第12話 ありがとう

「なぁ、彼方くん」


 五分咲き程度の桜の木にもたれながら瑠子先輩は正面の坂道をずっと見つめていた。

 声だけが俺に飛ぶ。


「何ですか?」


 俺もビオラのケースを片手に空中を舞う桜の花びらを見ながら返事をした。


「桜っち本当に来るのん? 後十分くらいで卒業式終わるで。送別会の出番、一番最初なんやろ? もう打ち合わせする時間もあらへんよ」

「打ち合わせることなんてないから平気ですよ。なあ、唯」

「ええ。あとは桜とこの子次第です」


 三浦はチェロケースをぽんと手のひらで軽く叩く。


「彼方くん、桜っちと話たんやろ?」

「ええ、まあ」

「来るって言ってたん?」

「いえ」

「ほな、来ないのん?」

「来ないとも言ってませんでした」

「……おいおいどっちやのん」

「わかんないですよ。俺は桜じゃないから。ただ祈るだけです」


 俺はそう言って、坂道を見た。


「あのねぇ、あんたあたしに必ずって約束したのよ!」


 三浦が俺に非難がましい声をあげる。


「うん。でも、力づくで引っ張ってきたってあいつは俺達を受け入れたりはしない。俺はあいつに伝えたいことをちゃんと言った。受け入れてくれるかどうかはあいつ次第だ」

「……桜になんて言ったの?」

「友達になってくれって言った」

「……三年経ってようやくそこからなんだ、あたし達」

「馬鹿みたいだな」

「うん」

「それでも、進歩には違いない」

「そうね」

「なあ、三浦――唯」

「何よ」

「俺と友達になってくれ」

「……それ冗談じゃなかったら殺すわよ」

「ははは」


 俺の笑い声をかき消すかのように、風が吹いた。

 桜の木の枝がしなり、花びらが回転しながら坂道の方へと流れていく。

 俺達の視線が桜を追う。

 その先に――桜がいた。

 

「……二ノ宮、唯」


 桜は俺達と目が合うとすぐに顔を真っ赤にしてうつむいた。

 ヘッドホンはしてなかった。

 俺達の声をちゃんと聞こうとしてくれているのだ。


「来たな」


 俺は軽く手を振った。


「二ノ宮が来いって言ったから」


 桜はうつむいたまま答えた。

 

「だから二ノ宮が悪い」

「いや別に悪いことはしてないだろ?」


 少し混乱しているようだ。


「桜、ほら髪に花びらついてる」


 唯が近寄って桜の頭を撫でる。


「唯、撫でてる」

「そうよ」

「花びら取るんじゃないの?」

「ついでに取るわよ」

「二ノ宮、唯が変だよ。何か優しい」

「うん、変だな」

「あたしはいつだって優しいわよっ!」

「ううん、どっちかていうと怖い」

「だな」

「こらあっ! どうしてあたしをイジる時はこんなに息があってるのよっ?!」

「あははははっ! あんたらやっぱり三人でいるのが一番おもろいなぁ」


 瑠子先輩がそう言って、俺達三人の肩をばんばん叩いた。


「ほな、行こうか、後輩達が待っとるで」

「はい。指揮の方、よろしく頼んます」

「まかしとき!」


 体育館に向けて駆けて行く瑠子先輩。俺達も後を追って歩き出す。


「桜、足元転ばないように気をつけて」


 唯が桜に近づき声をかける。


「実はちょっと緊張してる。無理かもしんない」


 桜がめずらしく弱音を吐く。


「おいおい、頼むぞ天才。四人で一つの音なんだからな」


 俺も桜に近づいて、肩を軽く叩いた。


「……そうだね。あ、そうだ、ねぇ二ノ宮」

「ん?」

「パンツありがと」

「はっ?!」


 あまりに予想外の言葉に俺は思わず大声を上げてしまう。


「は? 何よパンツって?」


 唯が目を丸くする。


「うん、二ノ宮が私の忘れたパンツを届け――ふがっ?!」


 桜がとんでもないこと口走ったので俺は口をふさいだ。


「彼方、やっぱり桜と何かしたわねっ?!」


 唯が俺の胸倉をつかんでぐらぐら揺らす。


「えーっと、したようなしないような」

「はっきりしなさいよ!」

「待って、唯。二ノ宮が私の忘れたパンツを郵便受けに入れておいてくれたの。二ノ宮は何も悪いことはしてないから」


 桜が間に入ってくれる。


「それ俺じゃないぞ」

「え? でも……」

「……いったいどういう状況下で桜はパンツを忘れたのよ? そんでもって、どうしてそれを届けたのが彼方と断定できたのかを説明しなさいっ!」


 納得いかない唯がさらに俺と桜に追及を。


「えーっと。続きはウェブで」


「どこのウェブよ! URLを言いなさいよっ! てきとーなこと言うんじゃないのっ!」


「二ノ宮、唯やっぱり怖いよ」

「だな」

「あーのーねー!」

「自分ら、もめとらんと! ほら着いたで!」


 瑠子先輩が裏口の扉を開けて、俺達を呼んだ。


「話は後だ、集中しよう」

「まったく……本当に後で話してよね」


 俺達三人はそれぞれのケースを持って扉をくぐった。


   *


後輩達で満員御礼状態の体育館で、館内放送が流れた。


――今年度の卒業生のために先輩方が駆けつけてくれました

――先輩方は過去当校の音楽部に在籍し、全国大会での優勝など非常に輝かしい成績を収めた方々です

――本日はその先輩方が卒業生のために演奏をしてくれます

――皆さん、どうか大きな拍手で先輩方をお迎えしましょう



「何か色々言われてる」

「期待でかいぞ、やりにくいな~。軽く流してくれよ」


 桜と俺が同時にため息を吐いた。


「こらこら今さら何言ってるのよ!」


 唯だけがやる気まんまんだ。


「唯、私持病のしゃくが」

「嘘言わないのっ!」

「しっ! 自分ら幕あがるで。夏海ちゃんの音はすぐ入る。待ったなしや、モチベーションあげてや!」

「「「はい!」」」


 瑠子先輩の声に、俺達は気を引き締める。

 そして、俺達にスポットライトが当たる。

 暗闇の向こうにうごめくのは名も知らぬ後輩達。

 俺達の感傷につきあわせてすまないと思う。

 せめて、最高の音を送る。

 俺達は席から立ち皆に頭を下げる。そしてまた席につく。

 瑠子先輩が俺達に視線を送る。

 

 ――準備はええな?


 皆はうなずく。


「ブラームスピアノ四重奏曲第三番第二楽章」


 瑠子先輩の指揮棒が空を裂き、ピアノの上に載ったMDを、夏海を指す。

 夏海が笑って、鍵盤に指を滑らした。

 夏海が走る。桜が続く。

 俺の音は大丈夫かと声をかけるように、桜の後ろにつく。

 唯の音はほらほらしっかりと激をとばす。

 また夏海が縦横無尽に、無数なようで一つの音を紡ぎ出す。

 なんだよ、これは。

 こんなのついていけるかよ! と俺は叫ぶ。

 遅いよ彼方と桜が振り向く。

 全然平気よと唯が音を立体的に構築した。

 それをまた叩き壊すように、ピアノが怒る。

 クレッシェンド。

 桜がそれに挑みかかる。

 ピアノとバイオリンがせめぎ合う。

 俺と唯が二人を囲むように立つ。

 夏海が泣く。桜も泣いていた。

 ぼろぼろになって、二人は同時に倒れた。

 それを助けるように俺と唯が二人を引っ張り起こす。

 一呼吸。

 四人で顔を見合わせてにやっと笑った。

 最後の力をふりしぼって夏海が駆け出した。

 これで最後。

 リミッターを解除した夏海はとんでもない。

 離されない様に必死に食らいついた。

 最後に桜の音と夏海の音が絡み合い、一つになった。

 俺と唯は役目は終わったとばかりに膝を折り、桜と夏海が並んで走る。

 ――楽しかったね。

 ――うん。

 フォルテシモ。

 夏海と桜の音が空間を切るように強く鳴り響いた。

 そして、静寂が訪れた。

 が、すぐに拍手の渦が取って代わった。

 俺は肩で息をしながら、皆を見た。

 唯は笑っていた。桜も笑っていた。

 そして、きっと夏海も笑っている。

 拍手はずっと続いている。

 暖かい声で館内が満たされていた。

 桜は席を立つと後輩達に頭を下げた。

 俺と唯もあわててそれに習う。

 後輩達、ありがとう。

 先生達、ありがとう。

 瑠子先輩も、そしてブラームス先生もありがとう。

 この瞬間を与えてくれた全ての人に感謝。

 俺は心からそう思った。

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