5.嘘ばっかりですわ!

 レナートたちの隠れた茂みから、少し離れた場所に、ザハールが顔をのぞかせた。


 相変わらず、白金色はくきんしょくの長めの髪に、洒落しゃれた白い上下の、すずしげな貴公子ぶりだ。武器は持っていないが、視線はまっすぐに、レナートたちのいる茂みに向けられていた。


「ルカたちも、もうすぐきて、騒ぐのをやめるでしょう。それまで待ちます。その子をこちらに返していただければ、私たちは引き下がりますよ」


 遠くの地響きを聞きながら、ザハールが、ため息混じりに微笑ほほえんだ。


「重ねて言いますが、その子の兄君あにぎみが、かどわかされたその子を心配して、私たちの帰りを待っているのです。他国との問題を大きくしたくないのは、お互いさまでしょう。どうか御理解をお願いします」


 いきり立ってなにか反論しようとするアーリーヤの口を、レナートが慌てて、てのひらで押さえた。


「落ち着いて。わからないけど、わかってるから」


「あんなの、うそばっかりですわ!」


うそじゃないだろうさ。本当のことを隠してるだけで」


 アーリーヤが口をふさがれたまま、ザハールをにらむレナートの、横顔を見上げた。


「相手をだましたい時はね、本当のことを、切り取って話すのが良いんだよ。お兄さんが君を心配しているのは本当、でも、連れ帰りたいって意志の主語はザハールたちだ。かどわかされたってのは主観しゅかんの違い、お兄さんが待っているのも、君の帰りじゃない」


「……」


「リヴィオたちの戦いが終わるのを待つ、のも本当かな? あのルカって人が勝って、二対一になってから、楽して片づけたいみたいだね」


 アーリーヤが身じろぎして、口を押さえていたレナートのてのひらに、てのひらを重ねた。


「レナートさまを殺したくないとか、わたくしを返せば引き下がるとも、言ってましたわ……」


「殺したくなくても殺せるし、殺してから引き下がるってのも、ありなんじゃないかな」


 平然としたレナートの口調に、アーリーヤが身体をこわばらせる。


「レナートさま、わたくしは……」


「さっきも言ったけど、君のことは名前しか知らない。好きでも嫌いでもないし、どっちかと言えば、くせの強そうなところが苦手だなあ」


「は、は、はっきり、おっしゃいますのね!」


「だから、君がいろいろ気にする必要はないよ。ぼくは自分の行動を、自分で決める情報が欲しいだけだ。それで命がけになるなら、仕方がない。特務局<赤い頭テスタロッサ>ってのは、そういうところらしいんだ」


 レナートが赤い縁取ふちどりの紺色官服こんいろかんふくの、肩をすくめた。


「君は、ヴェルナスタ共和国に亡命する意志がある? そんな小さな身体で、国も家族も捨てて外国に逃げる、そこまでの意志と目的を持っているの?」


「……」


「はい、なら、それで充分だ。後は、こっちの仕事だよ」


「いいえ、ですわ」


 アーリーヤが、レナートの手を握りしめた。まっすぐにレナートを見上げて、レナートの方が少し、面食らう。


「わたくしは国とお兄さまを、あの連中から取り戻しますの。そのお手伝いを、お願いに参ったのですわ。逃げているつもりはございません」


「いや、どこからどう見ても、逃げてたっぽいけどさ……ええと、内乱か軍事政変か、とにかく武力介入の要請ようせいってこと? いきなり、大きく出たね……」


「細かいことはわかりませんわ、レナートさま」


「細かくないよ、アーリーヤ」


 レナートが嘆息たんそくする。アーリーヤは茂みに隠れた格好のまま、器用に胸を張った。


「取り引き、というものくらい、心得ておりますわ。首尾しゅびよくことが成れば、お兄さまにも恩が売れますもの。王国の半分とは言わず、三分の一くらいは任せていただいて……王女であるわたくしの身と共に、差し上げますわ!」


「今度は、国土割譲こくどかつじょうの口約束? 君、自分のしていること、わかってないよね、多分?」


「わかってても、わかってなくても、やることは変わりませんわ。今まさに、あの連中に全部かっさらわれるのと比べれば、だいぶマシですの」


「……」


 レナートは唖然とした。そして、大声で笑い出さないように、結構な努力を必要とした。


 なるほど。まったく理屈ではないけれど、命がけでも、と、乗せられるのはこういうことかと思う。


「仕方がないな。インパネイラまでは、ぼくたちが君を守る。その先は、また後の話にしよう」


「告白に近いものでしたわ」


「後の話にしよう」


 レナートが繰り返して、アーリーヤがむくれた。それでもすぐに、気づかわしげな顔になる。


「で、ですが……あの変態美人を、どうすれば……」


「あとちょっとしたら、あいつの目算が外れる。ぼくが合図するから、まっすぐインパネイラに向かって走るんだ」


「え……?」


「根性の比べ合いで、リヴィオは負けないよ。静かになるのは、どっちも空腹で動けなくなった時だ。ルカは来られない。それに気がついた瞬間、ザハールにすきができる」


 レナートの言葉と、ほとんど同時に、地響きが聞こえなくなった。


 ザハールが顔を上げる。魔法アルテの流れを探っているのか、目線がレナートたちのいる茂みから離れた。一瞬、いぶかしむように、まゆの形が変わった。


 レナートがアーリーヤの背中を、インパネイラの方へ押す。そのまま、左手でふところから、突起のついた小さな金属缶を取り出した。


 口で突起を外し、ザハールに向かって投げる。茂みから飛び出したレナートと、茂みからの音を追うようにレナートを見たザハールの視線が、空中の金属缶をはさんで交差した。


 金属缶が、破裂した。


 小規模の火薬で金属外殻きんぞくがいかくを破砕、飛び散らせる手投げの榴弾りゅうだん手榴弾しゅりゅうだんだ。点でも線でもない、面の攻撃が広がった。


 その球面の外に、インパネイラへ向かう軌跡に、銃弾を配置するように三発、撃つ。最後の一発は、撃鉄げきてつを起こして待った。


 急に、自分も魔法アルテに、巻き込まれたような感覚だった。


 音もなく薄暗く、身体の動きもあきれるほど遅い刹那せつなの中で、レナートはザハールと、また視線を交差させていた。


 広がる煙と破砕片をけて、銃弾をかいくぐり、ザハールだけが悠然と動いていた。洒落しゃれた白い上下から、小剣を抜き放つ。


 レナートも、ザハールに銃口を向けて、引き金を引いていた。だが、遅い。


 撃鉄げきてつが落ちて、弾丸が発射されるまでが、とても遅い。そう感じた。


 ザハールが小剣を振ろうとして、ため息をつくように、少し姿勢を変えた。それを見てレナートは、ようやく、レナートをかばうようにしがみついて来ていたアーリーヤに気がついた。


 レナートも、ため息をつきたくなった。アーリーヤの行動は無謀で、論理的でなく、意味もない。


 ザハールの小剣は、そこは宣言せんげんの通りに、アーリーヤに危害を加えない軌道修正をして、レナートの首に向けて振り直されている。


 確かに、うそばっかりだ。どんな魔法アルテでも、普通の人間にしてみれば、便利なものだよ。


 レナートは、くやしまぎれにそう考えた。それで最後だと覚悟した瞬間、レナートの目の前で、黄金のような、水晶のような輝きが、小剣の刃を防いでいた。

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