てちょうだいね

 意識が覚醒かくせいして、ベルグはまず、呼吸を確認した。問題ない。草や土の雑多な匂いが、空気に混じり合っていた。


 次に聴覚を確認する。少し遠く、わずかに、集団らしい人数の物音が聞こえた。


 そして、なんらかの仕切りをともなう同一空間に、自分以外にも一人、静かな呼吸音があった。やや離れているが、銃を持っていれば必中の射程圏だ。身体の向きや、視界までは判断できない。


 肌の感触から、寝台しんだいのような所に寝かされていて、衣服も上掛うわがけもある。筋肉を収縮させた限りでは、拘束こうそくのような抵抗は感じられない。身体中の、あってしかるべき痛覚がないのが、奇妙だった。


 最後に目を開けて、視覚情報を確認する。周囲に濃緑色のうりょくしょくの布が張られた、天幕てんまくのようだ。透けて見えるかげりと、温湿度おんしつどの感覚から、夕刻ゆうこくらしい。


 目を開けたからには、こちらが起きたことを相手に知られる前提で備えたが、なんの変化もない。視線を動かして、左側、天幕てんまくの出入り口に近い位置に、椅子いすに座った異常な女が見えた。


 異常な、という評価は、やや主観的だった。


 わずかな体感情報だが、意識の最後にあるフラガナ大陸の南端なんたん大断崖だいだんがいの下の平野部の森と、環境的に有意な差はない。身体の緊張の具合ぐあいからしても、長時間の経過はないはずだ。天幕てんまくの床面も、かわいた土が見えている。


 軍隊か、それに近い集団の、野営の天幕てんまくだ。だからこそ、女の姿は異常だった。


 すその広がったまっ赤な長衣ちょういから、胸元と肩、腕と膝下ひざしたの白い肌が露出している。その長衣ちょういも布が薄いのか、胸や腰の曲線に張りつくようだ。


 最低限、いているのは軍靴ぐんかのようだが、波うつ豪奢ごうしゃな金髪に細い指を遊ばせながら、脚を組んで、服飾の雑誌を読んでいた。


 列強諸国れっきょうしょこくの市街地にいれば、せめて派手で目立つ程度の、普通人だ。統計的に妙齢みょうれいの美人なのだろうが、ベルグにとって、そういう基準は曖昧あいまいで意味が薄い。筋肉が運動性に少し不足、表層脂肪が機能性に少し過剰かじょうだった。


 観察していても気がつく様子がないので、ベルグは身体を起こした。やはり、拘束こうそくはない。寝台しんだいの物音に、さすがに女が、明るい空色の瞳をベルグに向けた。


「あら、もう起きたのね。そんな気がしていたけれど、たくましいわ。ミスタ・オチムシャ」


 落ち武者というのは、いささか不名誉な称号だが、記憶をたどればそれほど違わない。無言のベルグを見て、女がからからと笑った。


魔法士アルティスタでもないのに、ロセリアのあの二人を相手にして、よく命を拾ったもんだわ。怪我けがは治しといてあげたから、恩に着てちょうだいね。フェルネラントの人間は義理堅いって聞いてるわ、ミスタ・オチムシャ」


「ベルグだ。所属に関する回答は黙秘する」


「メルセデス=ラ・レイナよ。こう言っちゃなんだけど、あんな時代遅れのカタナを振り回してるのは、フェルネラント皇国こうこくの軍人くらいよ」


「刀ではない。太刀たち小太刀こだちだ」


「あなたのそういうところ、かなり好きだわ」


 メルセデスが笑い直しながら、雑誌を手元の台に置いて、寝台しんだいのベルグに向き合う。妙にゆっくりと脚を組み変えた一動作は、ベルグには意味不明だった。


「軍人なんだから、他人を殺したり、自分が死んだりすることは、もちろん想定の範囲内よね? ねえ、あなた。あなたは人が死んだら、心とかたましいとかがどうなるか、考えたことあるかしら?」


「物質空間とは異なる領域りょういきに存在する、たましい循環構造じゅんかんこうぞうに帰属する。すべてのたましい母集団ぼしゅうだん神霊しんれいもとに一つになって、いずれまた、新しい個体生命に分化する」


「……ごめんなさい。かなり好きって言ったばかりだけど、ちょっと世話を焼かせて。カタナの細かい種類とか、軍人の前提を否定しないとか、フェルネラント独特の宗教観しゅうきょうかん? 死生観しせいかん? を平気で開陳かいちんするとか……黙秘って言葉を、もう少し広く考えた方が良いわ。ミスタ・オチムシャ」


「文脈が不明瞭ふめいりょうだが、努力しよう」


 ベルグの返答に、メルセデスがまっ赤な服から露出した白い肩を、軽くすくめた。


「話を進めるわ。端々はしばしの設定や概念がいねんはともかく、あたしたちの認識もおおおむね同じよ。どこかにこの世の全部、空とか地面とか、生き物を作ったり還元もどしたりする神さまっぽいなにかがって、たましいもその極小単位きょくしょうたんいの、同質の存在……そんな感じかしらね」


 メルセデスの要約した説明は、ベルグの認識するたましい循環構造じゅんかんこうぞうよりやや大きく、物質空間そのものの輪廻りんねを含んでいる。ベルグとしては、まあ、刀剣の分類より些細ささいなことなので放置した。


魔法アルテっていうのはね。その神さまっぽいなにかと、本来は切り離されてる人のたましいをつなげ直して、力を引っぱってきたり物の存在に干渉かんしょうしたりするの。だから魔法アルテに深く関わったり、長いこと近くにいたりした人のたましいも、影響を受けて変質するのよ」


「それで、どっちがタチでどっちがコダチなんだい、旦那だんな?」


 ベルグのいる寝台しんだいの足元、椅子いすに座ったままのメルセデスからも離れた位置で、別の声がした。


 天幕てんまくはしに置かれたベルグの装備品を、少年が、物珍しそうに見下ろしていた。黒革色くろかわいろの乗馬服に狩猟帽しゅりょうぼうをかぶり、長い赤毛を一本の三つ編みにまとめている。ベルグに流し目を向けて、悪戯いたずらっぽくにやけた。


「オズロデットだ。よろしくな、旦那だんな。おじょうによだれをたらさない堅物かたぶつは、なかなかいないよ。仲良くやれそうで、嬉しいぜ」


 一瞬前まで気配もなく、オズロデットと名乗った少年は、突然現れていた。


 ベルグは、視線は動かさなかったが、メルセデスと見合った目のまばたきに、不自然ながはさまった。


「あたしたち魔法士アルティスタはね、魔法アルテ結晶単子けっしょうたんしと同化しているの。ええと……元々は植物のたねとか、丸薬がんやくに似た代物しろものなんだけど、それが身体の中で複製、増殖して、体細胞の素子そしが置き換わっているのよ。厳密に言えば、身体を乗っ取られて、人間とは別のなにかにされちゃってるのかも知れないわね」


「ひでえな、おじょう。一生を共にする、愛と奇跡の伴侶はんりょだろ?」


「で、ちっぽけな人間が、神さまっぽい力のあれこれを上手うまく使えるように、魔法アルテがわが意識とか無意識とかから信号化しているのが、あたしの場合はこいつ、オズよ。あたしの脳みそだけに生まれてる視覚聴覚、諸々もろもろの感覚信号だから、魔法アルテの影響で変質、同調しちゃった人でなければ、姿も見えないし、声も聞こえてないわ」


「オズロデットだ、おじょう。ついでに言えば、おじょうが好意的に反応する要素を集約してるから、こう見えて、若い男に生意気を言われるのがいんだぜ。こじらせてるよなあ。なあ、旦那だんな


 茶化ちゃかして笑うオズロデットに、メルセデスが片眉かたまゆを上げて、横に置いていた雑誌を投げる。雑誌はオズロデットを透過とうかして、天幕てんまくの布に当たって落ちた。

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