第11話 告白

 放課後、俺は桜を捕まえなくてはと慌てて席を立つ。

 でも、意外にも桜の方から俺の席までやってきた。

 

「桜」

「……二ノ宮」

「お前に大事な話がある」

「私も二ノ宮に用事がある」

「これから付き合ってくれないか?」

「いいよ。場所は私が決めていい? また行きつけの場所だけど」

「話ができるならどこでもいい」

「わかった。行こう」


 桜は会話が終わるとイヤホンで右耳を塞ぐ。

 夏海のピアノの音の中に閉じこもる。

 桜は虚空を眺めるようなうつろな目をしていた。

 踵を返して桜は教室の出口へと歩いていく。俺はその後ろをついていった。


 シャカ、シャカ、シャカ。


 俺と桜は一言も言葉を交わさないまま電車で街に出て、駅ビルの前まで来た。


「ここ」


 桜は俺の方を見ずに小さな古い看板を指差した。

 『カラオケ サウンド・ジョイ』


「カラオケボックスなのか?」

「うん。ここなら誰にも邪魔されないから」


 桜は手馴れた動作で会員証を店員に示して部屋の鍵と二本のマイク、それに歌本を受け取った。


「二ノ宮、こっち」


 桜はここの間取りを完全に把握しているらしくとっとと部屋へと移動し始める。

 俺は桜についていくしかない。

 カウンターのアルバイト店員が何故か俺を見てニヤニヤと嫌な感じの笑みを浮かべていたのが気になった。


 桜は部屋に入るなり制服の上着を脱いでハンガーに引っ掛けると、それを扉の前に吊るした。

 まるで窓からのぞかれなくするみたいだ。


「桜、こっちにハンガーかけあるぞ」


 俺がそう言っても桜はふるふると首を横に振った。


「さすがに見られたくない」

「そうか? でもここは歌うところだから少しくらい見られても平気だろ?」

「二ノ宮は歌いたいの?」

「いや、でもお前がここ来るから」

「私も歌うつもりなんてない。自分の声よりバイオリンの音の方がずっと好き」

「うん。それは俺もわかる」

「……うん、やっぱり二ノ宮なら、いいかな」


 両耳のヘッドホンをはずした桜が微かに笑んだ。


「何が?」

「エッチしてもいいかなって」

「はっ? お前まだそんな事――」

「私、約束は守る」


 そう言って、桜は襟元のリボンをといて床に放り出した。


「夏海との約束は無理っぽいけど……」


 自嘲気味に口の端を曲げる桜。

 夏海を含めた俺達四人、最後の演奏会。

 それは桜にとってもやっぱり大切なイベントだったのだろう。


「二ノ宮がどんな気持ちでビオラを始めて、そして捨てたかわかってるつもり。私と形は違うけど、二ノ宮も夏海のことで。いっぱい傷ついて、出した結論なんだよね」

「……結論なんて立派なもんじゃない。言っただろう? 俺はただ逃げただけだ」

「それでも二ノ宮と唯は私のわがままに付き合ってくれた。唯にはどうやって埋め合せすればいいのか正直わかんないけど……。二ノ宮にはちゃんと埋め合せをする」


 桜はブラウスのボタンを全部はずした。白いシンプルなブラが視界に入った。

 見ちゃダメだとわかっていても見てしまう。少し暗めの蛍光灯に照らされた胸元が新雪のように白くてキレイだった。

 桜は頬を紅潮させていた。

 瞳を潤ませて俺をじっと見つめている。

 ずっと壊れた桜ラジオだった時とはまるで違う。ちゃんと俺と向き合ってくれている。

 それは嬉しかった。

 でも、


「やめろ、前閉じろよ」

「止めないよ。約束だもん」

「そんな約束なんかしてないって、お前は昔から変なトコで頑固すぎる」

「それにこれは二ノ宮のためだけじゃない」

「え?」

「慰めあおうよ」


 桜はスカートに手をつっこんで、あっさりと下着を下ろした。

 足首にひっかかった薄いピンク色をした布を足を上げて脱ぎ捨てる。

 桜が足を上げた時、微かに生えた陰毛が見えた。

 俺は急激に頬が火照るのを感じる。

 ずっと幼馴染で、クラスメートで、カルッテットの仲間だった桜。

 その桜が俺の前で肌をあらわにしている。


「桜、おい、本気か?」

「うん」

「私を慰めてよ、二ノ宮。みんなみんな、私のため。誰にも二ノ宮を責めさせたりはしない」

「……それは違うと思う」


 俺は桜から視線を逸らした。このまま見てたら、間違いなくこいつを汚してしまいそうだ。


「二ノ宮は真面目だね」

「違う。そうじゃないんだ」

「夏海の代わりになってあげるから……」


 桜が俺を見つめる。

 泣いてるような、怒っているようなそんな顔をしていた。

 今伝えようと俺は思った。

 もしかしたら最悪のタイミングかもしれないが、こんな形で桜とつながるわけにはいかない。

 そんなことしたら夏海に殺される。

 

「桜」


 俺は桜を強く抱きしめた。

 桜を包み込むように。


「……」


 俺に動きを封じられた形になった桜は無言で俺を見た。


「これ以上はやめよう」


 桜の髪を撫でながら、俺はゆっくりと言葉を紡いだ。


「……私じゃやっぱり嫌?」


 俺は首を横に振った。


「おっぱい小さいから嫌?」

「違う。それもお前の個性だ」

「子供っぽいからつまんない?」

「可愛いよ、お前は。もっと自信を持て」

「わがままだから嫌?」

「お前のわがままは面白いから俺は好きだ」

「じゃあ……夏海じゃないから?」

「違うよ」

「嘘」

「嘘じゃない」

「じゃあ、どうして?」

「それは俺がお前を好きだからだ」

「――え?」


 桜が一瞬、呆けたような表情をした。


「ずっと好きだった」

「だ、だって、彼方は夏海が好きなんじゃ……」

「もちろんアイツのことは好きだ。でもそれは友達としてだ。お前は違う。ずっと想ってた」

「嘘……」

「夏海のヤツは勘付いててずっと気にしていてくれていた」

「どうして私に言わなかったの?」

「お前の気持ちが俺に向いてないことは知ってたから。お前を困らせるのは嫌だった。それにそんなことしたらせっかく作り上げたカルテットも壊しちまう。俺の自分勝手でそんなことできないだろ?」

「……彼方」

「結局は壊れたけどな……」

「……」

「好きな女の子をモノみたいに扱って楽しむなんてできないし、したくない。お前の彼氏になれなくてもいい。だけど、せめて友達ではいたいんだ」

「うっ……」


 桜は俺から身体を離すと、ブラウスの袖でごしごしと目を何度も拭った。


「……最低だ。私、最低だ……」


 桜は涙といっしょに言葉をこぼした。


「桜」

「私、皆のこと、彼方のこともっとわかってるつもりでいた。全然わかってなかった。私、今まで皆の何見てきたんだろう……」

「お前だけじゃないさ。だから、気にするな」

「……ありがとう。彼方は、優しい」

「そんなことない。ほとんど欲望に負けてた」

「……馬鹿、言わなくていいのに」


 桜は衣服を整えると、涙を拭って部屋の出口に移動した。ハンガーから上着をとる。


「お金払っとくから」


 俺に背を向けたまま、桜はノブを回した。


「桜」


 俺は桜の背中に声を投げた。

 桜が足を止める。


「三日後が卒業式だ。待ってるから」

「……」

「夏海といっしょに来いよな」

「……」


 桜は何も答えず部屋から一歩踏み出した。


「俺も三浦も待ってるからな!」


 遠ざかる桜に向かって俺はそう叫んだ。

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